2002年6月13日木曜日

2_17 2億4500万年前の大絶滅(その1)

 生物が、地球の歴史の主要な登場人物として現れるのは、顕生代とよばれる時代です。顕生代は、5億7000万年前のカンブリア紀からはじまり、現在まで続いています。顕生代に入っても、生物の大絶滅は、起こりました。いや、生物がたくさん出現する顕生代であるので、絶滅の記録は、より詳しくわかっています。そんな絶滅の歴史を見ていきましょう。
 地質の時代区分は、地層に含まれる化石(過去の生物)の出現(新しい生物種の誕生)や消滅(ある生物種の絶滅)によってなされます。特に、繁栄して全地球的に広がり、そして絶滅していく種は、時代を区分するのに有効です。そのような化石を示準(しじゅん)化石とよんでいます。
 時代区分されているということは、基本的に、その時代に生物の絶滅があり、新しい生物の出現した、という種の交替劇がおこなわれていることになります。大きな時代区分では、大量の絶滅があったことを意味します。
 顕生代において、大きな時代区分は、古生代と中生代の境界、そして中生代と新生代の境界の2つがあります。そこでは、もちろん大絶滅がおこっています。今回は、古生代と中生代の境界でおこった大絶滅を見ていきましょう。
 古生代と中生代の境界は、古生代最後の時代、ペルム紀(英語でPermian)と中生代最初の時代、三畳紀(英語でTriassic)の頭文字をとって、P-T境界とよばれています。年代では、今から2億4500万年前になります。P-T境界の大絶滅は、顕生代でも、最大の絶滅でした。
 P-T境界の大絶滅は、古くから知られており、1840年にフィリップス(J. Phillips)が提唱しました。それは、ダーウィンの「種の起源」よりも古いのです。つまり、地質学あるいは古生物学は、進化論に先行して、生物の交替劇を、地層から読み取っていたのです。そこには、進化という考えより、天変地異説(カタストロッフィズム)の影響が、強かったのかもしれません。キリスト教的な考えでは、「ノアの洪水」のような天変地異があったと考えられていたのです。そんな天変地異による大絶滅と考えられていたのでしょう。
 さて、P-T境界の絶滅は、いかほどのものだったのでしょうか。それは、すざましいものだったと考えられています。というのも、化石のデータが充分あるので、定量的に、その絶滅が把握できるのです。
 なんと、当時、海で生きていた無脊椎動物の種の数で、最大の見積もりでは、96パーセントが絶滅したと考えられています。もちろん、陸上の生物(昆虫や脊椎動物)にも、絶滅はおよんでいます。ほんの数パーセントしか、この「天変地異」を生きのびることができなかったのです。
 ですから、古生物学で、古生代の生物と中生代の生物は、大きく変化していることがわかっています。消えていった古生代を代表する生物としては、フズリナ、筆石、三葉虫、四射サンゴなどがあげられます。それが、すべていっせいに姿を消してしまったのです。
 では、いったい、2億4500万年前に、何が起こったのでしょうか。何かとんでもない「天変地異」が起こったはずです。そして、もちろん、私たちの祖先は、そのとでもない「天変地異」を生き延びたのです。なにが起こったのかを説明すると、長くなりそうです。次回としましょう。