2003年4月10日木曜日

5_17 オルバースのパラドックス

 「夜はなぜ暗いのか。」なにを当たり前のことをいうのかと思われる方も多いと思われます。いいかえましょう。「夜空はなぜ暗いのか。」同じことのように思えますが、じつは、ここに、不思議なこと、パラドックスがあったのです。

 19世紀前半のドイツのアマチュア天文学者、H.W.M. Olbersは、英語読みでオルバースと呼ばれることが多いようです。「夜空はなぜ暗いのか」という疑問は、オルバースが発したものですもので、「オルバースのパラドックス」と呼ばれているのです。
 詳しく説明しましょう。
 肉眼で夜空を見るより、望遠鏡で夜空を見たほうが、多くの星がみえます。では、望遠鏡をもっと高性能にしていくと、望遠鏡の能力にあわせて、より暗い星も見えてくるはずです。では、望遠鏡の能力をどこまでも上げていけば、より暗い星がどんどん見えていくはずです。
 オルバースの生きていた時代の常識的な見解から、つぎのような仮定をします。
・星の平均的な明るさは、遠くても近くても同じである
・星は平均すると、無限のかなたまで一様に分布している
という仮定です。
 この仮定をもうけると、以下のような考えが導き出せます。
 星の数を考えます。地球を中心とする球体のある範囲の中(これを球殻といいます)にある星の数は、近くにある星の数は少ないはずです。小さいときは、球殻の中にある星は、近いために、明るく輝きます。遠くの星は、地球から見ると暗くなります。でも、遠くには、半径が大きくなる分、球殻の体積が大きくなり、多くの数の星が含まれるはずです。
 上の前提のもとでは、どの球殻からもある一定の光を送ってくるはずです。各球殻から来る光が弱いとしても、もし、無限のかなたまで、星があるとすると、弱い光も無限に集めれば、明るくなります。つまり、夜空は明るくなるはずです。なのに、夜空はなぜか暗いのです。
 ある前提から導かれる結論と現実が一致しません。そのような矛盾を、オルバースのパラドックスと呼んでいます。このパラドックスは、前提か論理のどこかに間違いあるから起こっているはずです。論理は、単純で、簡単に計算式もつくれます。ですから、論理は、間違っていないようです。となると、前提が間違っていることになるはずです。
 前提の最初のものが間違っているとすると、「遠くの星ほど暗くなっている」ということが、あるかどうか。これは、「暗く見える」可能性があります。星の光が、すべて地球に届いているのではなく、途中で光をさいえぎるものがあれば、その光は、届きません。例えば、各球殻に一箇所、後ろの光をさえぎる星や雲のようなもの(星雲やガスなど)があると、後ろにどれほど星があっても、地球には届きません。ですから、遠く星ほど、このような効果を受けやすくなります。つまり、実際に星があっても、光は届かないということがおこっているのです。
 また、宇宙が膨張していると、遠くの星ほど、遠ざかるスピードは速くなるという効果を生みます。すると、光も遠ざかるスピードに応じて、赤側にずれていきます。ずれが大きくなると、赤から紫、紫外線、そして見えない波長へとずれていきます。そうなると、遠くの星は、地球からは肉眼、あるいは光学的には見えなくなります。
 前提のひたつめの「星は無限のかなたまで一様に分布していない」という可能性を考えてみましょう。これは、銀河を考えると、一様でないことがわかります。銀河に模様があるということは、星がムラをもって分布しているということです。地球は銀河の中にいます。私たちが属している銀河を、地球から見ると、天の川としてみえます。つまり、明るいところと暗いところがムラをもって見えているのです。
 また、銀河をでると、次の銀河まで、星はほとんどありません。つぎの銀河には、たくさん星があります。でも、遠くの銀河は、銀河自体を、一つの光源として扱うことができます。でも、この銀河も、構造を持っています。それは、泡状構造というものです。洗濯の時にでる泡のような構造をもっています。泡の幕のところに銀河が集まり、泡の空気のところには、銀河がほとんどありません。宇宙の銀河による構造は、そんなムラを持った構造となっています。
 ということから、オルバースのパラドックスは、もはやパラドックスではありません。オルバースの誤解だったのです。

・創造性・
これは、Shiさんから、受けた質問に答えたものを
加筆修正して書いたエッセイです。
質問とは、大分内容が変わってきましたが、面白いテーマだと思います。
オルバースの発想は素晴らしいと思います。
こんなことを気付いた人がいたということが非常に重要です。
このパラドックスをといていく過程で、
当時の常識的な考え(前提)が間違っていることがわかってきたのです。
この例のように、一見当たり前に見えることに疑問を感じて、
そしてそれを疑問として提示することに独創性を感じます。
最終的に、現代の宇宙論に通じる重要なヒントがあったのですが、
そのようなことがなくても、
常識に疑問をもてること、このような発想ができる人は、
その疑問を解くことより素晴らしいことではないのでしょうか。
問題は与えられれば、解く努力ができます。
個人だけではなく、多くの人が取り組むこともできます。
問題に答えがあるのなら、やがては解けるはずです。
でも、問題を見つけること、疑問を提示すること、
そのことのほうが、より大きいな創造性が必要ではないでしょうか。