2004年1月29日木曜日

2_31 謎の大絶滅(その2 )

 ペルム紀と三畳紀の時代境界は、古生代と中生代の境界でもあります。この境界はP-T境界とよばれています。前回は、P-T境界の時代に、海の表面(石灰岩)と海底(チャート)でたまった地層から、その事件を読みとろうという研究を紹介しました。それらの地層から読みとった情報は、どんな事件を意味しているのでしょうか。今回は、P-T境界で起こった事件をみていきましょう。

 石灰岩は、暖かい地域の海洋の真ん中の海洋島で造礁性生物がつくったものです。その石灰岩は、ペルム紀後期までたくさんつくられていたのですが、ペルム紀最末期から三畳紀中期まで、まったくつくられなくなります。「リーフギャップ」とよばれるものです。これは、P-T境界の異変が、大陸地域だけでなく、海洋全体にまで及んだことを意味します。つまり、地表全体に及んだ異変であるのです。
 犬山のチャートから、深海底の様子がわかります。前回紹介したように、P-T境界前後1000万年間は放散虫化石がありませんでした。これは、遠洋性の表層のプランクトンにまで絶滅が及んでいることを意味します。これは、石灰岩で得られた結論とおなじことを示しています。
 また、P-T境界前後2000万年間は、還元的堆積物が堆積しています。これは、深海が還元的な環境になりました。つまり、酸素のない状態になったと考えられています。これを、「超酸素欠乏事件(Superanoxia)」とよんでいます。
 酸素欠乏の事件は、地球の歴史では時々おこっています。小さな海洋酸素欠乏事件だと1万から10万年ほど(たとえば、白亜紀と第三紀の境界、つまりK-T境界)継続します。通常の酸素欠乏事件だと10万から100万年ほど(たとえば、ジュラ紀と白亜紀の境界)継続します。ところが、超酸素欠乏事件では、1000万年も継続します。これがP-T境界でおこった事件です。
 このような「超酸素欠乏事件」は、海水循環の悪化や表層での酸素の生産停止などによって起こると考えられます。しかしまだ事件の真の原因はわかっていません。
 重要なことは、P-T境界の出来事が、その境界では対称的な岩石の様子(岩相といいます)で変化していることです。これは、隕石の衝突ではないことを示しています。隕石は突然起こる事件です。衝突時に急に現象がおこるのですが、その影響はゆっくりと消えていくはずです。ですから隕石衝突の事件では、対称性な岩相の記録にはなりません。
 磯崎さんたちは、ほんの少ししかないある石に気づかれました。P-T境界の石灰岩には、非常に薄いのですが凝灰岩がありました。赤坂では、5mmほどの厚さの酸性凝灰岩があり、城川では、ボーリングのためにその資料はなく不明です。上村では1~3mm淡緑色粘土層があり、それは凝灰岩から由来する可能性がありました。
 そして磯崎さんたちは、今度は、さらに東の中華人民共和国四川省朝天(Chaotian)というところにあるP-T境界を調べに行かれました。ただし、この地層は、大陸棚の石灰岩でできています。朝天の火山灰層は、厚くなっています。朝天では、多数の白色酸性凝灰岩が数cm~3mの厚さで見つかっています。
 これらの凝灰岩は、東で薄く、西で厚いという状態になっています。自転の影響で、風は西から東に向かって吹きます。ですから、現在の位置関係で見ると、中国の朝天周辺か、それより西側に巨大が火山があった可能があります。ところが、それに、相当する適当な(時代と火山のマグマの性質が一致す)火山が見つかってないです。適当な火山とは、同じ時代で火山のマグマの性質がP-T境界のものに一致する必要があるのです。
 いままで、P-T境界の大量絶滅について、いくつもの原因が考えられてきましたが、どれもまだこれだというものに絞られていません。地球外の原因(隕石衝突、宇宙放射能)は、上で述べたようま理由から、否定されました。
 ペルム紀後半の地球規模の事件は、
・大規模な海退
・異常な火山活動
・海洋の超酸欠事件
がどうも同時多発的に起こっているようです。これらの因果関係はよくわかっていませんが、このころに、ひとつ重要な地質現象が起こっています。
 パンゲアという超大陸が、分裂しているのです。超大陸の分裂は、巨大な暖かいマントルの上昇(スーパープルームという)によって、おこります。大陸が割れる地域では激しい火山活動が起こります。それが、地球規模の環境変化を起こしたのではないかと考えられ、「プルームの冬」と名づけられて、現在研究されています。
 そして、P-T境界にみられる火山灰を供給した火山が、もしかすると「プルームの冬」の原因となった火山活動のひつとかもしれません。でも、まだ「プルームの冬」のシナリオはできあがっていません。つまりまだ情報不足なのです。今後より確かなシナリオがつくられていくはずです。
 P-T境界の絶滅は、陸でも海でも生物の大絶滅が起こりました。それは、顕生代で最大の絶滅です。そんな絶滅の原因がまだわかっていないのです。地球の歴史には、まだまだわからないことがいっぱいあります。

