2003年7月17日木曜日

5_25 海底は何からできているか(その2)

 研究者は智恵と技術によって海底の石を手にとって調べることができるようになりました。そんな知識から、海底の姿がわかるようになってきました。

 ボーリングという大地をくりぬく技術が、海底でもできるようになって、海底をつくっている岩石の様子が、わかるようになりました。海底の岩石を順番に見ていきましょう。
 海底のいちばん表層には、堆積物があります。海底の堆積物とは、微生物の遺骸です。潜水艇がもぐる映像をみると、真っ暗な深海に雪のように降り積もるものがあります。これは、プランクトンの死骸です。死骸の有機物の部分は時間がたてばなくなりますが、硬い殻の部分が残ります。硬いからは二酸化珪素からできます。これが固まったものが、チャートと呼ばれる岩石です。
 チャートは縞状をしています。これは、プランクトンの活動が活発なときと活発でないときがあるためだと考えられます。例えば、暖かい時と寒い時、雨期と乾期などの季節変化が起こる場合です。
 生物の活動の低下しているときには、チャートになるために二酸化珪酸はほとんどたまりません。二酸化珪素がたまらないときには、量は少しですが、遠くの火山から飛ばれてきた火山灰やはるか大陸から飛んできた細かいチリが、粘土としてたまっていきます。このような季節による生物の活動量の変化が縞模様に原因となります。細かいチリは、いつでも少しはふっているですが、生物の活動が活発なときには、ほとんと目立たなくなります。
 チャートの下には、玄武岩とよばれる黒っぽい火山岩があります。玄武岩は、富士山や伊豆大島などの陸上の火山でも見られる岩石です。しかし、同じ玄武岩でも、海底の玄武岩は、枕を積み重ねたような不思議な形をしています。このような玄武岩を枕状溶岩と呼んでいます。
 枕状溶岩は、海底あるいは水中でしかできないつくりです。マグマが水中で噴出すると、水は冷たく、マグマを急速に冷まします。冷めたマグマは岩石として固まります。でも、表面が岩石として固まっても、中にはまだ溶けたマグマあります。岩石自身は断熱効果が強く、熱を伝えにくいためです。
 あたからあとからマグマが噴出す火山噴火では、岩石の弱いところを見つけて、マグマが飛び出します。それは、まるで、マヨネーズをチューブから押し出したように、丸い円筒状にマグマか流れ出ます。そんなマグマも水に冷やされ岩石として固まります。海底火山では、これが繰り返されることになります。枕状溶岩は、水中でのこのような繰り返しでできたものです。
 枕状溶岩の下には、不思議なものがあります。それは、溶岩の数cmから数十cmくらいの厚さの岩石の板が平行に並んでいるものです。一枚一枚が枕状溶岩を供給したマグマの通り道だと考えられています。
 マグマが地下から上昇してくると、上にあった岩石が割れてます。するとその割れ目が、直線的に延びるため、マグマもその割れ目を埋めていきます。マグマの供給が止まると、その通り道が岩石の板として固まるのです。このような岩石は、岩脈(かんみゃく)と呼ばれます。岩石は玄武岩か玄武岩がややゆっくりと冷えて粒の大きくなったドレライトと呼ばれるものからできています。海底では、マグマがいつも同じ割れ方をするところに供給されていることがわかります。
 岩脈の下には、マグマがたまっていた場所である「マグマだまり」が固まったものがあります。斑れい岩と呼ばれる岩石からできています。斑れい岩は、玄武岩と同じような成分の岩石ですが、ゆっくり冷えたため、粒の大きな結晶からできています。
 マグマだまりの底には、マグマが冷えるといちばん最初にできてくる結晶でマグマより重い鉱物が沈んでいきます。マグマの底には、このような鉱物が縞状になってたまっています。これを層状かんらん岩とよんでいます。かんらん岩とは、マントルを作っている岩石と同じものです。ですから、このかんらん岩から下は、地震波などでマントルと同じ様な性質をもったものとなります。
 さらにした下には、マントルのかんらん岩でも、上の方に玄武岩のマグマを供給した残りかすのマントルがあります。このようなマントルの岩石はハルツバージャイトとよばれるものです。
 さらに下には、溶けた経験のないかんらん岩からできたマントルがあります。
 これが、海底下にある大地の構成です。多くの海底を調べた結果、この岩石の並びや、岩石の性質が非常に一様で似ていることが、海底の大きな特徴となっています。つまり、これは、陸地の岩石と違って海底の岩石が、いつでも、どこでも同じようなつくられ方をしていることを意味しています。

