2003年3月27日木曜日

4_29 有珠山:厳冬の道南2

 有珠山を訪れるのは何度目でしょうか。正確には覚えていませんが、数度訪れています。そんな有珠山は、私にとって、地質学者としてではなく、一市民として、印象的な火山です。そんな有珠山についてみていきましょう。


 道南の旅の目的は、火山を巡る旅でもありました。今回まわったコースでも、いくつもの火山があります。しかし、今回の火山では、やはり、有珠山をみることがいちばんの目的でした。噴火後8ヶ月ほどたった2000年11月に、一度訪れたのですが、まだ激しい噴煙をあげていました。避難生活をしている人も、いましたので、観光気分で眺めるのがはばかられました。
 今回は、噴火も一段落していました。噴気はまだあがっているのですが、噴火の危険性はなく、噴火口の散策路も整備されて、安全に見学できるようになっていました。ただし、私が行ったときは、散策路は雪のため、閉鎖されていました。噴気を、遠くから眺めるだけでした。
 有珠山は、2000年3月31日に噴火しました。この噴火では、4日前に予知されて、警告が出され、住民全員非難しました。そのおかげで、道路や鉄道、建物には被害が出たのですが、死傷者や負傷者なかったのです。
 予想通りの西山腹で噴火しました。研究者の予測を裏切らないことから、有珠山は「嘘をつかない火山」と呼ばれました。
 私は、2000年の噴火は、テレビで見ていました。私は、地質学を専門としていますが、活火山は研究の対象としていませんでした。ですから、火山活動があったとしても、傍観者として眺めるだけでした。しかし、有珠山だけは、印象深い火山なのです。
 有珠山は、2000年より前の噴火は、23年前の1977年(昭和52年)8月6日から地震がはじまり、7日に山頂から激しい噴火が起こりました。9日までの3日間に激しい噴煙を上げました。噴火は、断続的に1978年10月27日まで続きました。その後も、地殻変動や地震は、1982年3月まで継続しました。火口内に有珠新山ができました。
 有珠山は、地質学者にとっては、非常に印象深い、噴火として1943年のものがあります。時は、太平洋戦争のさなか、1943年(昭和18年)12月28日に火山性の地震がはじまり、翌年には震源が東麓に移動し、麦畑が隆起をはじめました。5月には隆起量は50mになりました。隆起は、最終的には、標高405.9mにも達しました。
 その様子は、地元の郵便局長の三松(みまつ)正夫氏が克明に記録していきました。1944年5月から、1945年9月まで隆起の様子を書いたグラフは、後に、三松ダイアグラムとよばれ、火山ドームの成長過程を記録していたのです。1948年の国際火山学会で発表され、火山学者からも高い評価を受けました。6月になると上昇したマグマが、水蒸気爆発を、何度もおこし、火山灰を降らせました。3年にわたる火山活動は、1945年9月に終了しました。
 有珠山は、2万年頃から7000年にかけて、外輪山を形成する活動がありました。1663年以降、有珠山は、2、30年から100年に一度の頻度で、8回の噴火しています。記録としては、1663年(休止期数千年)、1769年(休止期106年)、1822年(休止期52年)、1853年(休止期31年)、1910年(休止期57年)、1943~1945年(休止期33年)、1977~1978年(休止期32年)、2000年(休止期22年)の活動が、新規の活動と呼ばれています。
 火山とは、噴火という恐ろしい災害をおこします。でも、考えてみると、噴火は、数年続きますが、噴火をしてないときの長い年月、火山は、温泉、景観、そして、観光客をもたらします。
 温泉地の人びとは、火山と共存しているのです。確かに、2000年の噴火口も、観光地として利用されていました。噴火なんかにへこたれない、そしてしたたかな人びとを見せて、心強くしました。

・1977年の噴火の思い出1・
1977年の噴火には、いくつかの思い出があります。
1977年、私は、大学で、地質を専攻することに決めた年でした。
有珠山の噴火によって、火山灰が札幌でも降ったのが、印象的でした。
それにも増して印象的だったのは、
私が専攻した学科は、有珠山の噴火で、
右往左往しているあわただしでした。