2004年1月22日木曜日

2_30 謎の大絶滅(その1)

 顕生代になると、生物がたくさん化石となって発見されています。そのために、生物の絶滅や出現を時代の区切りに利用することができるようになってきます。古生代、中生代、新生代と区分されたのが、そうです。
 そんな大きな絶滅が、顕生代には、前回紹介したように、いくつもあります。そのうち、大きな絶滅を5つ(ビックファイブ)の中でも古生代と中生代の時代境界が、最大の絶滅の率を示しています。古生代の終わりはペルム紀(Permian)で、中生代のはじまりは三畳紀(Triassic)という時代です。それらの境界なので、P-T境界と呼ばれています。
 上で示した、P-T境界の絶滅率96%というのは、種のレベルでの見積もりです。海洋域の無脊椎動物の属のレベルでは74%が絶滅したと見積もられています。もちろんこの大絶滅の事件は、陸上生物にも及んでいます。
 そんなP-T境界の大絶滅は、どんなものだったのでしょうか。それを探っていきましょう。
 今までP-T境界の大絶滅の研究は、大陸棚の浅海性の石灰岩でなされてきました。このような地層は、すべて、パンゲア超大陸の周辺で堆積したものでした。しかし、このような地層の研究では、陸や陸に近い海の情報が主要なものとなります。広大な海洋域の環境変化を知ることができません。そのため、海洋域の地層の調査をすることが重要となります。
 そんな海でできた地層の重要性に気づかれたのは、磯崎行雄さんたちでした。最近まで、遠洋性の地層で、P-T境界の連続露頭は知られていませんでした。しかし、磯崎さんたちが、精力的に調べ、日本の各地で、連続露頭を発見しだしました。磯崎さんたちは現在も、日本列島の周辺で、P-T境界の絶滅について精力的に調べられています。
 現在、P-T境界の連続露頭が知られているのは、次の4箇所です。岐阜県各務原市~愛知県犬山市、岐阜県大垣市赤坂、愛媛県東宇和郡城川町、宮崎県西臼杵郡高千穂町上村。
 では、その4箇所の地層とはいったいどんな地層なのでしょうか。ひとつは海洋島とよばれる海の真ん中に火山でできた島の周りに成長した造礁性の生物がつくった石灰岩です。もうひとつは深海にたまった遠洋性のプランクトンの死体が固まってできたチャートと呼ばれる岩石でした。
 石灰岩は、海洋島や海山の上にたまってできる岩石なので、陸の影響を受けませんが、大気や環境の変化を受けやすいと考えられます。チャートは、深海底でできた岩石なので、陸や大気の影響をほとんど受けない環境です。
 チャートは愛知県犬山だけで、あとの岐阜県赤坂、愛媛県城川町、宮崎県上村は、石灰岩やドロマイト(炭酸塩からできた岩石で石灰岩の仲間)からできています。これらの地層は生物の遺骸からできていますから、保存の状態がよければ化石を見つけて、時代を決めたり、環境を推定したりすることが可能です。
 犬山のチャートの調査から、P-T境界では、事件が起こっていることがわかってきました。P-T境界前後の1000万年間は化石がないこと、P-T境界前後の1500万年間はチャートの堆積停止していること、P-T境界前後の2000万年間は還元的堆積物の堆積であること、さらにP-T境界は対称的な岩石の変化をしていることなどがわかってきました。
 石灰岩では、前期三畳紀には「リーフ・ギャップ」と呼ばれるものが知られていました。ペルム紀後期まで発達していた礁が、ペルム紀最末期から三畳紀中期まで、発達しない現象のことです。約1000万年間は、礁ができない時期があるです。
 さてこのような情報から、どんな事件が読み取れるのでしょうか。それは次回にしましょう。

