2002年12月26日木曜日

1_20 太陽のかけら(2002年12月26日)

 コンドライトとよばれる石質隕石は、太陽系の初期にできた丸い粒、コンドリュールが集まったものでした。そして、それをうまく読みとると、太陽系誕生の謎が解けます。そんな謎の解明で、いちばんの主役になった隕石を、紹介しましょう。

 石質隕石の中に、面白いく、変わった隕石があります。それは、炭素質コンドライトと呼ばれるものです。もちろん、コンドライト仲間ですから、コンドリュールは持っています。炭素質コンドライトは、すべて隕石のうち、約4パーセントしか含まれていません。鉄隕石程度の頻度ではあるのですが、酸素質コンドライトから、読み解けることは、非常に貴重な情報なのです。
 この炭素質コンドライトは、太陽系の起源を知る上で重要なものです。そのわけは、化学成分にあります。
 炭素質コンドライトにふくまれている全ての元素について、濃度が正確に調べられています。このように、ある物質で、すべての元素について、濃度が調べられているものは、地球のものでも、そうそうありません。すべての元素組成を調べるのは、多数の分析装置をつかっておこなわなければならない、非常に大変なことだからです。
 炭素質コンドライトの化学組成と、太陽のものを比べてみると面白いことがわかりました。もちろん、太陽は気体で、隕石は固体ですから、固体にならない成分を比べることはできません。比べるのは、固体として隕石に入る成分だけになります。でも、気体でしか存在しない成分は、全元素の一部ですので、多くの元素で元素で比べることができます。
 比べた結果、太陽と隕石は、そっくりな成分からできていることがわかったのです。
 前に隕石は、できた年代が一致し、約45億年前だといいました。もちろん、炭素質コンドライトのできた年代も同じです。そして、太陽系の物質の中で、いちばん古い年代であります。45億年前という年代は、太陽ができた時代でもあります。ですから、炭素質コンドライトは、太陽と同時に、それも同じものからできたといえます。いってみれば、太陽と炭素質コンドライトは兄弟、あるいは炭素質コンドライトは、太陽の「カケラ」、太陽をつくった材料の「化石」といえます。さらにいえば、太陽系全体の「カケラ」でもあり、材料でもあるのです。もちろん、地球も炭素質コンドライトのようなものからできたことになります。
 炭素質コンドライトに含まれている成分を、詳しくみていきますと、水(H2O)や二酸化炭素(CO2)、炭素(C)などの気体になりやすい成分も含んでいいます。多いものでは、重量で10パーセント以上も含んでいることもあります。このような成分が、地球の大気や海洋になり、そして、海洋からは生命が生まれます。
 さらに、炭素質コンドライトには、鉄(鉄の硫化物のかたち)も、たくさん含まれています。硫化鉄は、石の成分より、溶ける温度が低く、なおかつ比重が大きいので、原始地球で温度が高くなると、固体成分としては、硫化鉄が最初に溶けて、そして深部に沈んでいきます。地球内部の高温高圧の状態では、硫化鉄は、鉄とイオウに分解し、重い鉄は、さらに内部に、軽いイオウは地球表層に逃げていきます。沈んでいった鉄は、もちろん地球の核になっていきます。
 このようにみていくと、太陽系で最初にできた素材を、そのまま利用して、少々加熱調理すれば、簡単に地球はできてしまいそうです。炭素質コンドライトは、太陽、地球、そして私たち自身の材料だったのです。

・雪の調査行・
実は、このメールマガジンが出るころは、
道南のほうをうろうろしています。
だめでもともといいう気持ちで、海と川の石と砂の採集するための
調査を決行しています。
北海道では、冬は調査調査ができません。
でも、もしかしたら道南のほうの調査ができるのではないかと、
淡い望みを抱いて調査をしています。
12月23日から28日までです。
冬休みですので、家族旅行をかねています。
もちろん、同じ泊るのなら温泉です。
宿泊は温旅館となります。
なにしろ、北海道は広いせいもあるのでしょうけれど、
日本でいちばん温泉の多い都道府県だそうです。
泊まるなら温泉でしょう。

・継続の動機・
本号で121号です。
「地球のささやき」は、週刊メールマガジンですので、
2年以上休むことなく発行し続けてきました。
もちろん、「まぐまぐ」という発行システム、
そして発行予約ができるという機能があったから、
成し遂げられたことです。
でも、なんといっても、
読者がいて、そして時々いただくメールが、
継続のいちばんの要因だと思っています。
もちろん、だれも読む人がいなければ、
このマガジン自体が成立しませんが、
一人でも読者がいて、私が書く気があれば
メールマガジンとして成立するわけです。
そして、一人でも、このマガジンを必要であるということを
私に伝えてくれる人が、私には連載を続ける意義があるわけです。
ホームページについているメールカウンターとは、
そのような読者たちと私との交信の歴史でもあり、
そして、私の継続の動機ともなっています。
反応してくれる読者がいる限り、
私には書く、根拠や励みにになりますし、
いまのところやめるような事情もありません。

それに、書きたいことが、まだまだいっぱいあります。
地球のネタは当分つきそうにありません。
隕石もまだまだ紹介したいことがありますし、
地球に関する新しい報告もあったのですが、
なかなか紹介することもできないままでした。
たとえば、グリーンランド38億年前の化石の間違い。
火星から飛んできた別の隕石からも生命の痕跡を見かったという報告。
マントルに海水が7億年前から逆流していという話。
道南の調査旅行の紀行。
などなど、いっぱいあります。
来年も、地球に関する話題を提供し続けるつもりです。
よろしくお願いします。

・行く年・
本号が、今年最後のメールマガジンとなりました。
隕石シリーズは、来年にも続きます。
そして、来年からは、月一回連載の新シリーズを考えています。
ちょっと変わったものを考えています。
それは、新年の第1号(1月2日号)からはじめますので、
お楽しみにしてください。
この1年間、購読いただいて、ありがとうございました。
メールをいただいた方々、大変励みになりました。
ありがとうございました。
では、よいお年をお迎えください。

2002年12月19日木曜日

1_19 コンドライト(2002年12月19日)

 隕石のなかで、いちばん「普通」のものを、今回は紹介しましょう。そんな「普通」の隕石から、なにが読み取れるのでしょう。探っていきましょう。

 隕石の中でいちばん多いのは、石質隕石、鉄隕石、石鉄隕石のうち、どれだと思いますか。鉄隕石を思い浮かべた方も、たくさんおられるのではないでしょうか。実際には、石質隕石がいちばん多く、鉄隕石、石鉄隕石の順に少なくなっていきます。
 石質隕石は、隕石の個数で見ていくと、大半(94%)を占めます。ちなみに、鉄隕石は4.8%で、石鉄隕石は1.2%しかありません。ですから、隕石といえば、石質隕石なのです。鉄隕石が多いという誤解は、どこから生まれたのでしょか。
 多分、隕石と地球の石とで、いちばん違っているは、石鉄隕石か、鉄隕石です。石鉄隕石は、珍しさもあり、大きいものも少ないため、鉄隕石が、珍しい隕石の代表として見せられることが多くなったのだと思われます。
 博物館でも、隕石のコーナーの目玉として、大きな鉄隕石がよく展示されています。博物館によっては、鉄隕石を切って金属の断面を出して見せたり、磨いて金属の鉄の塊として見せているところもあるくらいです。ですから、つい隕石といえば、鉄隕石という先入観を持ってしまっているのかもしれません。
 さて、石質隕石には、どのようなものがあるのでしょうか。石質隕石には、多く分けて、2つの種類があります。それは、コンドライトとエイコンドライトと呼ばれるものです。両者とも、英語の単語を、そのままカタカナにして日本語としても使っています。
 コンドライトは、直径数ミリメートルの丸い粒を含んでいるのが特徴です。この丸い粒を、コンドリュールとよびます。コンドライトとは、コンドリュールを含む隕石ということができます。
 一方、エイコンドライトは、英語ではAchondorite と書きます。コンドライトは、Chondoriteと書きますから、コンドライトに「A」という文字がついた語が、エイコンドライトです。英語では、「A」が接頭語としてつくと、否定の意味を表すことがあります。エイコンドライトの「A」の場合もそうです。エイコンドライトとは、コンドライトではない、つまりコンドリュールを含まない石質隕石のことです。
 石質隕石をよくみて、丸い粒があればコンドライト、なければエイコンドライトという区分ができます。
 では、コンドライトとエイコンドライトは、どちらが多いでしょうか。コンドライトが、ほとんど(91.3%)で、エイコンドライトは少し(8.7%)しかありません。
 つまりは、隕石といえば、コンドライトなのです、全隕石のなかの86%がコンドライトになります。もちろん、コンドライトも細分されていますが、コンドライトに共通する特徴は、とりもなおさず、コンドリュールがあることです。
 このコンドリュールが、太陽系でいちばん最初にできた固体物質だと考えられています。その理由は、いくつもあるのですが、そのいちばんのものは、コンドリュールの丸い形と年代にあります。
 コンドリュールは、丸い形といいましたが、3次元的には球で。宇宙の無重力の状態では、液体は球になります。そして、液体の温度が下がると、球の形をしたまま、固体になります。
 もし、その液体が、マグマのような岩石の溶けたものであれば、マグマから岩石ができるようなプロセスで固まっていくはずです。つまり、高温で結晶になるものから順番に固まり、最後にいちばん低い温度で結晶になるものができます。また、急に冷え固まると、結晶が充分できないうちに固まってしまい巣、それは、火山岩のように急に固まったつくり(組織)をしているはずです。
 コンドリュールには、液の成分の違い、冷えるスピードの違いなど、ひとつひとつ違った履歴があるはずです。このようなさまざまな履歴をもったコンドリュールが集まったものが、コンドライトになります。
 なかには、一緒には、けっしてできないようなコンドリュールも、ひとつのコンドライトから見つかることがあります。まるで、地球の堆積岩の礫岩のようです。礫岩の礫には、さまざまなでき方のものが混在しています。礫岩と同じように、さまざまな履歴のコンドリュールが、ひとつのコンドライト中にみつかるのです。
 年代については、別の機会に紹介しますが、どのコンドリュールも、できた年代が一致し、45.6億年前です。これは、太陽系の物質の中で、いちばん古い年代であります。コンドリュールの形成が、いちばん最初に、それも一気に、太陽系全体で起こったことを意味します。
 太陽系の初期にできたカケラがコンドライトには詰まっているのです。コンドライトにつまっている太陽系のはじまりの情報を、ジグソーパズルを仕上げるように読み解ければ、私たちの太陽系誕生の謎が解けるわけです。
 読み解いた太陽系の誕生の様子も、そのうち、紹介しましょう。

・隕石シリーズ・
隕石シリーズが続いてきます。
まだまだ、続きそうです。
書いている本人も、どれくらい書くつもりなのわかりません。
隕石に関するネタは一杯あります。
でも、とりあえずは、机の中の3種類の隕石については、
紹介したいのです。
まだ、1種類しか紹介していません。
でも、あまり長くなるようだと飽きてしまいますので、
ほどほどにしておきますが、
あと数回は続けるつもりです。
ご期待、あるいはお付き合いください。

・またまた間違い・
わたしにとって、石鉄隕石という語は、どうも鬼門のようです。
実は、前回のメールマガジンで、
「1_17 宇宙からの贈り物」(2002年11月28日)
で、石鉄隕石を石質隕石と、何度も書き間違いをしました。
そのお詫びを長々と書きました。
実は、そのエッセイの中で、
なんと4箇所も同じ間違いをしでかしました。
Kogさんから
「またまた“鉄”と“質”との混乱状態が発生したようですね。(^o^)」
という指摘がありました。