・科学者も人間・
Shiさんから、私は、「感情の薄い方」だと思われていたようです。
それが、私の前の母に関する文章で、そうでなかったと気付かれたそうです。
そんなメールに対して、私は、つぎのような返事を書きました。

「科学者も人間です。
そして、私は、理性的でありたいとは思っていますが、
感情に負ける人間です。
それは、つくづく思います。
以前、べつのところでも書いたことがあるのですが、
曽祖母や祖父の死の時はあまり感情的にならなかったのですが、
身近な肉親のして父の死があり、そのとき感情に理性が負け驚きました。

その父は、数年に亡くなりました。
実家は京都の田舎なので、田舎風の昔ながらのやり方で、葬式をしました。
初七日まで、毎日人がきて、何らかの行事がありました。
毎晩、喪主として立ち会わなければいけませんでした。
当時、Y大学で非常勤の授業を受け持っていたので、
たった1講のために京都-横浜間を新幹線で日帰りをしました。
でもこんな忙しさも葬式につきもののようで、
気を紛らわすという効用もあったようです。

それまで、自分は科学者であり、
おっしゃるように非常に理性的で、
感情に負けない理性を持っていると思っていました。
それまで、涙は出なかったのですが、
しかし、父の棺を閉める時、焼却炉の前で最後の別れの時、
突然自分でもわからないほど、涙が出て止まらなくなりました。
そのとき、心の隅に追いやられていた理性が、最後の最後に思ったことです。
「やっぱり自分にも、どうしようもない感情があったのだ」ということです。
それがもしかすると、理性に偏りすぎた私の生き方に対して、
最後に父が教えてくれたことかもしれません。

それはあまりにも大きな教えでした。
私は、すべてを合理性や理性によって考えることが正しいと考えていました。
そして、自分は今までそうしてきたし、
他の人も自分と同じように、頑張ったり、望んだりしたら
合理的な考え方になれるものだと考えていました。
でも、そんな理性的である自分のような人間にも
おさえ切れない感情があること、
そして当然他人にも同じような感情があることを身をもって知ったです。

自分にも他人にも、感情を認めることにより、
今まで簡単に解決できると考えていたことに、
解決不可能な部分があることが、身につまされて教えられたのです。
理屈では済まない部分を認知するということです。
その土俵でも、ものごとを考えなければならないということです。

私の興味はそちらに急速に向かっていきました。
父の出した宿題をすることです。
でも、これは、理性で感情をコントロールしようとしても
「いくらやっても解決できない」ということが、
私の現段階での答です。
人間である限り、感情の世界は捨てきれません。
感情の存在、それが心の全域を覆うこともあるということを
認めることにしました。
ごく当たり前の答えです。
でも、私は、感情に流されながらも、私は合理性の世界を目指します。
つまり、感情と理性の全面解決は求めない。
少しでも多くの人の役に立てばと考えるようになりました。

こんな簡単な答えを出すのに5年もかかりました。
もう父の宿題も終わりにしようと考えています。
大変、長い時間のかかった宿題でした。
でも、自分の世界を大きく広げる結果となりました。
父に感謝しています。
そして、母を大切にしていきたいと思っています。
ありがとうございました。」

というものです。
私も、そしてすべての科学者も人間です。
ただ、理性を重んじています。
でも、感情も併せ持つ人間です。