2002年8月8日木曜日

4_17 織り込まれた時間:カナダ1

 カナダのニューファンドランドというところを訪れました。1982年、20年前に恩師と一緒に来たことがある思い出の地でもあります。思い出の地といっても、再訪してみて、あまりにも覚えてないので、非常に新鮮でした。あまり日本の観光客は訪れないところです。そんな、ニューファンドランドを紹介しましょう。


 カナダの東端にニューファンドランドという島があります。島といっても、大きさは、東西も南北も約500kmに達する大きなものです。面積は、11万平方メートルで、北海道の1.3倍あります。人口は54万人です。時差は、日本より11時間30分遅れです。
 ニューファンドランド(Newfoundland)とは、「新しく見つかった地」という意味です。ニューファンドランドの名称が、イギリスの記録に最初にあらわれたのは1502年で、もともと北部大西洋で、新たに発見された地域、すべてを指していたそうです。
 1492年、コロンブスがアメリカ大陸を発見し、1497年にジョン・カボットがニューファンドランド島に到達しました。このあたりまでは、世界史に詳しい人なら、ご存知でしょう。じつは、ニューファンドランドは、それより500年も前に、ヨーロッパ人に、発見されているのです。このような歴史は、この地にくると、当たり前のこととして、語られているのですが、日本では、ほとんど知られていないことです。
 約1000年前に、ヴァイキングが、ニューファンドランドの北西の半島に定住しています。それより先行して、いまから約2000年前に、古エスキモー(Palaeo-Eskimoと呼ばれています)の定住の歴史があります。さらに古い歴史として、北米大陸には、約9000年前のモンゴロイド(インデアン)のユーラシア大陸から移動があります。以上は、ニューファンドランドにおける人間の歴史でした。つぎは、大地の歴史をみていきましょう。
 ニューファンドランドの州都は、セント・ジョーンズ(St. John's)です。最初に、セント・ジョーンズのシグナル・ヒルと呼ばれているところの大地の歴史(地層)を見ることにしました。
 シグナル・ヒルでは、陸から陸の近くの海でたまった堆積物の地層がみられます。この地層は、先カンブリア紀(ここでは原生代末期のもの)からカンブリア紀にかけてできたものです。
 一番古いものは、6億3500万年前陸からきた火山灰を含む緑から灰色の海岸や海岸から少し離れたところにたまった砂岩で、つぎに川の平野でたまった赤い砂岩、そして一番新しいものが、5億4500万年前の川の扇状地でできた赤い色をした礫岩がらできています。つまり、海中から陸上で形成された地層がみられます。
 このような岩石の組み合わせは、日本でもよくみられる地層の種類です。でも、岩石の時代が、日本では見られない、大変古い時代のものです。ですから、非常に固い岩石となっています。まさに「時代を感じさせる」地層でした。
 シグナル・ヒルは、最初は、要塞の地であり、後に電波塔として役割を果たしていました。そして、今は、観光名所として役割を果たしています。シグナル・ヒルには、多くの観光客が訪れます。カナダ国立史跡にも指定されています。
 そして、私が歩いたのは、2kmほどのトレイル(遊歩道)です。多くの人が歩いています。眺めは最高です。このトレイルは、今年から始まる予定の地質巡検のコースにもなっています。この巡検は、まだ始まっていませんでした。地質調査所でパンフレットを手に入れたので、地質巡検のコースにそって、一人でそのパンフレットを手がかりに歩いたのです。私は、石を見たり、写真を撮ったり、景色を見たりして、ゆっくり歩いたので、3時間ほどかかりました。多くの人は、1時間ほど歩いてしまいます。
 さて、私は、このトレイルで、現在のこの美しい景観に至るまでの、大地の歴史から人間の歴史までの、さまざまな時代、時間を感じつつ歩きました。ほかの人たちは、どんな感想を抱きながら歩いたでしょうか。

Memo 距離感/地質学のネットワーク
・距離感・
大陸では、距離感が、日本とまったく違います。
ですから、気をつけないといけません。
今回のニューファンドランドでは、2箇所を見学する予定でした。
前半は、東端のセント・ジョーンズから日帰りで2日間通う予定で、
先カンブリア紀とカンブリア紀の境界の地層のあるフォーチュンというところ。
後半は、3泊4日で、島の西端のオフィオライトと呼ばれる岩石と
デボン紀の地層を見るつもりで
コーナー・ブルックというところに行く予定でした。

しかし、誤算でした。
フォーチュンまで、片道350kmです。日帰りをしようとすると、
毎日700kmを走らなければなりません。
初日諸般の事情から、
夜中12時にセント・ジョーンズをたち、
フォーチュンにいって、目的地の近くまでいて、
セント・ジョーンズに帰ってきたら、12時ころでした。
休み休みですが、往復だけで、12時間ほどかかります。
ですから、日帰りで、地層をゆっくりと見ることは
不可能なことがわかりました。
コーナー・ブルックまでは、片道700kmほどです。
ですから、3泊4日だと、なか2日間は地層が見れるはずです。

でも、今回の一番の目標は、
先カンブリア紀とカンブリア紀の境界の地層をみることです。
これを見ない来た意味がありません。
それが十分見れないのなら、来た意味がありません。
ですから、予定変更をして、
西部をやめて、フォーチュンの
先カンブリア紀とカンブリア紀の境界の地層に
集中することにしました。

・地質学のネットワーク・
私たちは、地質調査にくるとき、現場を見ることも大切なのですが、
資料を集めることも重要です。
今回、私は、
GEO Centerという地質の博物館とニューファンドランドの地質調査所、
メモリアル大学にいきました。
博物館では、たいした文献も資料も手にいられなくて、困ったのですが、
地質調査所にいって、地質図をもらい、
地質学者に紹介してもらい、
話をして、フォーチュンに関する情報を得ました。

そこを調べている地質学者は不在でしたが、
岩石を研究している研究者が、相手をしてくれました。
彼は、非常に親切で、
論文と巡検案内書(これは他では入手不可能)のコピーをくれました。

そして、文献を探している間、古生物学者が相手をしてくれたました。
彼は非常にシャイで、言葉は少なかったのですが、
私が、露頭のどの部分がわかるかと質問したら
インターネットで、フォーチュンに関するデータを集めてくれ、
その境界が、こことわかる情報を教えてくれました。
がんばれば、日本でも自分自身でも情報は得られたはずです。
もで、実際にはそのサイトにたどり着けませんでした。
地質調査所のホームページと地質図にはたどり着いたんのですが、
そんな地層境界の写真のでているサイトがあるとは知りませんでした。
やはり、これも現地にいったから得られた情報です。

ですから、私は、境界を案内者なく知ることができました。

大学は、夏休みで、書籍も入手することはできませんでした。
そして、大学の図書館のインターネットでしらべても、
シャイな古生物学者が教えてくれた情報以上のものは得られませんでした。
もしかしたら、私が得たものは、地質学という共通の職業をもつ、
人間同士のネットワークだったのかもしれません。
幸運でした。