それに対して、私は、

「またまた、それも、4箇所もやってしまいました。
読み返したら、誤字も一箇所ありました。
どうしようもないですね。
単に、誤字ならば、意味は通じるのですが、
今回の場合のように、意味が通じなくなる、
あるいは、誤解を招く、そして、理解できなくなるような場合は、最悪ですね。
何度か見直したつもりなのですが、だめですね。
私の文章はもともと誤字が多いのですが、前々回と今回は特にひどいようです。
前々回は、時間がなかったので、いいわけめいたことができますが、
今回は、見直したつもりなのですが、だめですね。
発行直前に書いて、そして何度か推敲しても、十分推敲できないようです。
何日か前に書いて、発行前にもう一度見直せればよいのですが、
なかなかそうする余裕がありません。
気をつけて推敲するしかないようです。」
というお詫びをしました。

やさしいKogさんは、

「類似した用語や同音異義語が交互に出てくるような文章を
作成しますと、非常にミスが出やすくなります。
手書きの場合は文字を手が覚えているので良いのですが、
キーボードで変換するとついつい間違いを見逃すことになり勝ちですね。」
と慰めてもらいました。

今回も、変換ミス、校正もれがあるかもしれませんが、
もう、言い訳はしません。
指摘をお願いします。
そして私の注意をうながしてください。
よろしくお願いします。

2002年12月12日木曜日

1_18 石鉄隕石の起源(2002年12月12日)

 隕石には、石質隕石と、鉄隕石、石鉄隕石の3種類があるといいました。そのうち、前回は、不思議な隕石、石鉄隕石について紹介しました。今回、その石鉄隕石の起源を、もう少し、詳しく探っていきましょう。

 前回、隕石は、地球外から飛んできといいました。となると、隕石は、地球外のどこで、どのようにしてできたのかが知りたくなります。前回は石鉄隕石について紹介しましたが、この石鉄隕石を材料にして、もう少し詳しく、その起源をみていきましょう。
 石鉄隕石は、太陽系で一番最初にできた隕石(石質隕石のある種のタイプ)とは、違っています。もし、一番最初にできたとしたら、宇宙空間で形成されていますから、そのような証拠が必要です。しかし、いまのところ見つかっていませんし、次に述べるように、特殊な環境を考えなければ、この石のような鉱物の組み合わせや、つくり(組織といいます)は、つくることができないのです。
 石鉄隕石は、材料となる物質から一度溶けたものからできました。それは、原始的と考えられる隕石(別のエッセイで紹介する予定です)が、一番古く、石鉄隕石は、やや若い年代のものを含んでいます。また、原始的隕石は、溶けた経験がないのですが、石鉄隕石は、溶けた経験を持ちます。このようなことから、石鉄隕石のできたところは、特殊な場を考えなければならないようです。
 金属鉄と鉱物が、一度溶けた(分化したといいます)経験をもったものからできたとすると、その溶けて分化した場所としては、比重の違う鉄とかんらん石が混じり得るようなところでなければなりません。そのような場所として、無重力空間、つまり、宇宙空間が考えられます。
 もし、無重力空間でできたなら、鉄もかんらん石も丸い粒(コンドリュールとよばれます)のような球状をしてるはずです。重力のないところでは、液体はすべて球になります。ところが、この石鉄隕石は、かんらん石は、鉱物自身が持っている形(自形といいます)をしていて、その隙間を金属の鉄が埋めています(他形といいます)。
 このような組織は、普通の岩石では、最初にかんらん石が結晶化し、後で鉄が固まったと考えるべきです。しかし、金属鉄とかんらん石は、共存できませんし、結晶化する温度(晶出温度とか凝固点といいます)も、鉄のほうが高温、つまり、先に結晶化します。ですから、全く違う組織となるべきです。
 ですから、石鉄隕石が、無重力空間での結晶化は考えにくいのです。
 石鉄隕石の結晶の組み合わせや組織は、もともとありえないものなのです。しかし、私の机の中には、石鉄隕石は存在します。このようなありえないものをつくるには、めったにありえないけれど、現実としてきっと存在する場が必要になります。それが、起こりうる場として、マントルと核の境界部が想定されています。
 たとえば、地球には金属鉄でできた核と、かんらん石を主とする岩石からなるマントルがあります。両者の関係は、石鉄隕石でみた関係です。地球では、層として、分離されています。そのような層境界では、地球規模で見れば、明瞭に別れているのですが、人間のサイズで、細かく見れば、石鉄隕石のようなものが、どうしても境界部にはできてしまうのです。
 このようなことから、石鉄隕石が、惑星のマントルと核の境界からできたものと考えられているのです。それも、今はなき、惑星です。その原始の惑星は、壊れてしまったのです。だって、私の机の中にそのかけらがあるのですから。

・隕石シリーズ・
前回は、お宝シリーズでしたので、
隕石シリーズは1回休みとなりました。
ですから、今回は、前々回の続きです。
次回は、石質隕石について、何回かお話しましょう。
コンドライト
炭素質隕石
エイコンドライト
火星起源隕石
鉄隕石
隕石のふるさと
隕石の発見
などなど、いろいろ話題が豊富で、きりがないので、ほどほどします。

隕石にも、
集める人、
見つける人、
儲けようとする人、
研究する人、
愛でる人、
などなど、いろいろ人間の物語があります。
話が脱線しないように、気をつけなければなりません。

・訂正・
前々回のマガジンの最後のLetterのところの記述で、
「石質隕石」と書いたところがあります。
それは、「石鉄隕石」の間違いです。
また、「重量の影響を受けない」も「重力の影響を受けない」の間違いです。
Kogさんから指摘いただきました。
どうもありがとうございました。

前回は、実は時間がなくて、推敲が十分でありませんでした。
まったく情けない限りです。

私は、ホームポジションからのブラインドタッチによる入力はできず、
でたらめに指を使っています。
ですから、ミスタイプも多く、
変換で変な文字になれば、すぐに過ぎ気付くのですが、
似たような文字になってしまうと、ついつい見逃してしまいます。
ですから、前回もそのようなミスでした。
十分推敲をすれば、このようなミスは減るのですが、
今回は、時間がなくて、充分推敲できませんでした。

まあ、私の原稿には、もともとミスが多いので
それを言い訳しているわけです。
大目に見てください。

このエッセイは、
地球に関するさまざまな話題を紹介して、
読者の皆様に、地球に興味を持っていただきたいというのが、
本来の目的です。
ですから、少々のミスは、ご容赦ください。
これは、開き直りですね。

でも、皆様、こりずに、ミスを教えてください、
私の原本は修正しています。
ですから、皆様の善意は蓄積されています。
よろしお願いします
これは哀願です。

もう、言い訳では、これくらいしましょう。
十分でしょう。

2002年12月5日木曜日

6_18 12月の誕生石

 12月の誕生石は、トルコ石とラピスラズリです。どちらも、色はあざやかなのですが、透明感のない宝石です。今年の最後の宝石についてのエッセイです。

 トルコ石は、古くから装飾用に使われてきました。古代エジプトの出土品として見つかります。ですから、人類が非常に早くから用いていた宝石といえます。
 なぜ、当時の人が用いてきたのかは、今ではわかりませんが、多分、色の美しさからではないでしょうか。トルコ石は、青緑色や、空色、濃青色をもちます。このような色の岩石は珍しので、珍重されたのだと思います。商品としては、色の濃いものほど、価値があります。
 トルコ石は、CuAl6(PO4)4(OH)8・4H2Oという複雑な化学組成を持つ鉱物で、アルミのリン酸塩と、銅の水酸化物によってできています。トルコ石の青色は、銅の含有量が多いときに出る色で、銅が少なくなると青色が淡くなり、鉄や亜鉛が加わると緑色をおびてきます。
 トルコ石は、乾燥地帯の褐鉄鉱や砂岩の中に、脈石状や塊状に形成されます。その時、褐鉄鉱や小さな砂をトルコ石の中に取り込み、褐色や黒色の網目模様をもつことがあります。これを「ネット」と呼んで、珍重されます。
 トルコ石の青色は、乾燥状態で長く放置したり、日光に長くさらしたり、熱を加えたり、酸およびアンモニアなどに触れると、変色したり、つやがなくなったりします。また、硬度5~6と、それほど硬くもありません。ですから、取り扱いには注意が必要です。
 トルコ石は、英語でも、Turquoiseといいます。ですから、トルコでたくさん取れるのだろう思ってしまうのですが、トルコでは、まったく採れないのです。トルコ石の産地は、昔からペルシア(現在のイラク)とシナイ半島でした。しかし、トルコ石は、トルコを経由して、トルコ人の商隊によって、ヨーロッパに持ち込まれたため、このような名前がついたと考えられます。
 イラクやシナイ半島は、現在では紛争地域で、供給は不安定です。トルコ石は、アメリカ合衆国のニューメキシコ州でも採れ、アメリカ・インディアンも、装身具として利用していました。ほかに、中国の湖北省でも多く産出します。日本では、ほとんど出ることはなく、栃木県で少量でたことがあるだけです。
 つぎは、ラピスラズリについてです。
 ラピスラズリも、トルコ石と同様、古くから利用されてきました。やはり、青色が特徴です。日本名は、瑠璃(るり)とよばれ、仏教でも、七宝(しっぽう)の一つして、珍重されました。
 ラピスラズリ(lapis‐lazuli)というのは、ペルシア語の紺碧色を意味するラズリに、ラテン語で石を意味するラピスがついてできた言葉です。
 ラピスラズリは、ソーダライト族とよばれる鉱物ではありますが、アウイン(藍方石)、ノゼアン(黝(ゆう)方石)、ラズライト、ソーダライト(方ソーダ石)を成分として、その4つの成分が混合した(固溶体といいます)結晶です。複雑な化学組成をもつ鉱物です。
 ラピスラズリの濃い群青(ぐんじょう)色は、ラズライトの成分が示す色です。ラピスラズリを粉末にして、この特徴的な群青色を利用したものが、ウルトラマリン(群青)とよばれる顔料や岩絵の具です。
 ラピスラズリは、単一の大きな結晶はまれで、粒状のものがあつまって塊となっています。ですから他の鉱物が混じることもあります。黄鉄鉱(金色を示す)と方解石(白色を示す)の細かい結晶が、ほどよく混じっているものが、貴重とされています。
 アフガニスタンのバダクーシャは、古くからの産地で、ロシアのバイカル湖周辺、チリのオバールなども有名です。アフガニスタンでは、古くから品質のいいのラピスラズリを産出し、ツタンカーメンの仮面を飾っていました。
 12月の誕生石は、両方とも、青色の宝石です。12月には、青色が似合うのでしょうか。

・カラーコーディネイト・
トルコ石やラピスラズリは、紀元前3000年には、
古代エジプトの出土品として知られています。
また、中米のアステカ文明でも、
儀式用仮面やナイフのモザイクに、トルコ石を用いています。
なぜ、古代エジプト人やアステカ人は、
このような宝石を愛したのでしょうか。
エジプトも、アステカ文明も、
黄金を利用しました。
その黄金の装飾には、トルコ石やラピスラズリの青色が
非常にあったからでしょう。
黄金色をよく引き立たせるために、青色を利用されてきたのです。
古代の人には、素晴らしい色彩感覚があったのです。
まさにカラーコーディネイトというべきものでしょう。
そして、ラピスラズリでも、濃い青の中に、金や白の混じったもの、
つまり、うまくコーディネイトされたものが、いいものとなるのです。
もちろん、その分、値段も、高くなりますが。