2004年1月15日木曜日

2_29 いくつもの絶滅:ビックファイブ

 生命は、顕生代に入っても、地球から試練にさらされました。それは、想像を絶するものでありました。しかし、生命はタフに生き延びたのです。そしてそのたびに進化を続けてきたのです。

 原生代末(カンブリア紀の直前、約6億年前)に起こった2つの大事件、つまり、海水の逆流による海水の塩分濃度上昇と、大氷河期は、生命にとっては、まさに存亡の危機であったはずです。しかし、生命は、なんとか生き延びました。生き延びた生命は、どれほどの種類、個体数かはわかりません。なぜ生き延びたか不思議なくらいの大事件です。
 しかし、多様性と進化という生命自体が持っている能力によって生き延びたはずです。そして、2つの事件が、続けさまでしたが、進化で対処できるほどのスピードで起こったという、自然からの時間的猶予という贈り物を利用して、生命は自分たちの能力を最大限に利用しました。その結果、生命は完全な絶滅を免れました。
 私は、生命にとっては、最大の危機は、約20億年前の「酸化地獄」だと思います。その次が、海水の逆流による塩分濃度の上昇と大氷河期による原生代末の大事件だと思います。しかし、これらの事件は、どの程度の生物種がその当時、生きていたのかの全貌はわかっていません。生命がたくさんいたということは、おぼろげながらわかっています。どの程度の絶滅であったかはわかりません。しかし、環境の変化の大きさという点からすると、20億年前と6億年前のものが、地球史上の2大事件だと思います。
 なんとか過酷な事件を生き延びると、あとに訪れる穏やかな時代は、より一層穏やかに感じます。そんな環境には、生命は敏感です。穏やかな環境で、大絶滅の後でライバルたちの少ない環境となれば、生命は大いに繁栄します。古生代のはじめりカンブリア紀は、そんな時代でした。しかし、古生代以降(顕生代という)にも、大きな絶滅が起こっています。顕生代の大きな絶滅のうち5つを取り上げて、ビック・ファイブと呼んでいます。
 ビック・ファイブの絶滅は、つぎのようなものです。時代順で見ると、4億3800万年前(オルドビス紀-シルル紀)、2億6700万年前(後期デボン紀)、2億5000万年前(ペルム紀-三畳紀、P-T境界と呼ばれています)、2億0200万年前(三畳紀-ジュラ紀)、6500万年前(白亜紀-第三紀、K-T境界と呼ばれています)の5つです。
 4億3800万年前の絶滅は、種の数で見ると絶滅率85%となり、顕生代では2番目の絶滅の事件です。3億6700万年前のものは絶滅率82%で3番目の絶滅で、1番の絶滅は、絶滅率96%の2億5000万年前のものです。2億0200万年前の絶滅は、76%で4番目の絶滅、6500万年前のK-T境界は絶滅率70%で、5番目の絶滅となります。
 ビックファイブの中でいちばん大きな絶滅が、古生代の中生代の時代境界になっているのは、もっともなことに見えます。もうひとつの顕生代の大きな時代区分は中生代と新生代の時代境界はK-T境界は、ビックファイブの中の5番目、つまりいちばん小さい大量絶滅となります。少し変ですが、そうなっています。時代区分は、一度決めると変更はなかなか大変なのです。
 K-T境界の絶滅が5番目とはいえ、絶滅率70%なのです。どの絶滅の事件も、絶滅率は70%を越えています。種類数で見ると、70%以上、最大で96%が絶滅するのです。そんな事件が、地球の歴史のほんの6億億年ほどの間に、5回も繰り返し起こっているのです。そう考えると、地球とは、決して生命にとって住みよいところではないような気がしてきます。
 でも、生命は地球で生まれ、地球で育まれてきたのです。もしかすると、このような大事件によって、生命は飛躍的進化をとげるきっかけとなったのかもしれません。
 まるで、「ノアの洪水」のように、地球環境の激変に対処できない生命は、洪水に飲み込まれいったのかもしれません。地球が、生命に課した適正試験、試練なのかも知れません。そしてそれらに合格したものには、洪水の引いた後の肥沃で穏やかな大地が与えられるのです。ノアの箱舟に乗りこんだ生命は、大いに繁栄したのです。
 進化とは、地球と生命の共同作業によって、できるものなのかもしれません。