・1977年の噴火の思い出2・
噴火が続く中、1978年春、私は、友人と有珠に出かけ、
登山禁止でしたが、火山を眺めるために、登山をしました。
地図を頼りに、火口の眺められる火山灰の中を登っていきました。
そして、登山禁止にも関わらず、稜線に出ると、
多くの人が歩いた踏み跡が道としてありました。
火口を眺められるところでは、缶ジュースの空き缶が数個ありました。
さらに印象的だったのは、火山灰の斜面を登っているとき、
深い火山灰を掻き分けるようにして、
エンレイソウの蕾が伸びてきているを見つけました。
生命力の偉大さに感動しました。

2003年3月20日木曜日

4_28 湧水:厳冬の道南1

 2002年12月下旬に、家族で北海道の南部のほうを見て回りました。そのとき、羊蹄山(ようていざん)の麓を回りました。そして、いくつもの湧水があるのをみました。湧水とは、湧(わ)き水のことです。湧水について紹介していきましょう。

 今回訪れた羊蹄山(ようていざん)の周辺も、名水で有名な湧水があります。羊蹄山は、別名、蝦夷(えぞ)富士とも呼ばれています。すぐ西側には、スキーで有名なニセコがあります。羊蹄山は、2万5000年前から6000年前くらいまで活動した、成層火山です。
 北海道は、本州同様、数々の火山があります。そして、火山があれば、温泉があります。火山というと、観光と温泉を思い浮かべますが、大きな火山の周辺では、湧水も、じつは名物となっています。羊蹄山周辺にも湧水はたくさんあるのですが、富士山、箱根、阿蘇、大山などの大きな火山周辺では、湧水、名水の産地でもあります。
 羊蹄山には、北東山麓にある京極町の「羊蹄のふきだし湧水」や南の山麓にいくつもの湧水があります。富士山には忍野八海(おしのはっかい)や柿田湧水、箱根では足柄平野の各地の湧水(富水、蛍田などという地名がある)、阿蘇山には白川や産山村(うぶやまむら)の池山水源、大山には蒜山(ひるぜん)など、名だたる湧水地があります。
 もちろん、火山にだけに湧水があるわけでありませんが、大きな火山には、どうも湧水ができる仕組みがあるようです。なぜ、大きな火山の周辺には、湧水地があるのでしょうか。
 湧水とは、地下水が、湧きだしているところです。地下水とは、広義には、地面より下にある水すべてを意味し、狭義では、地中で大気圧以上の圧力をもち、地表へ自然にしみ出す水のことです。狭義のものには、井戸やトンネルで出る水や、泉となって出てくる水のことです。
 地下水のもととなる水は、マグマに含まれていた水(処女水といいます)と、雨水や、地層の間にあった水などがありますが、大部分は、雨水に由来するものだと考えられています。
 泥や粘土などの水を通さない不透水層があり、その上に粒のあらい砂利などの水をためやすい帯水層があれば、そこに地下水がたまります。ですから、雨水がたくさんあるところは、地下水が豊富にあり、地下水が効率的に集まる不透水層と帯水層があるところに湧水ができます。
 成層火山は、このような仕組みを満たしていることになります。成層火山などの大きな火山は、雲がかかり雨が降りやすく、標高が高く雪が降りやすい地形となっています。また、たくさん降った雨や雪は、地下にしみこんで地下水になります。地下水は、火山そのものをつくる溶岩、火山砕屑物、火山灰の中にしみこんでいきます。粒の細かい火山灰が不透水層となり、そのうえの溶岩や粒の粗い火山砕屑物が帯水層となっています。ですから、大きな火山の麓には、湧水があるのです。

・名水・
名水というのは、魔力的な魅力があるのでしょうか。
それとも、本当においしいのでしょうか。
そんなことを考えてしまいました。

今回訪れた「羊蹄のふきだし湧水」は、
環境庁(現在、環境省)の名水百選にも選ばれています。
観光バスが多数とまって、外国からも、観光客がたくさん来ていました。
また、大きなポロタンクをソリに何個も載せ、
水を汲みに来る人がいるのにも驚かされました。

今回訪れたときは、公園の歩道や水源の中を補修していました。
工事中の中にもかかわらず、多くの人が水を汲んでいました。
そして、私も、500mlのペットボトル1本に試しに水を汲みました。
しかし、よく見ると、工事の看板に、
「工事中につき、1時間ほど水汲みはやめてください」
とありました。
確かに、水源のなかに、人が入って作業をしていました。
それも気にせずに、そのすぐ下流で水を汲んでいるのです。
私の汲んだ水をみましたが、にごりもなく澄んでいました。
試しに、一口、飲みましたが、まずくはありませんでしたが、
あまりいい気分がしませんでした。
多くの人は、そんなことを気にせずに、
汲んでもって帰り、飲んでいるようです。