・変色・
トルコ石もラピスラズリも身を守る宝石として使われていました。
特に、トルコ石は、色が変わっていくことから珍重されました。
色の変化が、さまざまな信仰やいい伝えを生んでいます。
最愛の人の危険や不貞を色の変化で知らせるとか、
色を変化させて、病気を遠ざける
と信じられていました。
また成功の保証を象徴するとしています。
色が変わるという鉱物の特徴が、
一見弱点なのですが、
宝石としての長所として利用されているのです。

・イミテーション・
宝石には、イミテーション(模造品、人工物)がつきものです。
トルコ石には、淡色のものを色を濃くしたもの、
人工的な合成トルコ石、
粉末を圧縮成形した再生トルコ石、
プラスチック製、ガラス製、陶器製
などがあります。
ラピスラズリでは、
ジャスパーに着色し、銅を混ぜてつくっています。
フランスのピエール・ギルソン社のつくるラピスラズリは、
天然のラピスラズリと、成分が変わらないそうです。

2002年11月28日木曜日

1_17 宇宙からの贈り物(2002年11月28日)

 私の机の引き出しの中には、3つの石ころかがあります。石ころといっても、ちょっと変わっています。ひとつは、一見なんの変哲もない石ころです。もうひとつは、鉄でできています。さいごのひとつは、石と鉄が混じったものです。今回は、そんな石ころの話です。

 地球の表面には、酸素があります。また、地球の大地をつくっている岩石は、ほとんどが、酸素とくっついています。つまり、酸化物となっています。ですから岩石といえば、酸化物のことになります。それは、地球の表面に酸素があるというだけでなく、地球をつくっている岩石自体が、酸素をたくさん含んでいるのです。これは、宇宙で当たり前のことなのでしょうか。それとも、不思議なことなのでしょうか。
 それを調べるには、他の惑星たちを見てみればいいのです。幸いなことに、私たちは、他の惑星について、いくつもの探査機を派遣して、その表面の様子を調べています。ですから、地球ほどではないですが、それぞれの惑星がどのような表面をもっているかを知ることができます。
 その結果、地球と似たような惑星(地球型惑星といいます)である水星、金星、火星の地表は、地球の岩石と似た、酸化物からできてることがわかりました。どうも、このような「石」が、惑星をつくる材料となっているようです。
 ところで、私の机の引き出しの中にある3種類の石は、実は隕石です。
 石からできてる隕石は石質隕石といい、鉄からできるいる隕石を鉄隕石(あるいは隕鉄ともいいます)、石と鉄からできている隕石は、石鉄隕石といいます。これが、私が、個人的に買って、持っている石の素性です。そんなに高いものではなく、数千円で買ったものです。
 特に、石鉄隕石は、石の部分が、オリーブ色で透き通っていてきれいです。オリーブ色ところは、かんらん石という鉱物でできています。このようなタイプの石質隕石は、パラサイトとよばれる種類のものです。
 隕石は、単にきれいととか、珍しいというだけでなく、地球の歴史を解き明かす重要な秘密を持っていたのです。
 隕石は、大きくみると、上で述べたような、石質隕石、石鉄隕石、鉄隕石の3種類に分けられます。なかでも、この石鉄隕石は、不思議なものなのです。
 鉄は酸化物ではありません。かたや、かんらん石は酸化物です。それが、混じって塊となっているのです。かんらん石は、地球のマントルや海洋地殻の主要な成分です。そして、かんらん石の成分として、鉄が含まれています。かんらん石の中の鉄は、酸化物です。
 このようなものをつくる環境は、なかなか考えにくいものです。まったく化学的な環境が違うものがくっついているのですから。できそうなところしては、実験室のようなサイズではなく、多きなサイズ、たとえば、数百から数千kmの惑星規模を考えれば、酸化状態と金属状態が分離されていても、化学的境界部でもこのような混合部分が生じるはずです。
 さらに不思議なことに、地球では、このような鉄とかんらん石が、きれいに混じっているものはつくれません。なぜなら、鉄とかんらん石は、鉄が7.86、かんらん石が3.2で、2倍以上の比重の違うものが、よくば混ざることはなく、分離します。これは、重力が邪魔をしているからです。ですから、石質隕石は、重量の影響を受けないところか、あるいは、金属の鉄とかんらん石が上下に層をなしている境界部分しかできそうにありません。
 結論として、石鉄隕石は、今は亡き小さな惑星(微惑星といいます)が、割れて砕けたものだと考えられています。この小さな石ころは、惑星の奥深く形成されたものです。それはどんなところでしょうか。この小さな石ころは、私の想像力をくすぐってやまないのです。

・隕石シリーズのスタート・
今回から数回(回数はまだ未定です)にわたって、
隕石シリーズを連載します。
隕石からどんなことがわかるのでしょうか。
そして、どんな地球や太陽系の歴史、
あるいは想像もしないようなことが
読み取れかもしれません。
そんな隕石にまつわる話を紹介していきます。
その第一弾として、今回は不思議な石質隕石を紹介しました。

・隕石の名称・
私が持っている石質隕石は、
15×12×5mmほどの小さいものです。
パラサイトとよばれる種類で、
名称はエスケル(Esquel)と呼ばれています。
隕石の名称は、隕石が落ちたところ、
あるいは、発見されたところの地名をつけます。
ですから、小さな田舎町で、聞いたこともないような名前だったりします。
エスケルは、アルゼンチンのチュブート(Chubut)という地域にあります。
もちろん、エスケルは、
私もいったことも、聞いたこともない、
まったく知らないところです。

・隕石の履歴・
私が持っているエスケルは、その素性がよくわかっています。
この隕石は、1951年、地主が貯蔵用タンクの穴を
掘っているときに見つけたものです。
私が持っている隕石は、切り刻まれていますが、
もともとは、ひとつの塊でした。
その塊は、まわりには黒くこげて、
融けたものがくっついました
(フージョンックラストとよばれます)。
ですから、地球に落ちてきて
そんなに時間がたっていないと考えられています。
隕石は、個人の持ち物であれば、商品として売られます。
そして、ときには切り刻まれて、
あるときは、科学者の研究材料に、
あるときは、装飾に、
あるときは、財産として、
あるときは、ご神体として、
あるときは、コレクションとして、
あるときは、私のように眺めて楽しむために
標本商から買われるのです。

2002年11月21日木曜日

3_29 日本列島の火山帯の形成モデル

 日本列島は、温泉がたくさんあり、多くの日本人は、温泉を楽しみ、そして火山などの景観を楽しんでいます。そんな日本列島の火山にについて、新しい考え方が出されました。紹介しましょう。


 日本列島は、火山列島でもあります。日本の火山は、プレートテクトニクスの考えでは、沈み込み帯によって形成されたものです。プレートの沈み込みによってできた火山列島のことを、島弧(とうこ)と呼んでいます。日本列島だけでなく、周辺のアリューシャン列島、琉球列島、伊豆-小笠原列島のいずれも、島弧です。
 日本列島の東北日本は、世界でももっとも典型的な島弧の火山活動地域です。ですから、島弧の火山活動の解明は、日本の地質学者の重要な研究課題の一つです。その研究課題に、重要な前進が、先日(2002年9月5日発表)、報告されました。
 海洋技術センター(理事長 平野拓也)、固体地球統合フロンティア研究システム(IFREE、久城育夫システム長)、地球内部物質循環研究領域の田村芳彦グループリーダーらは、島弧の火山活動において、新しい、より詳細なモデルを公表しました。
 島弧では、火山の分布が、火山フロントと呼ばれる火山列をなしています。これは、海溝から、つまり沈み込み帯の位置から、ある一定の距離が離れたところで、マグマが形成される条件(温度圧力、沈み込むプレートからの水の供給など)が満たされていることを意味しています。しかし、その詳細は、まだ研究中で、充分解明されていません。
 「冷たい海洋プレートが沈み込むことによって、なぜ、熱いマグマが形成されマグマができるのか」という素朴な疑問に対する答えが、まだ、ないのです。
 今回、発表された研究成果では、いくつかの詳しい観測結果、つまりデータと、ある考え方が示されました。
 まず最初のデータは、火山の分布についてです。火山フロントから陸側(海溝と反対側)には、多数の活火山が分布しています。しかし、その火山の分布を詳細に見ると、火山の集中するところと、火山がほとんどない空白地域があることがわかってきた。今までは、漠然と、フロントより陸側に火山がたくさんあるという見方しかされていませんでした。ところが、今回、火山の分布は、火山の多いところと、空白域が、規則正しく交互に出てくることが示されたのです。
 第2点目は、第1点目と関係があるのですが、火山の集中域では、地形的高まりの上に、火山が積み重なっており、火山空白域では、地形的にも低いことろであることが明らかになりました。つまり、高いところに火山は活動し、低いところには、火山がないのです。火山は山ですから、高いものと考えていたのですが、もともと地形の高いところに火山ができていたのです。
 火山フロントに位置する火山列(那須火山帯と呼ばれる火山の連続)を、本州中央部の浅間火山から、北海道南部まで、標高分布をみると、10回の地形的うねり(高まりと低い部分の繰り返し)が見られます。同じような地形的うねりが、本州中央部の妙高火山から北海道南部までの、火山フロントからより陸側の火山列(鳥海火山帯と呼ばれる火山の連続)における標高分布で、見られることがわかってきました。
 さらに、その部分を、地震波トモグラフィーでみると、地下深部の高温域が、火山集中域の分布に対応していることがわかってきました。
 東北日本の島弧では、深さ50~150 kmにあるマントル内の高温領域は、日本海側の深部から、太平洋側の浅所に向かって、指状(クシの歯状)に侵入していることを示されました。熱いマントルが指状(クシの歯状)に進入しているところが、火山の多い、地形の高まりのあるところで、指の隙間にあたるところが、空白域に対応しているのです。
 指状(クシの歯状)の熱いマントルの上昇が、沈み込み帯における火山および火山帯の形成の原因となっていることを見いだされました。しかし、この熱い指状(クシの歯状)のマントルが、どこから、なぜ上昇するかは、これから取り組まれるべき課題となっています。

関連サイト
http://w3.jamstec.go.jp/jamstec-j/PR/0209/0905/index.html

・メールマガジンの目的・
中学校のある先生から、
以前、掲載した
「2_17、2_16 6億年前の大絶滅」
を学校の授業で利用したいという申し出がありました。
もちろん、了承しました。
このメールマガジンやホームページで、
少しでも地球に興味を持つ人が
増えてくれればいいと思っています。
それが、このメールマガジンの目的でもあります。