2004年1月8日木曜日

2_28 大氷河期

 海水のマントルへの逆流と同じような時期に、地球に寒冷期が訪れます。氷河期です。その氷河期は、私たちの想像を越えるものでした。そんな大氷河期も生命は生き延びています。しかも大発展をしてしまうのです。

 7億5000万年前から5億8000万年前までの間の地層に、不思議なことに、いたるところで、氷河堆積物が見つかっているのです。
 氷河堆積物とは、氷河によって運ばれた堆積物のことで、ティライト(tilite、氷礫岩)や、ヴァーブ(varve)、ドロップストーン(dropstone)などがあります。
 ティライトとは、巨大な礫から粘土まで、さまざまなサイズの堆積物が混在した岩石で、普通の地層ではこのような変な堆積岩はできません。ヴァーブとは、年輪のような縞模様をもつと堆積岩で、氷河湖でたまった堆積物が氷河の季節変化に呼応して、縞模様をつくったと考えられています。ドロップストーンとは、氷河で運ばれた大きな石が、縞状堆積物の中に挟まっているものです。氷河湖に流れ出した氷河の中に含まれていた岩石が、氷河が溶けることで湖の堆積物の中に沈んだと考えられています。
 また、氷河に運ばれたり削られていた岩石には、氷河の傷跡である氷河擦痕(さっこん)がついています。さらに、氷河堆積物の周辺には、モレーンやU字谷などの氷河による地形が見つかることもあります。
 大陸の内陸には、乾燥した大地が広がっていました。それは、蒸発岩(石膏、岩塩)とよばれる岩石が見つかることが証拠となっています。
 現在でも、氷河は、極地の周辺や、高山にはみられています。しかし、6億年前には、いくつもの大陸が、赤道付近に分布していたと考えられています。ですから、多くの大陸は暖かい地域にあったはずです。なのに氷河があったのです。
 現在の地球でも、赤道付近で標高5000m以上には氷河が形成されることがあります。しかし、6億年前だけに、5000m以上の陸地が広く分布したとは考えられません。
 以上のことを考え合わせると、6億年前の地球全体が、非常に冷たかったと考えられます。ある推定によると、平均気温は-50℃、海面は1kmの厚さの氷に覆われていたというものがあるほどです。幸いながら地球内部から熱が、つねに放出されているので、海洋の底までは凍らなかったと考えられています。こんな時期が、1000万年あるいはそれ以上続いたとされています。
 このような非常に冷たい地球を外から見たら、まるで白い雪だまのように見えたと考えられることから、英語ではSnow Ball Earth(雪球地球)とよばれ、日本語では全球凍結と呼ばれています。
 もしもこのような事件の推定が本当であれば、生命にとっては大変な事件となります。当時の生物は海洋にいました。そしてその海洋生物の多くは、栄養豊富な海岸付近や海面付近で生活していたはずです。そんな生物に、海面が全部凍ってしまうほどの寒さが襲ったのです。6億年前に生きていた大部分の生物は、大絶滅をしたはずです。
 ところが、そんな苛酷な環境でも、生命は生き延びています。そして、生き延びた生命は、大氷河期の後に爆発的に発展します。それがカンブリアの大爆発とよばれるものです。

