2003年5月15日木曜日

4_30 活きている川:四国の旅1

 「日本最後の清流」と呼ばれる四国高知県を流れる四万十川の源流から河口まで、丸3日間かけて、川沿いを車で巡りました。そのときの感想を書きましょう。


 四万十川は、不入山(いらずやま、標高1336m)の東側斜面、標高1200m付近を源流としています。四国カルストの南側の斜面にあたります。そのため、源流の岩石には、石灰岩が目につきました。
 源流へは、林道を車でしばらく入ったのち、車を降りてから、しばらく歩きます。でも、有名な四万十川ですから、道がはっきりしています。そんな山道をしばらく歩くと、源流にたどりつきます。源流には、看板がありました。親切だし、ありがたいことですが、その親切さが、すごく自然の中に人工的なものを感じ、違和感がありました。
 源流には、きれいなせせらぎありました。いかにも源流、という雰囲気を見せていますが、本当の源流はさらに上部のところにありそうです。その道は、さだけでなく、険しくなっていきそうです。これ以上いってもきりがないかも知りません。
 源流付近のきれない水の流れが見られのは、このあたりなのでしょう。それが源流の看板がありました。車を降りてから、20、30分ほど歩いたあたりですので、それなりの雰囲気がありました。それに、多くの人間がむやみに分けるいることは、余りしないほうがいいに決まっています。
 なにより、あの有名な四万十川の源流が、私のように遠くから訪れたものにとっては、はっきりとわかり、道もはっきりしているので助かります。さて、この源流から、今回の川の旅がはじまります。
 四万十川は、全長196kmあり、全国では11番目の長さとなっています。上流は急傾斜ですが、中流からは、蛇行を繰り返しながら、河口へいたります。しかし、今回、砂と石の資料を収集しながら、歩いたのですが、砂がすごく少ないような気がしました。河口にはもちろん、大量の砂が、ありましたが、砂を探すのに苦労しました。川の石は、さすがにダムがないので、きれいなものが、とれました。河川の石は、上流では、角ばっていましたが、河口では、教科書どおり、石は丸く平べったくなっていました。
 四万十川は、「日本で最後の清流」といわれているように、確かにきれいな川でした。しかし、ところどころに、コンクリート護岸されているところもありました。取水堰もありました。河口は、激しくいじられていました。港を守るためでしょうが、自然が多く残されれいるだけに、人工の部分がすごく不自然に目立ちました。上流から、自然の河川をみてきたので、下流の人為には、すこし興ざめしましたが、でも、四万十川は、いい川でした。
 なぜなら、なによりそこには、川で生活している人、川を楽しんでいる人、川を利用している人、川と共存している人がいます。つまり、川を川として利用されている川がありました。川と人、自然が共存していると感じました。人ともとに生きてきた川がありました。

・語源・
源流の看板には、「シ・マムタ」の川と書いてあった。
「シ・マムタ」とは、アイヌ語で、「はなはだ美しい」という意味だそうです。
それが、四万十の語源という説もあります。
四万十川の名称には、他にもいろいろ異説があるようです。
四万川と十川という川の名が一緒になったとか、
支流が、四万十本もあることからとか、
流域の山林が、四万石の船で10回採集できるほど
などの説があります。
本当のところは決まっていないようです。
しかし、流路に対して流域面積は、12km2/kmとなり、
日本では最小とされています。
つまり、狭いところを蛇行をして流れ下っています。
川の中流で海まで8kmしかないところがありますが、
地形の関係で、遠回りして、四万十川は海へと向かいます。

・源流へ・
源流は、未舗装の林道をしばらく走ることになります。
林道をしばらく走ると、碑があり、そこから約30分、登ることになります。
上り始めてすぐに、バイクのライダー姿の若者が、
なかなかたどりつかないので途中で引き返してきた、といってたので、
子供づれだったので、登れるかどうか心配でしたが、
なんとか登ってくれた。
のんびり登れば、5歳と3歳の子供連れであるいても、ゆっくりいけました。
3歳の子供は、危ないところは抱っこやおんぶはしまたが、
5歳の子供は、手を引くだけで、歩ききりました。
往復1時間ほどの山登りでした。
子供は探検をしたと喜んでいましたが、
小さな子供づれだったら
四万十川の源流へ行くことはあきらめなければならないかな
と覚悟をしていましたが、
私は、なんとかいけたことが一番うれしかったです。