2002年11月14日木曜日

3_28 温泉

 先日、家族で海辺の温泉に出かけました。そこの温泉は、海が見える露天風呂がありました。露天風呂につかりながら、温泉について、2つの盲点があったことに気付きました。


 目の前に海の見える露天風呂です。風は冷たいのですが、露天風呂は気持ちいいです。この温泉は、食塩泉で、しょっぱいお湯です。このお湯のしょっぱさは、海のすぐそばだからだとおもっていたら、説明を読むと、「化石海水」というものであると書いてありました。
 化石海水とは、地層堆積時から含まれていた水のことです。地層は、陸から河川で運ばれた土砂が、海でたまったものです。ですから、堆積物の間にある水は、実は海水なのです。
 深い地層の地下水は、塩分を含むものが多くあり、これを化石海水と呼んでいます。つまり、海に近いからしょっぱい温泉なのではなく、海でできた地層から出てきた水だからしょっぱいのです。盲点でした。
 海辺の温泉とはいえ、火山などの熱源があれば、海水を温めることができますが、ここには、近くに火山はありません。ということは、ここの温泉は、深くまで掘って、地温勾配(深くなるほど地温が高くなる)を利用して、温泉としたものです。ということは、深層の地下水だということです。深層の地下水には、地層からしぼり出された水が含まれています。それが海水なのです。
 もともと地層は、海底に土砂がたまったものです。これが一枚の地層としての始まりです。海底に土砂がたまるという現象が何度も繰り返され、何枚もの地層が重なっていきます。やがて、下の地層が圧縮されて、含まれていた水がしぼり出されます。そのとき出てくる水は、海水です。これが、深いところからくると、地温勾配で温められたもの、つまり温泉としてでてきます。
 この地域の基盤の地層は、新第三紀末ものですから、海水は1000万から500万年前のころの海水だということになります。
 多分、この温泉が、山の中にあれば、上のように考える人も多いとおもいますが、海の近くという落とし穴に、私は、はまっていたのです。
 もう一つは、温泉の温度についてです。ここの温泉は、36.5℃だそうです。体温ほどですから風呂の湯として使うには温度が低すぎます。だから沸かしているはずです。温泉を沸かすと邪道だ、うめるぐらい熱い温泉がいいという人がいるかもしれません。でも、ここには、定義と成分濃度の点から盲点があります。
 日本では、温泉の定義は、1948年に制定された温泉法という法律で定められています。その定義によれば、25℃以上の温度を持っているものを温泉としています。だから、私が入ったような沸かさなくてならようなぬるいものでも、温泉といって大丈夫なのです。また、25℃未満でも、ある特定の成分を、法律上の値以上に含んでいれば、温泉といえるのです。
 その成分とは、法律上、19の成分あげられています。全溶存成分量、遊離炭酸、Li+、Sr2+、Ba2+、総鉄イオン、Mn2+、H+、Br-、I-、F-、ヒドロヒ酸イオン、メタ亜ヒ酸、総イオウ、HBO2、H2SiO2、NaHCO3、Rn、ラジウム塩であります。このような成分が、法律で決められた成分以上に、どれか一つでも含まれていたら、温泉といえるわけです。冷たいものでも、温泉ということができます。温泉の効能が、溶存成分によってもたらされているのであれば、こんような成分のを重視することも理解できます。
 成分の濃度をよく考えると、熱くてうめて入るくらいの温泉は、溶存成分は、うめた分だけ薄まることになります。ということは、うめた温泉は、溶けている成分の濃度が、薄まったことになります。
 温泉の効能が、溶存成分にあるのなら、薄めることによって、温泉の効能の効果が弱まることがなります。ところが、沸かす温泉は、水の蒸発によって、かえって成分の濃集は起こっているのです。つまり、沸かした温泉は、効能のおよぼす成分が濃くなることがあっても、薄まることはないのです。これも盲点でした。

・吹雪の露天風呂・
露天風呂は、吹雪でした。
波も荒く、風も強い。
しかし、がんばって、長男と風呂に入りました。
もちろん、裸で吹雪の中を歩きますから、
大急ぎで、露天風呂に飛び込みました。
温泉の首までつかって、吹雪の露天風呂を楽しみました。
長男は、丸坊主なので、頭が寒そうでしたが、
変わった露天風呂を堪能しました。
もちろん、出るときも駆け足で
内風呂に飛び込んだのはいうまでもありません。

・意外な温泉・
温泉とは、温度からすれば、
地下から湧き出した
温かい地下水というように考えます。
これがいちばん常識的な温泉です。
溶存成分が、1g/kg未満で温度が25℃以上のもの、
つまり、私たちが一般に温泉と考えるものは、
単純温泉といって分類しています。
また、成分を考えると、
溶存成分がたくさん含んでいるものは、鉱泉といい、
そのうちの温かいものを温泉といます。
温かく溶存成分の多いものが、温泉の常識的な考えです。

ところが、温泉法によれば、
冷たい鉱泉が、温泉と呼べるだけでなく、
ガスや水蒸気でも、上で述べたような成分が含まれていたら、
温泉として扱います。
ちょっと常識に反します。

でも、効能から考えると、
温度は、沸かすことでいくらでも変えることができますが、
溶存成分は変えることはできません。
添加しては、天然温泉ではなりません。
入浴剤いりの銭湯と変わらなくなります。
単に温度が高いだけでは、
効能からすると、ありがたみが、あまりないのです。

2002年11月7日木曜日

6_17 11月の誕生石

 誕生石が、ひとつの月と、ふたつの月、3つの月があります。なぜかは、わかりませんが、誕生石の数が違うのです。今月は、ひとつの月です。11月の誕生石は、トパーズです。

 トパーズは、英語でtopazと書きます。日本名は、黄玉(おうぎょく)といいます。日本名の黄玉という名のとおり、黄色のトパーズが、宝石として価値があります。シェリー酒に似た、黄みがかった、豊かなオレンジ色が、宝石とされています。中でも、インペリアル・トパーズと呼ばれる、やや赤みを帯びた暖かい黄金色をしているものがいいとされます。しかし、トパーズでよくみられるのは、無色透明の結晶が多いのです。
 柱状(斜方晶系)の結晶としてよくみられます。モース硬度は8で、8の指標の鉱物として使われています。
 トパーズは、片麻岩という変成岩や花崗岩の中や、花崗岩や流紋岩の小さな穴からみつかります。
 トパーズの化学組成は、Al2SiO4(F,OH)2です。カッコ()の意味は、フッ素(F)か、水酸基(OH)のどちらかが、あるいは両方がはいるという意味です。水酸基のタイプのトパーズは、色が美しく、色も永久性があり、インペリアル・トパーズもこのタイプです。無色や青色、黄色、褐色のトパーズは、フッ素タイプですが、色の耐久がよくありません。
 水酸基タイプの黄金色のトパーズは、熱処理によりピンク色に変わります。無色のトパーズに放射線による着色もおこなわれています。フッ素タイプのトパ-ズは、着色しても色の耐久性は、よくありません。
 トパーズで品質のいいインペリアル・トパーズと呼ばれるものは、ブラジルのミナス・ジェライス州オウロ・プレト地区が世界唯一の産地となっています。そこ以外にも、スリランカやインド、ロシアのウラル山脈などからも品質のいいものが産します。世界最大のトパーズは、ブラジル産で、80cm×60cm×60cm、300kgもあり、ニューヨークの自然科学博物館にありからみつかります。日本最大の標本は、7.5cm×10cm×15cm(苗木)で、20世紀のはじめにとれたもので、現在では、こんなに大きいなものはとれません。

・名前の由来・
トパーズという名前は、
紅海の中央部にあったトパゾス島に由来するといわれています。
この話は、プリニウスの「博物誌」からきているようです。
紅海の真ん中にトパゾス島という島
(現在のセント・ジョン島らしい)
があり、昔から探索されてきました。
しかし、霧が深く、なかなか発見されませんでした。
ですから、この島の名前を、
「探索する」という意味の「トパージン」と呼ばれていました。
「トパージン」というのは、
昔のエチオピア人の言葉で「探索する」ことです。
紀元前3世紀に、この島から初めて1個のトパーズ
(これは現在ではペリドットと呼ばれている別の宝石)
が、エジプト王家に贈られました。
王家は、この「トパーズ」で、2mもある像をつくり、
神殿に奉納した、という記述があります。

紆余曲折のすえ、トパーズという名前がついたようです。
ある島を探していましたが、
なかなか見つからないので、
その島の名前が「探す」という名前になり、
その後、島からでた宝石の名前になりました。
でもその宝石は別のものだったのですが、
現在のトパーズという宝石の名前になりました。

・さまざまなトパーズ・
かつて、トパーズには、
ペリドット(カンラン石のフォルステライトと呼ばれる種類)や
クリソチル(蛇紋岩の一種)など
別の鉱物が、間違ってトパーズとされていたこともありました。
現在では、オリエンタル・トパーズ(黄色のサファイア)や、
黄色の石英や黄色のコランダムが
トパーズとよばれることもあります。
これは黄色という色がトパーズの特徴なので、
それに似ているという意味から
「トパーズ」という名称が使われているのです。
また、透明のブリリアンカットしたトパーズが
ダイヤモンドの間違われることがあります。
これは、誤解もしくは詐欺のためです。

2002年10月31日木曜日

4_27 めくれ上がった山脈:日高山脈3

 さて、日高山脈の最終回です。日高山脈は、大地の営みという、長い時間と強い力で、かつての海と列島の大地が、めくれ上がったものです。ということは、日高山脈には、過去の海洋と列島の岩石、もちろん深いところの石が出ているのです。


 2002年7月30日から2泊3日で、北海道の日高地方にいってきました。その時、日高山脈を横切るように、いろいろな石を見てきました。実際に日高山脈を横切る道路が何本かあるのですが、すべての石を一つのルートでみるのは、できません。そのために海岸沿いや山の中で、どの部分の石に当たるかをよく考えながら見ていくわけです。
 日高山脈は、列島の石が順番に出ています。その順番は、東側に現在の地表に続く浅い部分の石が出ており、西に向かうにつれてだんだん深くなり、表層から、列島の地殻上部、地殻下部、そして幌満のカンラン岩にあたるマントルまで、順番に深い部分の石がでています。これは、かつての列島のひとセットの断面といえます。
 深部の岩石ほど、高温かつ高圧の条件で変成岩になっています。このような変成岩を日高変成岩とよんでいます。そして、日高変成岩が分布している部分を日高変成帯といいます。日高変成帯には、高温高圧のため岩石が溶けてマグマが形成されているところもあります。そして、それがマグマとして活動し、深部でマグマが固まった深成岩としてあります。
 そして、さらに西側には、もぐりこんだ海洋地殻の断片が、列島の地殻下部の岩石にくっついてあります。海でたまった堆積物から、海溝の奥深くにもぐりこんだ海洋地殻の岩石までがあります。温度は高くないのですが、強い圧力で変成岩になった神居古潭(かむいこたん)変成岩があります。神居古潭変成岩が分布している地域を神居古潭変成帯といいます。
 高温高圧の日高変成帯と、低温高圧の神居古潭変成帯は、対(つい)をなしています。このような対をなす変成帯が、列島で古い時代の山脈にはよくみつかります。そして、日高変成帯も、神居古潭変成帯も、対をなす変成帯として、世界的に有名です。
 じつは、有名にしたのは、日本の地質学者が長くこの地域を調査、研究し、世界に重要性を示していったおかげです。
 日高山脈の東側、襟裳(えきも)岬から、十勝(とかち)に向かう道路は、断崖絶壁を通り抜けます。この道は黄金道路とよばれています。それは、断崖絶壁をに道路をつくるために、大金を投じられたからです。黄金道路沿いには、日高変成岩類と深成岩類がでています。
 日高山脈シリーズの最初に紹介した幌満のカンラン岩は、列島深部の一番深い部分から来たものです。
 日高三石には、蓬莱山という名所があります。蓬莱山は、河原に、にょっきりとたった岩山(ノッカーといいます)です。神居古潭変成岩にぞくする蛇紋岩と角閃岩からできている岩山です。角閃岩類は、深部にあった岩石が高圧で変成を受けたものです。蛇紋岩は、マントルをつくているカンラン岩からできた岩石です。カンラン岩が、 水を含んで軽い蛇紋岩となって上がってきたものです。そのとき、上にあった角閃岩を一緒に持ち上げてきたのです。神居古潭構造帯にはこのような変成岩類がいろいろ混じっています。
 ほんの一日ほどで、列島深部の岩石の旅ができます。そして、石ころは、地球の贈りものです。カンラン岩は重くて磨くときれいで、非常にすばらしいお土産になりました。