・年賀のお礼・
いく人かの読者から、年賀の挨拶をいただきました。
ありがとうございます。
考えてみたら、ほとんどの読者は、メールマガジンを購読しているだけで、
私に会ったことも、話したこともないはずです。
同様に私もメールマガジンを発信しますが、読者の顔も声も知りません。
そんな方から、年賀の挨拶をいただくとありがたいものです。
もちろん知り合いかも、メールマガジンに関して、
コメントを書いた年賀状をいただきました。
中でも、「生き方に共感します」というコメントは、
非常にうれしかったです。
そんな読者の言葉や、友人の言葉を励みに、
これからもメールマガジンを続けて生きたいと思います。
これからも、よろしくお願いします。

2004年1月1日木曜日

6_35 人と道具と

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。今年は、メールマガジンの発効日である木曜日が、元日にあたりました。ですから、今年の最初の号が元日に発行というめでたい日になりました。本年も、地球のささやきに耳を傾けていきたいと思っています。

 年頭に当たって、人とコンピュータ、あるいは人と機械、道具とのあり方について少し考えてみたいと思います。
 人との道具との関係は、非常に大切だと思います。家電製品や車など、普及しているものと比べると、コンピュータなんぞは、まだまだ不便な道具だと思います。
 便利だと思われているコンピュータは、道具としてみたとき、この上もなく不便で不経済なものだと思いませんか。ハードとソフトはしょっちゅう進歩しているし、そしてどちらかを更新すると、他方も更新しなければならない。その導入にへたをすると何日も格闘しなければならないこともあります。インターネットへの接続、メールを読めるようにするのも苦労します。一つの更新であれもこれもいじらなければなりません。それでも、更新している自分がいます。これは、メーカーに踊らされている自分がそこにあるからでしょうか。でも見方を変えると、コンピュータあるいはコンピュータの周辺技術が、まだ未熟なものだからなのかもしれません。
 家電製品、たとえば洗濯機、冷蔵庫、テレビ、炊飯器、電子レンジなどは、いろいろなことができる機能をもっていたとしても、製品として、まずは簡単に目的の機能は果たせることが前提です。モダンを押せば、スイッチを入れれば、目的を果たしてくれるのです。もちろん家電製品の中には小さなコンピュータが入っているから、ボタンを押すだけでおいしい米が炊けたり、ほどほどに冷やしてくれたり、どんなものでもきれいに洗ってくれるのでしょうが。でも、ボタン一つおせば、電源を入れれば使えるということは、非常にユニバーサルな道具だといえます。
 もちろん多様な機能を使いこなそうとするならば、説明書を読んで、悪戦苦闘しなければなりません。でも、家電製品の説明書はわかりやすいものです。その装置を使うために、電気や物理の基礎知識なしにだれでもわかりやすく書かれています。家電製品は、こだわりがない限り、ある本質的な機能を買うのであって、その機能が働く限り、その道具を使い続けることが、ごく普通におこわれています。愛着とはいわないまでも、家電製品の多くは、壊れるまで使っていませんか。
 複雑な操作や技能が必要な車は、そうはいきません。車は便利ですが、道具としてだけでなく、人を傷つける凶器にもなりえます。車を使うためには、社会的にあるいは国家的に一定以上の技量を習得し、規則を覚えさせられます。車には免許が必要となります。車は、人命を脅かす存在でもあるので、たとえ免許をもっていたとしても、間違った操作をすると、運転手に対しては、罰則規定があります。