これぞ、名水の魔力と思いました。
翌日は、別の湧水に出かけてみましょう。

2003年3月13日木曜日

6_25 3月の誕生石

 3月の誕生石は、サンゴ、コハクとアクアマリンです。3月の誕生石には少々変わり者がふくまれています。

 3月の誕生石のうち、サンゴとコハクは鉱物ではありません。宝石とはいいながら、少々変わっています。
 サンゴは珊瑚と書きます。宝石として用いられるのは、サンゴとは、生物の外骨格で、小さなサンゴ虫が集まったものです。つまり宝石のサンゴは、動物の骨で、炭酸カルシウム(CaCO3)でできています。炭酸カルシウムは、鉱物名では方解石やアラゴナイトとよばれるものになります。サンゴには化石として地層から出てくるものもありますが、宝石として利用されているのは、地質学的には現在のもの(現生といいます)といえます。
 サンゴは、暖かい海(表面海水の温度が16℃より低くならないところ)でだけ成長する生物です。サンゴには色とりどりのものがあります。そんな色のきれいなものが宝石として利用されてきました。宝石となるサンゴは、アカサンゴとよばれるものが、その代表的なもので、古くから珍重されてきました。
 コハクは、琥珀と書きます。コハクは、化石です。昔の木の樹脂が固まって化石となったものです。現生の樹脂は、コハクとはいいません。長い時間をかけて固まったものをコハクといいます。固まった樹脂ですから、中には、樹脂を食べに来た、虫が入っていることもあります。
 コハクは軽く(比重1.04~1.10)、やわらかく(硬度2~3)、熱にも弱いため、取り扱いには注意が必要です。比重が小さいので、地層から流れ出したコハクが、水に浮くので、遠くの海岸にうちあげられることがあります。
 アクアマリンは日本名が藍玉(らんぎょく)です。アクアマリン(aquamarine)の語源はラテン語で、aquaは水を、marineは海を意味するmarinaから由来しており、海水という意味になります。語源が示すように、透明感のある薄い青色をしていますが、青緑色や青色があります。青みの強いものが高価とされています。しかし、緑がかった色のものです、加熱すると、青色に変えることができます。
 鉱物名は、ベリル(緑柱石)です。エメラルドもおなじベリルなのですが、アクアマリンの青は、少し含まれる鉄(Fe3+)の色です。アクアマリンは強くて丈夫な結晶で、傷のない大きな結晶としてでることがよくあります。そのために宝石としては、エメラルドより安くなってしまいます。

・七宝・
七宝というものをご存知でしょうか。
七宝と書いて、「しっぽう」あるいは「しちほう」と読みます。
仏教の経典に由来するものです。
読んで字のごとく、七つの宝石のことです。
7つの宝石の種類は、経典によって多少の違いがありますが、
金、銀、真珠、瑪瑙(めのう)などに加えて、
琥珀(こはく)と珊瑚(さんご)が入っています。
3月の誕生石のうち、2つが入っているわけです。
コハクは、ヨーロッパでも、古くから装飾品として利用されてきました。
コハクは、古墳時代に勾玉(まがたま)や棗玉(なつめだま)として
加工されてきました。
コハクもサンゴも、人類とは付き合いの長い宝石なのです。

・父の宿題・
Nanさんから、メールをいただきました。
それに対して、私は返事を出しました。
少々長いのですが、掲載します。

「こんにちは。
お父様のこと、お悔やみ申し上げます。

私も、5年前の春に父が亡くなりました。
そのとき、父から大きな宿題をもらった気がしました。
少し長くなるかもしれませんが、もし時間があれば、お読みください。

私は、科学者を目指し、長年、科学的、つまり論理的、理性的にものごとを
見るべきだという考えを培ってきました。
ですから、もともとかどうか分かりませんが、
それが、私の第二の天性として、理性優先の自分をつくっていました。

感情は理性の次に来るもので、ものごとに感動することは、
もちろんありますが、理性がそれを超え、理性の元に感情がある、
つまり感情を理性がコントロールできるものと考えていました。

そして、父の葬式の時もそのつもりでした。
納官の時、私は、涙が流れて止りませんでした。
それを自分がつまり自分の理性が驚きを持ってみている気がします。
出棺のとき挨拶をする予定でしたが、しゃべれなくなり、
葬儀社の人に急遽お願いしました。
そのときには、理性は感情に完全に負けてしました。
そして火葬後、父の骨を拾った時も、涙こそ流れていませんでした、
感情に負けてしまった自分がいました。