2002年10月24日木曜日

4_26 いろいろな山脈:日高山脈2

 日高山脈には、列島形成の秘密の鍵があります。それを多くの地質学者が、長い時間をかけて解明してきました。そんな積み上げられた、研究の成果を紹介しましょう。2002年7月30日から2泊3日で、北海道の日高地方の地質見学の第2弾です。


 山脈は、日本列島の各地にあります。列島の山脈の並びはでたらめにあるのではなく、ある規則性があります。その規則は、列島の延びている方向へ山脈も延びています。それは、海岸線の伸びている方向とも一致します。もう少し広く見ると海溝の延びる方向にも並行しています。
 このような一般的な規則は、世界の地形に通じるものです。南米のアンデス山脈、北米大陸のシラネバダ山脈、比較的新しい時代にできた山脈にはこのような規則にそっています。
 山脈の代表として東北日本を考えましょう。東北日本の山脈には、火山があります。あるいは火山が山脈を形成しているともいえます。火山は海溝と平行して活動しています。海溝に近いところでは、火山はなくなりますし、遠くなってもなくなります。つまり、海溝に平行に、ある幅で火山が形成されています。これが、山脈のできかたの典型的なものです。いちばん海溝に近い火山を地図の上で書きますと、きれいな火山の線(火山前線、Vlocanic Front)ができあす。
 もちろん、例外もあります。マリアナ海溝に並行する山脈はありません。伊豆半島から南に延びる列島があるだけです。このような島々は山脈とはいえません。北海道の山脈も中部地方の日本アルプスも、列島、海岸線、海溝など並びからずれています。今回のテーマである日高山脈も例外となります。けっこう、例外も多そうです。では、上で述べた規則性は偶然の産物なのでしょうか。
 じつは、例外も、それなりの理由があるのです。例外にもいくつかの規則性があります。ひとつは、伊豆半島から小笠原の列島のように、列島としてはまだ、成長途中で、いってみれば、これから列島へと成長しつつあるものです。このようなものを未成熟といいます。
 そして、東北日本のように、「列島らしい」列島を、成熟した列島といます。成熟している列島には、火山が形成されています。
 さらに、時間が経過すると、過去の火山やめくれあがった大地などが形成されます。その一つの典型が、日高山脈なのです。そこには、過去の海溝と火山が再現されます。それに、海溝の周辺の海洋をつくっていた地殻もあります。さらに、火山の下の列島の深部をつくっていた岩石が、めくれ上がってでてきています。
 さらに進むと、かつては広くあった海が完全に海溝にもぐりこみ、つまりなくなり、海の両側の大陸がぶつかってしまうこともあります。それが、ヒマラヤ山脈からトルコ、アルプス、ピレネーへと続く山脈群です。そこには今は地中海のように小さくなった、巨大なテチス海があたのです。ヒマラヤではインド大陸が衝突して山脈も大きく成長しました。
 また、海洋地殻が海溝にもぐりこむこと、つまり一方から強く押されると、地球は丸いので、おおきな断裂、断層ができます。そこでも、断層によってめくれあがることがあります。フォッサマグナとよばれる日本列島を断ち切るような断層があります。その断層は非常に落差が大きく、両側の地層はまったく違ったものとなっています。そしてめくれあがってできたものが、日本アルプスです。ニュージーランドの南島のサンザンアルプスは、断層によってめくれあったものです。
 つまり、山脈と一口にいっても、列島の成長過程や構造に応じて、いくつかの種類ものがあるのです。日高山脈に触れる前に、山脈の説明で多くを使いました。次に日高山脈の話にしましょう。

2002年10月17日木曜日

4_25 幌満:日高山脈1

 ホロマンという地名をご存知でしょうか。日本の地名です。漢字では、幌満と書きます。知る人ぞ知る地名です。特に、地質学を学んだ人には、聞き覚えがあるはずです。今回は、幌満の石について紹介しましょう。


 2002年7月30日から2泊3日で、北海道の日高地方にいってきました。その一番の目的が、幌満をみることです。人を案内するために、下見として、7月上旬にも、ここを訪れています。今回、幌満にいったのは、何年ぶりでしょうか。学生のとき、2、3度訪れました。20年ぶりくらいでしょうか。ほとんど覚えていないので新鮮な部分と、かすかな思い出と、以前来たことがあるという記憶で、懐かしいような、不思議な気持ちでした。
 幌満は、北海道様似郡様似町のなかの小さな地域の地名です。アポイ岳が有名ですが、アポイ岳もかんらん岩からできています。そこには、かんらん岩と呼ばれる岩石が、それもほとんど変質もなく、マントルにあったときのまま地表に出ていることで、地質学では、世界的に有名です。2002年8月26日には、様似町でかんらん岩の国際学会も開かれました。
 アポイ岳は日高山脈えりも国定公園の一部です。また、アポイ岳周辺は国指定の特別天然記念物「アポイ岳高山植物群落」にもなっています。高山植物群落で特別天然記念物に指定されているのは、岩手県の早池根山、富山県と長野県にまたがる白馬岳です。
 アポイ岳が、こんなに有名なのは、理由があります。標高は810.6mなのですが、なぜかこの山だけは、350m付近から高山植生帯の景観をもっているのです。本州中部なら、2500m以上、北海道でもは、高山植生帯は1000m以上です。なのに、アポイ岳は、その森林限界が非常に低いのです。それは、かんらん岩の特徴に関連があるのです。
 かんらん岩は、鉄やマグネシウムが多い岩石です。そのうち、マグネシウムは、植物の生育にはよくない元素です。また、窒素、リン、カリウムなどの植物の栄養となる元素も少ないので、植物が育ちにくく、特殊な環境となっています。アポイ岳には、アポイ岳に特徴的にみられるヒダカソウ、エゾクゾリナ、アポイカンバような珍しい植物、ヒメチヤマダラセセリ、アポイマイマイなどの珍しい動物もいます。
 かんらん岩が、なぜ、それほど珍しいかというと、マントルという部分を構成している岩石だからです。マントルとは、地球の深部にある岩石からできた部分で、地殻より下部にあります。かんらん岩は、地球深部にある岩石ですから、地表ではなかなか見ることのできないものなのです。
 地殻は、海で10km、大陸では40km、列島では20kmあります。それより下の岩石でできた部分はすべて、マントルで、地表から2900kmがマントルになります。地球の半径でいうと45%が、体積では83%マントルにあたります。それより深部には、鉄でできた核と呼ばれるものが、地球の中心まであります。
 マントルをつくっているかんらん岩は、オリーブ色のかんらん石を主として、濃い褐色(あめ色)の斜方輝石、エメラルドグリーン(濃い緑色)の単斜輝石、そして少量の真っ黒のスピネルかあるいは白く透明感のある斜長石からできています。このような鉱物の組み合わせ、量比によって、かんらん岩は細分されています。マントルのつくっているかんらん岩は、レルゾライトと呼ばれるものです。
 幌満のかんらん岩は、地下60から75kmの上部マントルが地表に上がってきたと考えられています。それは、1500万から2000万年前におこった日高山脈の形成にともなっておこった現象なのです。

2002年10月10日木曜日

6_16 10月の誕生石

 10月の誕生石は、トルマリンとオパールです。どちらも比較的よくでてくる宝石です。

 トルマリンは、日本では電気石と呼んでいます。この日本の名前の由来は、加熱したり、摩擦したりすると、静電気がおきることによります。
 化学成分は、気が遠くなるほど複雑です。化学式で書くと、Na(Mg,Fe,Mn,Li,Al)3Al6Si6O18(BO3)3(OH,F)4となります。ホウ素を含むことが、大きな特徴です。化学組成のカッコの中は、どれかの元素か、いくつかの元素が組み合わさったものを意味します。ですから、非常に多様なトルマリンがあることが、わかります。
 多くは、色が黒いのですが、褐黒、青黒、緑、紅、と多様ですし、透明だったり不透明であったりします。もっとも普通にでてくるのは、鉄電気石とよばれるもので、ガラスのような光沢をもち、黒色で不透明な六角柱状結晶です。
 宝石となるものは、リチア電気石で、10月の誕生石とされているトルマリンは、これをさします。
 火成岩のペグマタイトや花コウ岩の中に、ごく普通にみられ、結晶片岩や片麻岩などにも含まれています。
 日本の代表的な産地としては、福島県石川、山梨県黒平、鳥取県広瀬鉱山、宮崎県鹿川、鹿児島県屋久島などがありますが、宝石となるようなものはほどんど出てきません。日本以外では、多くの国から出てきますが、なかでも、ブラジル、アメリカ合衆国、タンザニア、ケニア、マダガスカルなどがおもな産地となっています。
 つづいて、オパールです。オパールは、日本でもなじみのある名称ですが、タンパク石という日本名を持っています。
 でも、オパールは、鉱物ではないのです。つまり、結晶化していません。化学組成は、珪酸(SiO2)を主としていますが、1~21%の水を含んでいます。ですから、化学組成を式(構造式といいます)で書くと、SiO2・nH2Oとなります。宝石となるようなものは、水分が約6~12%の範囲になるようです。
 オパールは、硬度が5.5~6.5ですが、比重が2.0~2.3と小さいのが特徴です。
 オパールは、無色透明(ウォーターオパール)、白(ホワイトオパール)、黒(ブラックオパール)、黄から赤色(ファイアオパール)など、変化にとむ色(七彩色、遊色効果ともいいます。英語ではplay of colorです)をもっています。しかし、虹色にきらめくもの、特殊な色をもつもの、おもしろい模様のあるものが、宝石としてつかわれます。
 オパールの七彩色は、珪酸の小さな(直径150~300nm)粒子が規則的に配列して、光を回折現象させるからです。粒子が大きいときには、波長の長い赤色の光を、小さい場合には、波長の短い紫色の光をだしますが、これらが入りまじって七彩色となります。
 オーストラリアとメキシコが、オパールの産地として有名です。1870年代にオーストラリアで、堆積岩の中から品質のいいオパールが発見されました。ときには化石がオパール化したものがります。現在もホワイトオパールやブラックオパールのおもな産地となっている。メキシコのオパールは、火山岩の中の穴にできるウォーターオパールやファイアオパールが有名です。
 日本では、福島県西会津町宝坂、長崎県波佐見町、石川県赤瀬、北海道紋別などで、流紋岩の中にでてきますが、宝石にあるようなきれいなものはほとんどとれません。
 1972年に、ホワイト・オパールとブラック・オパールが人工的に製造できるようになりました。現在では、プラスチック製で、天然物と同じような構造で、識別困難な精巧な人工オパールもできるようになりました。
 オパールは水をふくんでいるため、乾燥したり、熱によってひびがはいってしまうことがあるので、保存には注意が必要です。

・宝石のはやりすたり・
オパールは、ローマ時代から珍重されていたようです。
大プリニウスの「博物誌」には
「いろいろな宝石の魅力を寄せあつめたようなものだから、
これを記述するのはひじょうに困難である。
それはいわば、ザクロ石のちらちら燃える火と、
アメシストの緋色の輝きと、
エメラルドの海緑色とを併せもっている」
とあります。
中世には、オパールは、
毒を予防する力があると信じられていたので、
指輪だけでなく、金銀細工の装飾としてよく使われました。
その後も、17世紀初期まで、宝石として大いにもてはやされました。
ところが、ウォルター・スコットの小説
「ガイアスタインのアン」(1829年)で、
主人公が、オパールを持っていたため不幸にあい、
オパールを海に捨ててやっと不幸から免れるというものでした。
この小説の影響で、18世紀から19世紀にかけては、
不幸を招く石として不評でした。
1964年にオーストラリアから、
青色の遊色効果を示す203カラットのホワイト・オパールを
イギリスのエリザベス女王に献上されました。
このオパールは、白金枠にセットされ、
ネックレスとして女王に愛用したので、
再びオパールの人気が出たそうです。
宝石にも、はやり、すたりがあるようです。