 そんな車でも、教習を受け、免許を取り、操作に習熟しさえすれば、どんな車でも、同じ操作方法で運転できます。ハンドル、ブレーキ、アクセルなどの配置、操作の基本は守られて製作されています。考えてみれば、ユニバーサルな装置であります。あの怪物のような高速の移動装置が、どれでも、だれでも、比較的簡単に使用できるような機能を持っているのです。それには、やはり長い間の努力と、ユーザーの意見、車の歴史が、最終的なヒューマンインターフェイスとして反映された結果ではないでしょうか。
 ところが、コンピュータは、ほとんど人が自己流でいろいろな操作をやります。日進月歩の進歩によって、コンピュータの能力は進歩しています。ハードウェアの能力向上に伴って、ソフトウェアの機能も向上します。そして、すぐに古いハードウェアでは使えないソフトウェアが主流になります。コンピュータも、人間が人間のために作った道具なんですから、人間中心で、つまりヒューマンインターフェースを重視したものであるべきはずなのです。
 キーボードも不便きわまりないです。たいして急いでない時はいいのですが、急いでいる時は困ります。私の場合では、書きたいことが今頭の中にあるのに、書き留められないというような苛立たしさがよく生じます。なんのことはキー入力が遅いだけなのですが、道具であるのなら、人間の能力を補ってほしいものです。どんなときにでも対応できる入力デバイスが必要だと思います。
 ディスプレイも長時間見ていると疲れます。長い文章であれば、一覧性も、全体を考えるときも、また考えながらの修正も紙の方がいいようです。デジタルのよさもわかりますが、メディアとしてすべての点で、紙の印刷媒体を越えているとは思いません。
 また、インターネットのスピードも、テレビや映画の動画を考えたら、まだまだ光ファイバーの普及は一部で、常に高速で配信できるとは限りません。私は、自宅ではBフレッツという光ファイバー回線を常時接続でインターネットを使用しています。高速なのは、早い回線が確立されている区間だけです。また、その早い回線もアクセスが増えると遅くなります。これは、通信回線の宿命です。需要と供給のバランスで、需要が増えれば供給能力も向上するでしょう。ところが、テレビは、どこでも、だれでも、いくらでも、同じ番組を見ることができます。だから、インターネットも通信手段としてはまだまだ不十分なのではないでしょうか。
 コンピュータは、道具としても、メディア、通信手段としても、まだまだ発展途上なのでしょう。このよう未完成なものですが、それなりの利点があるからこそ、皆、苦労して使っているのだと思います。
 このようにコンピュータやインターネットに疑問を投げかけている私ですが、いまやコンピュータなしには、仕事がはかどりません。研究におけるデスクワークは、大部分をコンピュータでします。各種の装置もコンピュータ制御です。連絡のほとんどはE-mailでします。学会発表の申し込みもインターネットを通じてです。論文の図表や原稿もパソコンで作成します。発表もノートパソコンのプレゼンテーションソフトでおこないます。
 こんな未熟なコンピューターやインターネットの発展に、私はいつまで付き合うのでしょうか。コンピュータの製作には多くのエネルギーが用いられます。そのくせ、まだ壊れてもいないのに、新しいものへと更新し、古いものは廃棄していきます。自分でも、心の中で、「これでいいのか」という矛盾を感じています。でも、後戻りのできないとんでもない坂道を転がりだしたような気がします。困りました。新年早々、書きながら悩んでしまいました。
 新年早々暗い話になってしまいました。でも、そろそろ自分たち自身で身の回りのことに目を向け、このような生き方、進み方がいいのかどうか、もう一度、立ち止まって考えてみることが必要な時期に来ているのではないでしょうか。