2002年9月26日木曜日

4_23 ハットンの不整合:イギリス2

 ハットンが最初に不整合を記録したシッカー・ポイント(Siccar Point)を訪れました。「ハットンの不整合」と呼ばれているものです。そこは、地質学の発祥の地でもあります。


 シッカー・ポイント(Siccar Point)は、ジェームス・ハットンが不整合を記録したところです。今回のイギリスの旅で、スコットランドへ来たのは、この「ハットンの不整合」を見るためでした。
 不整合とは、地層の関係を示すものです。地層と地層の間に、時間と物質において不連続があるものをいいます。そこには、堆積物にはなりえない、大きな地質学的事件が起こったことが読み取れます。
 不整合とは、ある地層がたまって、いったん上昇して陸になり、風化や浸食により、もともとあった地層が削られ、再び大地が海に沈み、地層のたまるときにできる境界部のことです。したがって、下の地層と上の地層の間に、地層の構造や岩石の種類に連続性がありません。また、長い時間の間隙もあります。不整合とは、「証拠の残らない大きな地質学的異変」ことで、そしての「証拠のない」証拠でもあるのです。
 このような不整合の存在を最初に示したのが、ジェースム・ハットンなのです。上で述べたような地質現象を見抜き、科学的な解釈をしたことによって、ジェームス・ハットンは、近代地質学の祖と呼ばれています。
 シッカー・ポイントの不整合は、「ハットンの不整合」(Hutton's Unconformity)と呼ばれ、地質学者には有名な露頭です。
 この不整合は、シルル紀の地層の上に、デボン紀の地層が、不整合で重なっています。シルル紀とデボン紀の地層の境界は、イングランドやウェールズでは、不整合ではく、整合(せいごう)で重なっていますが、ここスコットランドでは、傾斜した不整合で重なっています。
 シルル紀の地層は、ぺらぺらとはがれやすい性質(葉理(ラミナ)の一種)の粒の細かい砂岩から泥岩と、粒の粗い白っぽい砂岩との繰り返しの地層です。デボン紀の地層は、旧赤色砂岩とよばれるもので、文字通り赤い砂岩です。エディバラの建物の石材としてよく利用されています。
 上に乗っている地層の最下部には、基底礫がありました。このような基底礫のあることも不整合の有力な証拠となります。
 下のシルル紀の地層は、海でできた地層(海成といます)で、褶曲(しゅきょく)し、断層や割れ目がたくさん形成された色の濃い砂岩から泥岩(グレイワッケとよばれています)からできています。この堆積物は、かつてスコットランドが属していた大陸ローレンシア(Laurentia)という大陸の前面にあったイアペタスという海(Iapetus Ocean)の沿岸や海底にたまったものです。場所によっては、花崗岩や火山などの活動も起こっていました。
 じつは、もう一つ「ハットンの不整合」と呼ばれているところがあります。
 それは、エディンバラから南にあるジェドバラ(Jedburgh)というイングランドの境界に近い町にあります。シッカー・ポイントのスケッチも有名なのですが、ハットンの不整合のスケッチでは、多分、この地のもののほうが有名です。
 そこも訪れました。しかし、あまりにもスケッチとはかけ離れたものでした。川を挟んだ対岸にその不整合の露頭はありました。しかし、風化や浸食が激しく、昔の面影は、ほとんどありませんでした。一応、露頭の前の草は刈られていて、露頭の全貌を見ることはできました。でも、その露頭は、本当の不整合面は、上から雨水で流された土砂をかぶっていて、よくわからなっていました。
そしてシルル紀の地層とデボン紀の地層は、岩石の色も違うはずなのですが、
風化した、デボン紀の土砂のために、赤茶けて、区別がつきにくくなっています。
 それと、この露頭にたどり着くための情報が非常に少ないのです。それに、露頭の前に、看板すら立っていません。近くの工場のおじさんに聞いて、やっとその露頭がわかったほどです。

Letter
・ハットンの斉一説・
ハットンは、地質現象が長い時間をかけて起こり、
現在の地球の景観は、何百万年もかけてつくられたのだと論じました。
これは、斉一説(せいいつせつ)と呼ばれる考え方です。
ハットンは、斉一説の考えで地質学を構築しました。
斉一説とは、現在起きている地質現象が、
過去にも同じように起きていたという考えです。
この説は、地球の歴史を調べるうえに、
「現在」が有力な情報を与えてくれることになります。
背一説を象徴する言葉として、
「現在は、過去の鍵である」
という言葉があります。

・斉一説と激変説・
ハットンの斉一説は、
激変説(あるいは天変地異(てんぺんちい)説)と対立しました。
激変説は、フランスの博物学者キュビエらがとなえたものです。
激変説は、キリスト教の影響を受けた説です。
激変説では、地球の歴史は4000年ほどで、
その間、大洪水や大地震に何度もおそわれ、
破壊がくりかえされたとする考え方です。
斉一説か、激変説か、大いにもめました。

ハットンの考えを踏襲したライエルが、斉一説をより広めました。
しかし、ライエルは、斉一説にこだわるあまり、
アガシが氷河時代の存在をいったときには、
猛烈に反対しました。

自説は、主張しなければ、受入れられません。
ただ、自説にこだわりすぎると、
他説の重要さを見逃すことがあるようです。
かのアインシュタインも、
量子力学は容認できず、
強く抵抗していました。
教訓にすべきでしょう。