2002年10月3日木曜日

4_24 ハットンの火成説:イギリス3

 今回、ハットンのスケッチのある地点として、エディンバラ市内の東部にあるホリーロード公園というところも見ました。その紹介をしましょう。


 ハットンは、エディンバラを活動の場としていました。ですから、地質調査も、もちろん、エディンバラを基点としていたはずです。その証拠として、エディンバラの町の中に、ハットンが重要な考えを得た地質の現象があります。そのスケッチも残っています。
 そこは、エディンバラの市内で、高さ220メートルほどのアーサーズ・シート(Arthur's Seat)呼ばれる山があります。その山並みは、市外から見ると、山の中腹に10メートルほどの厚さの岩石の帯が見えます。
 その岩石の帯の見える山を詳しく調べたハットンは、いまでは当たり前となった、火成(かせい)説の証拠を見つけ出したのです。
 その岩石の帯の下に岩石がむき出しになっているところがあります。その岩石は、ドレライト(dolelite)とよばれる種類の岩石でした。そのドレライトを、近づいて観察すると、地層にほぼ平行にドレライトがあります。その下には赤い砂岩から泥岩が層をなしてあります。ですから、ドレライトも地層のように、水中でたまったように見えます。水成説を唱える人たちは、そう考えていました。
 詳しく見ると、水中でたまってはできないような現象を、ハットンは発見したのです。それは、下にある堆積岩の一部が、めくれ上がって、ドレライトのなかに取り込まれているところがあったのです。このような現象は、上から順番にたまる地層としてはできないものです。
 ドレライトが地層の間を分け入るとき、マグマに引っ掻かれて、マグマの中に地層がめくれ上がったのです。ハットンは、これをマグマの存在の証拠として示しました。マグマが地層に入り込む現象は、現在、貫入(かんにゅう)とよばれます。しかし、今回のように地層に平行に、貫入した岩石を、シル(sill)と呼んでいます。
 ドレライトは、玄武岩のマグマが、地中でゆっくりと冷えたものです。斑レイ岩よりもっと浅いところ、つまりやや早く冷え固まりましたす。ですから、斑レイ岩より粒は細かいのですが、目で見えるほどの結晶からできている岩石です。マグマが冷え固まったのですから、熱い物質から形成されました。
 本当は、地層を切ってマグマが貫入したもの(岩脈(がんみゃく、dyke)と呼びます)があれば、一目瞭然で、わかりやすかったのですが、なかったようです。幸いにも、シルが地層を巻き込んでいるところがあったので、ハットンは、マグマのしわざと見抜けたのですが、このような現象がなければ、ここでは、火成説を証明するのは難しかったでしょう。
 もちろん、日本は、火山国ですから、さまざまなタイプの岩脈を、多くの地域で見ることができます。
 重要なことは、自然を見る視点だということです。少々材料が不十分でも、たとえば、火成説で自然を見ていけば、その考えを支持するような証拠をみつけだすことができるのです。そのような視点を持てたかどうか、そしてその視点で、自然から証拠を見つけることができたか、その点が重要です。
 不整合とともに火成説も、ハットンの自然の見方が正しかったので、見抜けたのです。

Letter
・寒い火山・
ハットンが調査をした町を見下ろす小高い丘に立ちました。
9月の上旬だというのに、風が冷たく、
T-シャツ、ワイシャツ、トレーナー、ジャンバーまで着込んでも
寒いほどの気候でした。
前日、来ようとしたのですが、雨が降っていたので、あきらめました。
そして、午前中しかないこの日に見に来たのです。
震えながら、ハットンのみた露頭をみたのですが、
よくもこんな小さな露頭で、
地質学の趨勢を決するような証拠を見つけたな、
と関心しました。
やはり、どんなものでも、見る人が見れば、
真実は見抜けるのです。

・ハットンの知名度・
ハットンは、エディンバラの出身で、近代地質学の祖といわれています。
しかし、エディンバラ、スコットランド、あるいはイギリスにおいて、
その扱いはあまりに小さく感じました。
なぜでしょうか。
確かに
それなに評価はされています。
エディンバラの科学アカデミーに胸像も飾られています。
一般の人が入手できる資料はゼロではありません。
でも、なぜかその扱いは大きくありません。
考えてみると、イギリス人で
科学で、世界に名をなしている人々を考えると、
ダーウィン、ニュートンから、ドーキンス、ホーキングまで、
綺羅星のごとき科学者がいっぱいいます。
地質学でも、スコットランドの大地主の子として生まれた
ライエルという巨人がいます。

・火成説と水成説・
18世紀、岩石の成因として、
火成説と水成論とがあり、論争していました。
火成説は、岩石はすべて熱い溶融物(マグマ)が固まったものか、
変成してできたものだとしました。
水成説では、地殻は海洋底にたまった堆積物からできたするものです。
ハットンは、堆積岩とマグマ起源の岩石があり、それを区別していました。

エディンバラの東方にあるこの山は、
約3億5000万年前(石炭紀初期)の火山です。
長い年月のうち、火山の上部が削剥されてしまったものです。
成層火山の中央部はクレータで、
側方は層をなす岩脈や溶岩が見えています。

こんな地の利が、
ハットンの火成説を培ったのかもしれません。

2002年9月26日木曜日

4_23 ハットンの不整合:イギリス2

 ハットンが最初に不整合を記録したシッカー・ポイント(Siccar Point)を訪れました。「ハットンの不整合」と呼ばれているものです。そこは、地質学の発祥の地でもあります。


 シッカー・ポイント(Siccar Point)は、ジェームス・ハットンが不整合を記録したところです。今回のイギリスの旅で、スコットランドへ来たのは、この「ハットンの不整合」を見るためでした。
 不整合とは、地層の関係を示すものです。地層と地層の間に、時間と物質において不連続があるものをいいます。そこには、堆積物にはなりえない、大きな地質学的事件が起こったことが読み取れます。
 不整合とは、ある地層がたまって、いったん上昇して陸になり、風化や浸食により、もともとあった地層が削られ、再び大地が海に沈み、地層のたまるときにできる境界部のことです。したがって、下の地層と上の地層の間に、地層の構造や岩石の種類に連続性がありません。また、長い時間の間隙もあります。不整合とは、「証拠の残らない大きな地質学的異変」ことで、そしての「証拠のない」証拠でもあるのです。
 このような不整合の存在を最初に示したのが、ジェースム・ハットンなのです。上で述べたような地質現象を見抜き、科学的な解釈をしたことによって、ジェームス・ハットンは、近代地質学の祖と呼ばれています。
 シッカー・ポイントの不整合は、「ハットンの不整合」(Hutton's Unconformity)と呼ばれ、地質学者には有名な露頭です。
 この不整合は、シルル紀の地層の上に、デボン紀の地層が、不整合で重なっています。シルル紀とデボン紀の地層の境界は、イングランドやウェールズでは、不整合ではく、整合(せいごう)で重なっていますが、ここスコットランドでは、傾斜した不整合で重なっています。
 シルル紀の地層は、ぺらぺらとはがれやすい性質(葉理(ラミナ)の一種)の粒の細かい砂岩から泥岩と、粒の粗い白っぽい砂岩との繰り返しの地層です。デボン紀の地層は、旧赤色砂岩とよばれるもので、文字通り赤い砂岩です。エディバラの建物の石材としてよく利用されています。
 上に乗っている地層の最下部には、基底礫がありました。このような基底礫のあることも不整合の有力な証拠となります。
 下のシルル紀の地層は、海でできた地層(海成といます)で、褶曲(しゅきょく)し、断層や割れ目がたくさん形成された色の濃い砂岩から泥岩(グレイワッケとよばれています)からできています。この堆積物は、かつてスコットランドが属していた大陸ローレンシア(Laurentia)という大陸の前面にあったイアペタスという海(Iapetus Ocean)の沿岸や海底にたまったものです。場所によっては、花崗岩や火山などの活動も起こっていました。
 じつは、もう一つ「ハットンの不整合」と呼ばれているところがあります。
 それは、エディンバラから南にあるジェドバラ(Jedburgh)というイングランドの境界に近い町にあります。シッカー・ポイントのスケッチも有名なのですが、ハットンの不整合のスケッチでは、多分、この地のもののほうが有名です。
 そこも訪れました。しかし、あまりにもスケッチとはかけ離れたものでした。川を挟んだ対岸にその不整合の露頭はありました。しかし、風化や浸食が激しく、昔の面影は、ほとんどありませんでした。一応、露頭の前の草は刈られていて、露頭の全貌を見ることはできました。でも、その露頭は、本当の不整合面は、上から雨水で流された土砂をかぶっていて、よくわからなっていました。
そしてシルル紀の地層とデボン紀の地層は、岩石の色も違うはずなのですが、
風化した、デボン紀の土砂のために、赤茶けて、区別がつきにくくなっています。
 それと、この露頭にたどり着くための情報が非常に少ないのです。それに、露頭の前に、看板すら立っていません。近くの工場のおじさんに聞いて、やっとその露頭がわかったほどです。

Letter
・ハットンの斉一説・
ハットンは、地質現象が長い時間をかけて起こり、
現在の地球の景観は、何百万年もかけてつくられたのだと論じました。
これは、斉一説(せいいつせつ)と呼ばれる考え方です。
ハットンは、斉一説の考えで地質学を構築しました。
斉一説とは、現在起きている地質現象が、
過去にも同じように起きていたという考えです。
この説は、地球の歴史を調べるうえに、
「現在」が有力な情報を与えてくれることになります。
背一説を象徴する言葉として、
「現在は、過去の鍵である」
という言葉があります。

・斉一説と激変説・
ハットンの斉一説は、
激変説(あるいは天変地異(てんぺんちい)説)と対立しました。
激変説は、フランスの博物学者キュビエらがとなえたものです。
激変説は、キリスト教の影響を受けた説です。
激変説では、地球の歴史は4000年ほどで、
その間、大洪水や大地震に何度もおそわれ、
破壊がくりかえされたとする考え方です。
斉一説か、激変説か、大いにもめました。

ハットンの考えを踏襲したライエルが、斉一説をより広めました。
しかし、ライエルは、斉一説にこだわるあまり、
アガシが氷河時代の存在をいったときには、
猛烈に反対しました。

自説は、主張しなければ、受入れられません。
ただ、自説にこだわりすぎると、
他説の重要さを見逃すことがあるようです。
かのアインシュタインも、
量子力学は容認できず、
強く抵抗していました。
教訓にすべきでしょう。

2002年9月19日木曜日

4_22 スコットランドの地質:イギリス1

 2002年8月31日から9月10日まで、地質学発祥の地、イギリスに行ってきました。調査で訪れた地域は、イギリスの北半分にあたるスコットランド、その都エディンバラと、その東方地域です。今回から3回にわたって、イギリスの地質紀行です。


