2002年4月18日木曜日

4_15 周口店:中国2

 北京南西部にある周口店を訪れました。周口店といえば、北京原人です。北京原人の山地である周口店は、世界遺産にも選ばれています。今回は北京原人の遺跡の見聞録です。


 周口店は、北京の50キロメートル南西の周口店駅の近くにあります。周口村は、北京の市街地からは、だいぶ外れてあり、房山県に属します。周口店は、永定河の支流、ハ(第2水準ではない漢字)児河と竜骨山の出合うところにあります。私が訪れた2002年3月26日の周口店は、白やピンクの桃と桜、黄色いレンギョウの咲く、のどかな季節でした。周口店は、石炭や石灰岩の産地としての一面も持っていました。
 北京原人は、鉱務顧問として招かれたスェーデンの地質学者アンダーソンが、1918年に、周口店へ調査に来たとき、小動物の化石を採集しました。これがきっかけとなり、その後の北京原人の発見や、長年にわたる研究の始まりとなりました。
 その後、アンダーソンの他に、ツダンスキー、ボーリン、ブラックなどの古生物学者が、周口店を調査しました。また、斐文中、揚鐘健などの中国人研究者、中国地質調査所、北京大学が、発掘調査をしました。その結果、40個体ほどの人骨を含む多数の動物の化石、10万点を越える石器や石片類が発見されました。
 1927年に、アメリカのブラックが、人骨を、シナントロプス・ペキネンシス(正式には、ホモ・エレックトス・ペキネンシスに分類されています)と命名したことによって、北京原人が世界的にしられれようになりました。北京原人が、周口店に住みだしたのは、46万年前で、その後約20万年にもわたって、この洞窟に住み着いていました。洞窟の崩壊や堆積物による埋没によって、ここから立ち退かざる得なかったのは、23万年前です。
 北京原人のほかに、2万~1万8000年前の山頂人の遺跡も、同じところから見つかりました。山頂人の人骨や石器なども発見さています。
 周口店の遺跡は、オルドビス紀の石灰岩からできている山腹の洞窟でみつかりました。この洞窟付近は、眼下に扇状地が広がる景色のよいところです。
 洞窟は景色はいいのですが、生活のためには、洞窟まで登ったり降ったりしなければならず、大変なところです。いくら北京原人が、現代人のようにひ弱でなかったとしても、なぜ、わざわざこんな山に生活の場を求めたのでしょうか。
 単に雨風をしのぐという理由だけではない何かが、あるような気がします。狼やトラ、サーベルタイガーなどの外敵から身を守るためもあったでしょう。でも、食料の調達は、平野からが主だったのではないでしょうか。となると、やはり重い食料をかついで山を登るは大変だったのではないでしょうか。もしかすると、冬場の乾燥した時期は、水も下まで汲みにいかねばならなかったかもしれません。
 そこで、ふと、私は考えました。多くの北京原人は生活のしやすい平野に住んでいて、一部の北京原人だけは、山の洞窟に住んでいたのではないかと思いました。では、なぜこんなところ住んでいたかというと、私と同じことを北京原人も感じたからではないかと思いました。私がこの周口店の遺跡のある山腹に立って、真っ先に感じたことは、大変景色が綺麗なところだということです。その景色を毎日満喫したいがために、多少の不便は覚悟で、ここに住んだのではないかと。
 まったく科学的ではありませんし、根拠もありません。人類の仲間というだけで、彼らを自分と同等に考えて、感情移入してしまいまいました。だから、彼らが私達と同じことを感じたのではいか、とついついこんな妄想をしてしまいました。