2003年12月4日木曜日

6_34 科学する心を育む

 私が、北海道に転居して、はや2年が過ぎようとしています。この2年間に、私は北海道の各地を回りました。今までにはない日数を野外調査で過ごすことになりました。そんな野外の自然から感じたことを、最後のエッセイとして綴りましょう。

 野外調査から研究がはじまる地質学では、野外調査に多くの時間を費やします。しかし、多くの研究者は年齢を経るにしたがって、仕事が忙しくなったり、体力も衰えたりして、野外調査の日数が減っていきます。以前の職場では、私がそうでした。年間を通じて野外調査にでることは、海外調査を除くと、年間に数日程度でした。地質学とは自然の中にある地層や岩石を詳しく調べ、試料を採取して、それを室内で詳しく調べていくというもののはです。そんな調査を10年以上おこなってこなかったのです。そんな自分が、自然や地球について市民に語っていたのです。これでは、いけないと強く感じました。
 北海道にきて、私は自然に接することを心がけました。そのひとつの活動として、今まで怠っていた野外での地質調査を再開することにしました。私がいる大学は、文系の大学で、理系の教員も少なく、地質学をおこなっているのは私一人です。大学の理学部でおこなっているような地質調査からはじまる一連の研究をしていては、独創性が発揮できません。そこで、私は、特別な道具がなくてもできる野外調査を中心とした地質学をおこなおうと、テーマの模索を始めました。
 でも、テーマ決定よりも、まず最初にすべきことは、自分自身の自然への回帰でした。北海道の自然によりよく接すること、つまりは自分自身の自然に対するリハビリテーションに1年間を費やしました。北海道でのテーマ探しは、その後のことです。
 そして今年の春から、本格的に野外調査をはじめました。数えてみると、昨年12月から今年の11月末までの1年間で、私は55日間を野外調査に費やしたことになります。この調査時間は、地質学者として多いかどうかわかりません。多分、少なくはないはずです。もっと長時間、野外調査に費やされている方もおられるでしょうし、以前の私のように室内実験を中心にされている方もおられるはずです。なにを目的にするかの違いでもあります。私は、野外調査を研究手段として重視することにしました。
 私の野外調査は、テーマも変わっていますが(あとがきを参照)、やり方も変わっています。多くの研究者は、野外調査にでるとき、一人か、あるいは共同研究者、大学院生、学生などと一緒で、同業者ともいうべき地質学を研究する人と一緒に行きます。以前の私もそうでした。
 多分、自分の家族とともに出かけることは、ほとんどないでしょう。でも、私は、北海道に来てから、個人でおこなう野外調査では、可能限り家族を同伴するようになりました。もちろん、家族が一緒ではだめな野外調査もありますが。
 なぜこのようなことをしているかというと、それは、私の野外調査では家族が一緒でもできるような手法であることもさることながら、子供たちが私の研究していること面白く思えるかどうかを確かめる意味もあったからです。家族同伴の野外調査を昨年の12月から数えてみると、29日になります。この日数は家族サービスにしては度を越えています。家族サービスではなく、家族の言動や反応を観察することも、私の研究だと考えていました。家族の振る舞い、特に子供たちの自然に対する行動、好奇心の持ち方、私の説明に対する反応などを、ちらちらと観察していたのです。
 おかげで我が家の子供たちは、いろいろなところに出かけていきました。今年だけでも、四万十川、石狩川、留萌川、尻別川、後志利別川、沙流川、鵡川、十勝川などで、源流から河口までたどる調査に同行しています。5歳と3歳の男の子ですが、たいていのところへは、一緒についてこれました。次男が無理でも、5歳の長男であれば、たいていところは手を貸せば、崖でも藪の中でもついてこれます。かえって家内のほうが足元のおぼつかないときもあります。
 調査地点につくと、私は予定の調査をはじめます。調査は30分から1時間ほどかかります。その間、子供たちは川原で自由に遊びます。石や砂、泥、水などがあれば、子供たちも家内も楽しく遊んでいます。
 私が求めているのは、これです。知識などなくても、自然の中に連れ出せば、好奇心をいっぱいにして夢中になれるのです。自然は、好奇心を起こさせるもっとも手っ取り早い場であり、素材です。あとは、好奇心を探求する心へどう導くのか、あるいは科学する心を育むにはどうすればいいのか、これらが課題として残ります。これが、私の研究テーマのひとつなのです。