こんな事態に出くわし、私、あるいは私の理性はあせりました。
今まで、自分は理性的人間である思っていたのです。
そんな理性的であると思っていた自分が、
感情に肉体が完全に支配されている自分、
理性が消えている自分をはじめて経験したのです。

理性と感情、この2つをどう自分の中で折り合いをつけるか。
それが、私が父からもらった、宿題でした。

それ以降、私は、ものごとの考え方を変えていきました。
それにいきくつくのに、3年近くかかりました。
その宿題の答とは、感情も理性も同等の重さがあり、
人間の肉体は、両者が住み分けているのだという、
極当たり前の結論でした。

それまで、私は、理性的人間で、感情的な人とは
相容れないものがあると思っていたのですが、
そんな感情的な自分がいることを知って、
感情的な人間も認めるようになりました。

科学とは相容れない迷信、信仰などを信じること、感情的に振舞うことも、
個人の感情、思い、つまり心の作用であるから、
それを否定する訳にはいかないことがわかったのです。
それを大いに認めることにしました。
そうすることが、自分の理性の世界を逆に理解してもらうことになるからです。
つまり、他者を認めること、それが自分のことを認めてもらうことの
第一歩になることに気付いたのです。
対立からは、発展は生まれないのです。
融合からさらなる進歩が生まれると考えるようになったのです。
ですから、宗教や迷信を否定するのではなく、
私の考えを、一つの考え方として論理的に、つまり自分のやり方で提示して、
その判断は他者に任すしかないということに気付いたのです。
そのためには、たとえ、迷信であろうが、
彼らの考えていることある程度理解しないと、
それをむやみに否定すること事態が、一種の感情的行為ともなります。
ですから、私は、他者を認めながらも、
自分の立場を可能な限り説明するという姿勢をとるようになりました。
まだまだ未熟で、必ずもうまくできませんが、
そうなりたいと考えて行動するようになりました。

そして父の宿題から、さらに2年たった最近では、
考え方がまた変わってきました。

人は、感情と理性を、時と場合によって、その比率を変化さています。
その変化が、人それぞれで多様性をもっています。
その多様性こそが、重要だということがわかってきました。

多様性の重要性は、私の研究にも反映されてきました。
それは、本当のありは超一流の独創性は、
主流と違った変わったものから生まれるからです。
つまり、独創性は多様性の中から生まれるのです。

独創性の多くは、失敗や偏見かもしれませんが、
100に一つ、あるいは、万に一つかもしれませんが、
ものになるもの、あるいは後に主流になるものが生まれてきたはずです。
それは、歴史を見れば明らかです。
そんな多様性を認める心が、より大きな発展を導いてきたのです。
それは、そのような多様性を認めるという環境があったからおこったことです。
それような多様性を認めない環境や社会こそ、注意すべきです。
私は、自分自身の独創性をつくりたいために、多様性を認めます。
それは他者のさまざまな個性を認めることでもあります。
まさに十人十色、それを認めることです。
この結論も、考えてみれば何のこともないことだったのです。
私は、もしかすると極当たり前のことを忘れてしまっていたのかもしれません。
そしてそんな馬鹿な私であることを父の宿題は
気付かせてくれたのかもしれません。

これが父の残した宿題の現在の答えです。
2年前よりさらに私は宿題を進めることができました。
そして、もしかするとそんな宿題を
さらに発展できるのではないかと思ってがんばっています。
こんな励みも元をたどれば、父の宿題からもらったものです。」

2003年3月1日土曜日

6_24 宇宙から地球へ

 2月1日午前9時00分(日本時間2月1日午後11時)、地球への帰還途中のスペースシャトル、コロンビア号が、空中爆発しました。異常が検知されてから、たった7分間のできごとでした。この事故で、7名の宇宙飛行士が、亡くなられました。ご冥福を祈ります。人為あるいは不可抗力などの原因は、これから究明されるでしょうが、根源的な原因は、高速で大気圏に突入すると、大気との摩擦によって高温になることです。そんな大気を突き破ってくるものがあります。

