2002年5月9日木曜日

2_13 生物の絶滅

 一つの命は、多くの命の連鎖の中に生きています。連鎖の中では、多くの同胞たちが、一つの命に先行しています。そして、やはり、同胞たちが、その後に続きます。これが、「種(しゅ)」です。種は、永遠ではありません。命に限りがあるように、種にも限りがあります。種の終わり、それは種の絶滅に意味します。そんな限りある種の命、「絶滅」をみていきます。
 生物の一番基本となる単位は、一つの命です。一つの命は、なんのために生きているのでしょうか。食べるためでしょうか。それとも、他の命に勝って、住みかや縄張りを守るためでしょうか。どの答えを選んだとしても、最終的には、メスやオスを見つけ、家族となり、子孫をつくり、その子孫を含めた家族を守るために生きているのではないでしょうか。
 家族を守るため、あるいは子孫をつくるためとは、一つの命が、意図しようが、しまいが、結果としてメンメンと続く、種の保存を意味します。家族を守ること、それは、ある命が何をも儀性にしてすべきことなのです。もしかすると、自分の命を儀性にしても、すべきことなのかもしれません。それほど家族、つまり、種の保存とは重要なことなのです。そんな万難を排して守るべき種も、終わるときがあるのです。
 一つの命の終焉、それは、死です。一つの種の終わり、それは、絶滅(ぜつめつ)です。絶滅とは、種の連続が途絶えるときです。あるとき、ある種から生まれた種が、その連鎖を絶つときが、絶滅です。
 死には、さまざまな原因が考えられます。人の死を例にしますと、一番、一般的な死は、「寿命」です。一つの命(個体)が、自分自身の内部にあるなんらかの原因で維持できないとき、その命は尽きます。それはすべての生命に起こる死です。
 しかし、個体としては、まだ、生きる力があるのに、外的な要因で死ぬこともあります。交通事故、流行病、怪我など、外部に原因があって死に至ることもあります。
 内的原因である寿命、外的原因、いずれであっても、死がきます。
 このような内因の死も外因の死も、個々の人間の死だけでなく、種のレベルでも、同様に訪れます。つまり、絶滅も、内因によるものと、外因によるものがあるはずです。
 内因による絶滅とは、種自身が、自分達の種の内部にある原因によって絶滅する場合です。例えば、人類でいえば、戦争や薬害、自分達が引き起こした環境破壊による絶滅などによって、絶滅すれば、内因的絶滅が起こります。人類以外の場合では、特殊化しすぎた種がちょっとした環境の変化に適応できなかったり、種内の競争で特殊化したため他の種との競争に負けて絶滅することなどが、内因的絶滅にあたるでしょう。
 外因による絶滅は、例えば、人類が他の生物種を絶滅に追いやる場合や、変異した病原菌によって人類が絶滅することなどです。外因による絶滅とは、一般的には、ある種が、なんらかの環境の変化や、他の種との生存競争に負けてしまうときなどです。
 個々の種の絶滅の場合は、その原因が定かではない場合が大部分です。ところが、人類が関与した種は、例えば、ドゥドゥ、タスマニアタイガー、ニッポンオオカミなどは、その絶滅の原因がはっきりします。でも、一般的には、なかなかその原因が、わからない場合が多いのです。まして、今は亡き過去の生物種の場合は、もっと困難です。
 ところが、種の大量絶滅があるときは、外因が、その重要な原因となるはずです。その原因は、絶滅の規模が大きいほど、その記録は、大地に刻まれているはずです。まだ、すべての大絶滅の原因が解明されているわけではありませんが、そこには、地球環境と生命の関わりが見てとれるのです。