 今回訪れたスコットランドは、東-西から北東-南西に伸びる大きな断層が、何本かある地域です。エディンバラとその東方の地域は、北の大グレン断層(Great Glen Fsult)と南にあるハイランド境界断層(Highland Boundary Fault)にはさまれた地域です。このように地質学的に重要な意味のある大きな断層を構造線と呼ぶことがあります。
 大グレン断層は、北東-南西方向に、アイルランド地域に大きなくびれをつくっています。この断層内には、ネッシーで有名なネス湖などがあります。
 ハイランド境界断層は、イングランドとスコットランドの境界付近にある断層です。この断層の北側には、シルル紀の地層を主として、北側にデボン紀の地層が不整合によって重なっています。南側はデボン紀から石炭紀の地層を中心としています。
 スコットランドやイングランドの古生代の地層は、カレドニア造山運動によって形成されたものです。カレドニア(Caledonia)は、スコットランドのラテン名にちなんでいます。7月に訪れた、カナダのニューファンドランドの地層と連続しています。
 私が7月にみたニューファンドランドの堆積岩は、カレドニア造山運動の初期の活動ですが、スコットランドで今回見た地層は、カレドニア造山運動でも後期のものなります。さらに、イングランド側は、もっと新しい時期のものとなります。
 エディンバラやスコットランドの町並みは、赤い石でできています。この赤い石が、イギリスのカレドニア造山運動を象徴するかのような、旧赤色砂岩と呼ばれる岩石です。
 赤い色が特徴のこの旧赤色砂岩は、旧赤砂岩ともよばれるます。赤から赤褐の色をもつ砂岩からレキ岩の粒の粗い堆積物がからできています。デボン紀(4億850万~3億6250万年前)には、山脈囲まれたオルカディ湖(Lake Orcadie)と呼ばれるの環境で、激しい川の浸食で多くの堆積物が、湖には運び込まれました。このような海ではない、陸でたまった(陸成といいます)堆積岩が、です。
 旧赤色砂岩は、イギリスやアイルランドに広く分布しています。コニーベア(W. D. Conybeare)とフィリップス(J. Phillips)が1822年に命名しました。厚層で、スコットランドでは、層厚5000mに達するところもあるそうです。
 私が訪れたニューファンドランドとスコットランドのどちらも、当時存在した大きな海、イアペタス海の北側にできた陸地です。イングランドの南の陸地はまだ見ていません。イアペタス海の向こう側は、私には、まだまだ遠いようです。

Letter
・憧れの国、イギリス・
一度は行きたいと思っていて、これなかった国、イギリス。
イギリスには、淡い憧れがありました。
中学校時代のシャーロックホームズがはじまりでしょうか。
最近では、藤原正彦「遥かなるケンブリッジ 一数学者のイギリス」。
メールマガジンの読者の坂野さんまで。
その間に、
ファイロファックスの手帳。
王立研究所のクリスマスレクチャー。
ヒースの茂る大地。
ケルト人の住んだ大地。
ストーンヘッジ。
サッカーの宗主国。
ダーウィン、ニュートン、ホーキングを生んだ国。
紳士と騎士道の国。
地質学の発祥の地。
大英帝国の繁栄とその凋落を知る国。
伝統を重んじ、それを守り抜く強さと頑固さを持つ国。
叡智のがいまだ絶えない国。
さまざまな知的刺激をイギリスという国から受けてきました。
そして、今回は、地質の古典的露頭と大英博物館という、
自然と知の集積という両面を数日ですが、
見ることができました。
はじめてのイギリス。
予想通りのイギリス。
予想外のイギリス。
イギリスは、私に、さまざまな、面を見せてくれました。

・大地と国の統一・
イギリスの正式な国名は、
グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国です。
イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド
の4つからなります。
それぞれ実質的な自治権をもっている。
United Kingdumとして統一は維持しながら、
それぞれが伝統や風習の独自性を持つということでしょう。

スコットランドとイングランドは、
大地の歴史から見ると、その起源を異にしています。
4億5000万年前には、イアペタスという海によって、
スコットランドとイングランドは、
海の向こうと、こちらに、わけ隔てられていました。
しかし、イアペタス海は、なくなり、
イングランドとスコットランドは統合されたのです。
今を去ること、4億年前のことです。
大地が統合した後、同じ陸地として歴史を刻んでしました。
国としてのスコットランドよりもっと早く、
大地は統一、合体しているのです。

2002年9月12日木曜日

4_21 カルスト:山口2

 秋吉台は、石灰岩の台地です。そして、その地下には、鍾乳洞(しょうにゅうどう)があります。そして、日本でもっとも有名な鍾乳洞のひとつ、秋芳洞(あきよしどう、とも、しゅほうどう、とも読まれます)もあります。学会の折に、そこを訪れました。石灰岩がつくりだす奇妙な景観を探っていきましょう。


 鍾乳洞は、石灰岩の台地の地下にできた洞窟(どうくつ)のことです。大気中の二酸化炭素を溶かし込んだ雨水が、地下の石灰岩を、長い時間かけて、ゆっくりとゆっくりと溶かし続けたものです。鍾乳洞のなかには、自然がつくりだした、美しい造形物がみられます。
 石灰岩をとかし、石灰分をたくさん含んだ地下水は、ゆっくりと流れるところでは、その石灰分を沈殿しすることがあります。それが、鍾乳洞のなかに幻想的な模様をつくります。天井から垂れ下がった鍾乳石、下から延びていく石筍(せきじゅん)、そして上下のものがつながった石柱、皿を並べたような形態(千枚皿とか百枚皿とか呼ばれます)、また丸い丘陵のような景観もあります。
 秋芳洞の代表的景観として有名なのは、「百枚皿」とよばれています。棚田のような皿が、実際には、500枚以上あるといいます。似たようなものとして「千町田」というものものあります。石筍としては、高さ約15mの「黄金柱」と呼ばれる見事な石筍があります。
 秋芳洞は、その全長は10kmほどあるとされていますが、現在、1.5kmほどが一般公開されています。広いところでは、幅が約100m、高さが約40mもあります。秋吉台には、250以上の鍾乳洞があるといわれています。1922年(大正11)に、日本で、最初の鍾乳洞として天然記念物に指定され、1952年(昭和27)には、特別天然記念物に指定されました。
 地表に目をやると、そこにも石灰岩のつくる景観があります。岩石が雨水によって溶けていく作用(溶食(ようしょく)といいます)で、地表に不思議な石灰岩の塔が乱立し、地下に洞窟などの地形ができたりします。また、溶けた成分が沈殿したりをつくったりする鍾乳洞内の微地形も含めて、カルスト地形といいます。
 カルストは、その地形や景観が変わっているので、細かく呼び名がついてます。鍾乳洞中だけでなく、地表のものに対しても、いろいろな呼び名があります。
 地表に出た石灰岩では、その表面に、溶食によってできた深い溝、細かすじの溝(条溝)、割れ目ができたり、先がとがったもの(尖頂(せんちょう)と呼ばれます)や、丸くなったもの(円頂)など、さまざまな形のものができます。このような石灰岩特有の表面のかたちは、カレンあるいはラピエとよばれています。そして、カレンがたくさんある地域を、カレンフェルトとよんでいます。地中に浸透した地下水により溶食がすすみ、天井が落ちて、地表の穴が開いたドリーネや、地下の洞窟である鍾乳洞ができます。
 鍾乳洞は、外気が入ったり、人が入ったり、照明が当たると、埃がついたり、コケが生えたりして、「汚染」されます。ですから、鍾乳洞をみるのなら、オープンされてすぐのものや、人があまり入らないものが、その石灰岩の色はきれいです。形態は汚染されることはありません。ですから、秋芳洞の鍾乳洞は、「汚染」はかなり進んでいますが、景観のすばらしさが、いまだに多くの観光客を集めているのでしょう。

・カオス・
私は、鍾乳洞にいくつか入ったことがあるのですが、
そのたびごとに、壁や石筍などにできた石灰石の
さまざまな模様に感心させられます。
私は、石灰石の模様の中に
カオスのような、規則性と不規則性が複雑に入り混じった、
複雑系があるように見えました。

どこか似ているけれど、二つとして同じものがない。
カオスにもそんな複雑な世界があります。
そんな複雑さに、心を惑わされるのでしょうか。

・私が見たカルスト・
カルスト地形は、日本では四国カルスト、中国の石林、桂林などを訪れました。
鍾乳洞としては、日本三大鍾乳洞である
山口県秋芳洞、高知県竜河洞、岩手県竜泉洞をはじめ、
広島県帝釈峡、岡山県井倉洞、北海道の当麻鍾乳洞などを見てきました。

その規模や景観は、それぞれ、特徴があり、よさもあります。
そして、カルストは、どこか似ています。
地表では、高地や台地で、木が少なく草原であること。
鍾乳洞も、気温が一定で、湿度が高いこと。
鍾乳石などの景観も多様ですが、
どこかで見たことのある形態であったりと、
どこか似ていています。
でも、どれも違う、面白いものです。

これもカオスでしょうか。

2002年9月5日木曜日

6_15 9月の誕生石

 9月の誕生石は、サファイアです。月に一度の誕生石シリーズです。サファイアにまつわる話をしましょう。

 サファイアは、コランダムという鉱物で、六方晶系の結晶で、酸化アルミ(Al2O3、アルミナとよばれます)という化学組成を持ちます。コランダムは、鋼玉とよばれ、硬い鉱物で、モース硬度9でダイヤモンドにつぐ硬度をもっています。モース硬度計の標準として用いられています。比重4.0~4.1はです。
 コランダムの赤いものをルビー(7月の誕生石)といいます。それ以外の色のものを、サファイアと呼んでいます。ルビーの色は、少量の 酸化クロム(Cr2O3)でしたが、サファイアの色は少量の鉄(Fe2O3)とチタン(TiO2)によるものです。
 サファイアも古くから知られている宝石でした。ギリシア人やローマ人が、サファイアと呼んでいたものがありました。しかし、それは、サファイアではなく、ラピスラズリであったとされています。現在のサファイアは、他の鉱物にいれられていたようです。
 11世紀のレンヌの司教マルボード(Marbode)によれば「サファイアは天上の玉座によく似た美しさをもっている。それは純朴なひとの心をあらわしている」といったそうです。サファイアは、古くから神聖な石と見なされ、12世紀以降、キリスト教の聖職者の指輪にされてきたといいます。
 現代では、サファイアは、希少であること、そしてなんといってもその美しさによって、高価な宝石となっています。
 サファイアは、青色のものがブルー・サファイアとして一般的です。日本名でも、青玉、青宝玉と呼んでいます。その他の色のものを、ファンシー・サファイア(変り色)といい、緑、紫、黄、褐色、ピンク色などがあります。
 サファイアで、最も高価になものは、カシミール産のコーンフラワー(矢車菊)色(やや白味の淡色)、ついでミャンマー産のやや濃い青色のローヤル・ブルー、スリランカ産のやや淡色のものが続きます。タイおよびオーストラリア産は、産出量が多いのですが、その多くがインク青色のため、価格が低くなります。
 サファイアの中に、針のような細く小さいルチル(酸化チタン)の結晶を含む(シルク・インクルージョンといいます)ことによって、スター効果が生じます。スター効果という星状の輝きを出るものを、スター・サファイアと呼んでいます。
 サファイアやコランダムは、変成岩、ペグマタイト、玄武岩中にふくまれます。また、堆積物の中に、ほかの宝石鉱物といっしょにあつまり、宝石鉱床をつくることもあります。
 日本では福島県石川、阜県苗木、奈良県二上山、広島県勝光山などからコランダムを産出し、石川、苗木にサファイア、大分県木浦鉱山にルビーの産出が知られています。
 今では、サファイアは人工的に合成することができ、工業用や装飾用に利用されています。合成サファイアは、青色だけでなく、いろいろな色のものが、火炎溶融法によって合成されています。なんと、1940年ころには、合成でスター・サファイアも製造されています。

・宝石の合成・
誕生石シリーズも4月からはじめて、
はや、半年が過ぎました。
半分、終わったわけです。
この宝石についてのエッセイは、何人かの方から、
いつも楽しみにしているというメールもいただきます。
やりがいもあります。