 逆に教えられることも、いろいろあります。十勝川の川原では、十勝石(黒曜石のこと)を探したのですが、見つけたのは私ではなく家内でした。家族は見たこともない石を私から口で説明を受けただけで、探して見つけたのです。これには私も面目をなくしました。実は、私はこのあたりには十勝石が少ないだろうという先入観があったため、家族には探せといっていたのですが、内心では、ないだろうなと思っていたのです。ですから、見つけようとしていないものは、見つかるはずがありません。多くの一生懸命な目でみると非常に稀なものでも見つかるのです。家内が見つけたあと、私も目の色を変えて探したのですが、面目は立ちませんでした。
 先日支笏湖に出かけました。11月中旬だったので、あちこちの道が冬季閉鎖がはじまり、通行禁止になっていました。これは誤算でした。しかし、樽前山はまだ、閉鎖されていませんでした。7合目より少し上の展望台まで子連れで登りました。大きな段差の階段状の登りがしばらく続きましたが、次男も家内、もちろん長男も登ってきました。森林限界を越えたところが展望台です。一気に展望がひろがり、きれいな樽前山やその向こう側の風不死岳の姿、さらに向こうには支笏湖と外輪山の山々が見えました。樽前山はまだ、噴気活動が活発で、火口内には立ち入り禁止です。
 ここから見える山々すべてが火山の活動でできたというと、長男は理解したようです。足元にあるすべての白っぽくて軽い石(軽石)が上に見える火山から飛び出してきたものであること。あちこちに転がっている直径50cm以上もあるような大きな重そうな石(火山弾)も、噴火口から飛んできたということ。そんなことを体感できたようです。さらに、下に見える大きな支笏湖(カルデラ)も火山の噴火でできたというと、驚きをもって実感したようです。カルデラをつくるような火山活動は、今見ているような穏やかな山の姿ではなく、とんでもなく激しいものだということが、見えない過去を想像しながら、理解できたようです。
 子供には地図は理解できません。カルデラの規模や外輪山の規模は、見ることでしか確認できません。でも、目で見たことは、体感的に理解できます。そして、周りの山々がすべて火山で、その中にある大きな湖から、大規模な火山の規模が想像でき、それがとんでもない事件だということを、子供にも理解できるのです。こんな気持ちを育むことが、自然のよき理解へとつながるのではないでしょうか。
 自然という野外でしか見れない素材はインパクトのあるものです。生の自然を自分の目で見て感ることから好奇心が生まれます。そんな好奇心から、深く考えることで、目では見えないけれども、過去に起きた大事件がわかるのだということを身を持って理解できます。誰でも同じような感動や理解が得られるはずです。私は、そんな、感動や理解を与える方法、わかりやすく科学を伝える方法を開発したいと考えています。完成にはまだまだ時間がかかりそうですが、私の目指すべき方向です。
 さて、今回がこの連続エッセイの最終回となります。最後が家族の話なのでどうしようかと思いましたが、樽前山をテーマに書き出だしたら、このような話になりました。でも、この1年間、私が力を入れてきたテーマでもあります。だから親ばかと呼ばれるかもしれませんが、掲載することにしました。
 研究者としてやるべきことには、幅があります。先端の分野を追いかけて成果を上げることも科学です。ひとつの地域、ひとつのテーマを深くじっくりと追求していくことも科学です。市民にわかりやすく自然の面白さを伝えることも科学者の仕事のはずです。科学する心も芽生えさせるのも科学者の仕事です。いろいろな科学の仕事があってもいいはずです。
 研究者は、研究テーマとなっている自然や、それを科学することを面白い思っているはずです。そんな気持ちをより多くの人に伝える機会や場がもっとあっていいはずです。研究の成果だけを専門家間で伝えあうことだけが科学ではないはずです。市民にわかりやすく伝えることも重要なはずです。自然や科学することが面白いと思う気持ちをより多く人に起こしてもらうこと、これを私は重要な研究テーマとして取り組んでいます。
 より多くの人たちが、科学に対して理解してくれれば、その延長線上に、科学のために国の予算が使われていることも納得されるのだと思います。そんな科学への理解がより深まることを願って、このサイトでのエッセイの連載を1年間続けてきました。
 もともと1年間の予定ででもあったし、ERSDACが業務の合間にホームページを作成するもの大変になってきたので、これで区切りといたします。今後、私が衛星画像とどうつきあうかは、自分自身で考えていかねばなりません。その答えはまだ出ていませんが、宇宙からの視点は、興味深いものです。子供が川原の石で好奇心をもつように、私も衛星画像を好奇心いっぱいに眺めていこうと思っています。