 宇宙から、地表にたどり着くのには、大気が抵抗となります。大気に突入してきた物質は、高温になります。小さなものが高速で突入してきたら、たいていは燃えつきてしまいます。そんな現象が流れ星です。流れ星は、地表に落ちることなく途中で消えてしまいます。別の見方をすれば、大気が地球のバリアとなっているのです。
 粒が小さくスピードの遅いものは、漂いながら、燃えることなく、地表まで落ちてきます。このような宇宙から落ちてくるチリを、宇宙塵(うちゅうじん)と呼んでいます。古くからあるビルの屋上を、箒ではいて、チリを集めると、なかにたくさんの宇宙塵が見つかることがあります。人には見えないほど小さいけれども、宇宙からの飛来者が、私たちの身近にいたのです。このような宇宙塵は、地球に、年間何十トンもふってくるという試算もあります。飛来者は、小さいけれどたくさんおりてきていたのです。
 大きなものが、宇宙から大気に突入してくると、高速であっても燃えつきることなく、地表まで達することがあります。これが、隕石です。隕石の「隕」とは、高いところから落ちるという意味です。ですから、隕石とは、まさに、空から落ちてきた石という意味なのです。
 隕石が小さいうちは、地表に小さな影響しか与えません。しかし、サイズが大きくなると影響は大きくなります。その結果として、クレータができます。地球の表面には多くのクレータが見つかっています。300個以上がクレータではないかとされ、そのうち198個は隕石の衝突と判定されています。
 私は、いくつかのクレータを訪れたことがあるのですが、中でもメテオー・クレータ(バリンジャー・クレータとも呼ばれます)は、印象的でした。
 アメリカ合衆国アリゾナ州、荒野の真ん中に、忽然と丸いクレータが現れます。メテオー・クレータ(Meteor Crater)のメテオーとは、隕石という意味です。隕石のよってできたクレータという名前です。名前が示すとおり隕石によってできたクレータで、世界で最初に隕石によるものと認定されたものです。
 1886年に、変な形をした鉄の破片が、クレータの西のキャニオン・ディアブロ(Canyon Diablo)というところから発見されました。これが大学に持ちこまれ、分析され、91%の鉄と7%のニッケル、0.5%のコバルトと少量のプラチナやイリジウムなどが含まれていることがわかりました。1905年に、バリンジャー(D. M. Barringer)は、このクレータが、鉄隕石がぶつかってできたものであると報告をしました。
 技術者でもあり法律家でもあったバリンジャーは、政府の許可をとり、1904年から、このクレータで鉄の採掘をはじめました。バリンジャーの発想は単純でした。周辺に大量の鉄隕石が散らばっているから、クレータの底には、もっと大きな鉄の塊があるはずだ、という考えです。それを掘りだせば、鉄として売って儲けることができるというわけです。ところが、いくら掘っても鉄の塊には、行き当たりませんでした。鉄隕石は、クレータの奥にめり込んだのではなく、ばらばらになって散らばったのです。最終的には、周辺からは、約30トンの鉄隕石が回収されています。
 メテオー・クレータの直径は、1,186mあります。このようなクレータをつくるためには、どれくらいの大きさの隕石がぶつかったのでしょうか。衝突のエネルギーは、質量に比例し、速度の2乗に比例します。大きくて、速いものが地表に衝突すると、爆発のような現象がおきます。鉄は重いので、小さくても威力があります。最高速でぶつかったとすると直径30m、いちばん低速だと直径90mの鉄隕石がぶつかれば、これくらいのクレータができます。
 地球の表面には、たくさんのクレータがあります。その大部分は、陸地で見つかっています。陸地のクレータは、浸食や風化、地殻変動で、古いものは消されていきます。それなのに約200個ものクレータが見つかっているのです。陸地は地球の表面の3分の1しかなく、あとは海です。海の中のクレータはほとんど見つかっていません。ですから、この200個のクレータとは、地球のクレータのほんの一部に過ぎないのです。
 メテオー・クレータをつくったような衝突はめずらしいものではなく、1000年に1回ほどの頻度でおこていると考えられます。でもそのときに起きる振動は、マグネチュード6.7の地震に匹敵します。メテオー・クレータの衝突は、約5万年前におこりました。この後現在まで、50回ほど、この程度の衝突はあったことになります。
 宇宙から来る小天体の衝突や小さいなものの落下は、普通におこっている現象なのです。これが太陽系の普通の姿なのです。地球は、そんなところにあるのです。

・どんなクレータができるか・
http://janus.astro.umd.edu/astro/impact.html
では、数値を変えてできるクレータの計算をしてくれます