でも、よく考えると、私のエッセイの魅力というより、
たぶん、それは、宝石の魅力ゆえかもしれません。

しかし、そうなると、その宝石の魅力が、
人間に、宝石にまつわる、悲喜劇をかずかず生みました。
私は、悲喜劇よりも、その裏に流れる、人間の執念を感じます。

例えばこんなこともあります。
今回も、そうでしたが、宝石のように高価なものは、
その高価さゆえに、安くつくることができれば、
その差額を利用すれば、もうかるというと考える人ができます。
そのような人間の執念は、
錬金術のように、科学の法則に反しない限り、
必ずや達成されます。
そこが、人間の偉大なところでもあり、
執念のすごさでもあります。
そして、一人の成功は、多くの人のまねるところとなり、
やがて価値は崩壊します。
でも、ただで転ばないのが、人間です。

もう一儲けを考える人もいます。
安さゆえ、ほかの目的で、利用されていきます。
それが、工業用として、重要な素材になります。
サファイアも、時計の軸受けや、
特殊なピンセットの先端などに利用されています。
でも、高価ですけれどね。

2002年8月29日木曜日

4_20 秋吉台:山口1

 8月17日から21日まで、学会で山口県にいきました。そして、そのとき、秋吉台を訪れました。もちろん、秋芳洞も訪れました。よく考えたら、山口は来通り過ぎただけで、ゆっくり滞在したことはありませんでした。ですから、今回は、少し山口を見てきました。


 山口では、秋吉台と秋芳洞をぜひ見たかった。それが、今回かなえることができた。なぜ見たかったかというと、石灰岩の地形として有名であることと、秋吉台の地質が、世界に知られることになった地でもあるからです。
 秋吉台を世界に知らしめたのは、小沢儀明(おざわよしあき)でした。東大の学生であった小沢は、卒業研究として秋吉台を調査していました。その卒業研究から、大発見が生まれたのです。
 大正当時、秋吉台は今ほど道や人家もなかく、自力ですべておこなわなければなかったはずです。大草原の中を、その学生は黙々と調査していたのでした。地質調査では、石灰岩のなかに含まれている化石を調べることも重要なことです。そして、化石を見分け、どのような時代かを決めていくことも重要です。
 そして、小沢は、重要なことを発見しました。それは、地層の上にある化石が、古い時代でもので、下になるほど新しい時代の化石でした。つまり、「地層累重の法則」というもので、地層は下ほど古く、上ほど新しいという原則が、地質学にはあったのです。それに、反する現象が見つかったのです。
 どう解釈するかというと、もともとは地層累重の法則にしたがって堆積した石灰岩が、現在の地に来るときに、逆転したのです。
 小沢は、その卒業論文の成果を、秋吉台の逆転構造として発表しました(1923年発表)。そして、その業績が認められて、学士院恩賜賞を受賞しています。しかし、海外での研修から帰国した直後に、なんと31歳の若さで夭逝しました。その短い10年ほどの研究生活で、40篇もの論文を書いています。
 小林貞一は、秋吉台の逆転を起こした地殻変動が、日本列島の古生代の重要な地質変動であることを認め、小沢の発見を記念して、「秋吉造山運動」と名づけました。
 その後、秋吉台の構造については、その重要性から、何人も地質学者が検討を加えてきました。そして、モデルもいろいろなものが提示されました。何転かしましたが、逆転の構造が解明されています。
 秋吉台科学博物館の学芸員たちの研究で、より精度よく、逆転で構造が再現されています。それは、太田正道の詳細な地表踏査(1968年発表)と、学芸員たちの自力による、250mにおよぶ学術ボーリングで、今のところ決着をみています。
 逆転の地層は、秋吉台の北半分を占め、標高の高いところに、一番古い石炭紀の石灰岩、一番にペルム紀の地層がでています。そして大きな衝上(しょうじょう)断層で、接して、逆転していない地層が南半分にあります。南半分では、標高の高いところがペルム紀の石灰岩で、低いところとが石炭紀の石灰岩です。
 今では「秋吉造山運動」も研究の積み重ねによって、そのもつ内容も変化してきました。しかし、その重要性は、今でも、保っています。

・自力のボーリング・
太田は、学芸係長をしていました。
太田は、この秋吉台の地質構造を誰が見ても納得するためには、
どうすればいいのかと考えていました。
自身、地表踏査はできる限り詳細なものをしました。
そして、最終的に出した結論は、ボーリングをすることであった。
ここでいうボーリングとは、
土木工事をするとき地下に穴をほりながら、
どんな地層やあるかを、直接資料を掘り抜いてとってくるものです。
ボーリングは、一箇所に穴を開けるわけですが、
しかし、それは、見えない部分を連続的に資料を集めることができます。
ですから、地下の地層や構造がどうなっているかを知るために、
非常に有効な調査方法なのです。
秋吉台の学術ボーリングでは直径4.5cmの棒状の岩石が掘りぬけました。
しかし、ボーリングは非常に費用のかかるものです。
秋吉台科学博物館は費用はそんなにありません。
ですから、中古のボーリング装置を何年もかけて買い揃えていきました。
そして、学芸員が、ボーリングの操作を習い、
ボランティアの人たちと一緒に掘りました。
1970年に逆転している地層から掘り始められ、
1972年には250mも掘り抜きました。
そこは、逆転していない地層にまで達していた。

・衝上断層・
衝上断層とは、断層の一種です。
「衝上」の「衝」とは、「強い勢いでぶつかる」という意味です。
ですから、「衝上」とは、ぶつかって持ち上げられる断層という意味ですが、
地質学では、別の意味も加味されています。
原義にあたるものは、地層や岩石が両側から力を受けて、
圧縮されるような力が働いてできる断層になります。
それは、術後では、逆断層というものです。
衝上断層は、さらに、低角度(45度以下)の逆断層という
制限がついたものをいいます。

2002年8月22日木曜日

4_19 アパラチアの片隅で:カナダ3

 カナダのニューファンドランドは、アパラチア山地の東端にあたります。そんな生い立ちが、ニューファンドライトで垣間見ることができました。そして、ニューファンドランドは、ヨーロッパと北アメリカ大陸の架け橋でもあるのです。


 まず、アパラチア山脈の話をする前に、山脈はどうしてできるかを見ておきましょう。山脈は、プレートテクトニクスの考えでは、プレートがぶつかるところです。プレートがぶつかるところとしては、アンデス山脈のように、海にプレートが沈み込む海溝をもち、陸には山脈があるコルディレラ(cordillera)型と呼ばれるものと、ヒマラヤやアルプスのような大陸同士の衝突した境界上にある衝突(collision)型があります。アパラチア山脈は衝突型です。
 しかし、古生代にできた古い時代の造山帯は、その山々も侵食のために低くなっています。ニューファンドランドは、氷河に覆われたために、さらになだらかになっています。まさに、たおやかな山々です。
 アパラチア山脈は、北アメリカ大陸の東部にある大山脈です。地名はチョクトー・インディアンの言葉(向こう側の人々という意味のappalachee)に由来しているそうです。
大西洋岸沿いにアメリカ合衆国アラバマ州北部から、カナダのケベック州をとおり、ニューファンドランドまでのびています。全長は約2400km、幅は150~500km、標高は450~2000mです。
 アパラチア山地をつくっているのは、原生代後期から古生代デボン紀にかけての堆積物です。堆積物の中には、石炭紀層の地層には大量の石炭が見つかっていて、100年以上にわたって北アメリカ採炭量の約3分の2を供給してきました。また、オフィオライトと呼ばれる、海洋地殻の断片も混ざっています。また、そこに貫入する原生代最末期から石炭紀後期にかけての4回の活動時期を持つ花崗岩があります。花崗岩の貫入によって、その周辺には変成岩が形成されています。
 山地の形成期は、オルドビス紀にはじまり最盛期は二畳紀でありました。大西洋がまだなかった時期のなので、ヨーロッパとつながってました。ですから、ヨーロッパにも同時期の造山運動があります。ヨーロッパでは、古生代前半のカレドニア造山帯と古生代後半のバリスカン造山帯が、異なる場所に分布します。北アメリカ大陸ではアパラチア山脈一帯に、カレドニア造山運動とバリスカン造山運動が重複しておこっていますが、総称してアパラチア造山帯とよんでいます。
 ニューファンドランドの東部は、地質区分では、アバロン地区と呼ばれ、堆積岩と花崗岩を主体としたものです。
 ニューファンドランドの地質ですが、アパラチア造山運動によってできたものです。ニューファンドランドは、その典型とされています。アパラチア造山運動とは、6億から3億年前にかけておこった山をつくる作用です。プレートテクトニクスでは、プレートが沈み込んでなくなり、今は陸地となっているところです。ニューファンドランドの西は北米大陸の端で、そのあいだにはイアペタス(Iapetus)と呼ばれる海があり、東側にはイアペタスの東端にあたります。
 アパラチア造山運動とは、イアペタスという海が、プレートの沈み込み(収斂(しゅうれん)といいます)によってなくなるときできた、陸地です。ですから、今は亡き海の証拠がいろいろ見つかります。

2002年8月15日木曜日

4_18 霧に霞む境界:カナダ2

 今回のニューファンドランド訪問の一番の目的は、先カンブリア紀-カンブリア紀の地層境界(以下V-C境界と呼びます)を見ることでした。ここ何年か、私は、V-Cの境界の地層を見ています。では、現場で書いた文章を紹介しましょう。


・境界にて(ライブ)・
 このエッセイを、目的の露頭の前で書いています。寒いし、車の中ででも書けばいいのでしょうが、あえて、現場で書いています。
 昨日に続いて、今日も、このV-C境界の露頭の前にきました。今日も霧がかかって、灯台では、灯台守のおじさんが、霧笛を鳴らしています。昨日よりは、風が弱く、過ごしやすくなっています。
 その露頭の下に、崖にへばりつくようにして草が、3本、生えてのを、昨日、来たときには気づきませんでした。取り憑かれたように石を見ているときは、それ以外のものが目に入らないのです。こんなことでいいのでしょうか。もっと、広い視野、視点、観点、そう、パースペクティブを持たなくてはいけないのでは、と思ってしまいます。
 そこは、なんの変哲もない、いや、かつてはごみ捨て場の脇の汚い海岸の崖です。そこが、世界で、V-C境界の模式地(もしきち)とされているところなのです。模式地というのは、世界で、もっともその地層および地層境界がよく観察できる、典型的な地点だということです。英語では、stratotypeと呼んでいます。
 V-C境界は、かつては、あまりいい露頭がありませんでした。しかし、近年になって、中国の澄江(ちぇんじゃん)や、ロシアのウラル地域、グリーンランドなど、世界各地で、V-C境界の典型的な地層が発見されました。カナダのニューファンドランドのフォーチュン・ヘッド、この地もそうでした。
 模式地となるためには、まず、地層が、時間的にも空間的にも途切れることなく、連続的に出ていなければなりません。そして、その時代を決定づけるような化石をたくさん含んでいなければなりません。さらに、そのようなことを決定付けるためには、地質学者が、その地できっちりとした研究がされていなければなりません。
 いまや、ニューファンドランドが、V-C境界の模式地となっています。それは、もちろんきっちりした研究がなされています。ナルボーンほか(G. M. Narbonne et al., 1987; 発音は不確かです)の論文が、その役割を果たしました。
 フォーチュン・ヘッドは、アプローチのしやすさもあるのですが、地層が海岸線沿いで、非常にわかりやすく整然とみることができます。車できて、海岸に降りれば、すぐその露頭の前にたつことができます。
 ここの境界は、非常に地質学的には大きな境界です。しかし、地質学的時間は、断絶することかなく、継続しています。地層としても、V-C境界の下の地層は、やや緑色を帯びた灰色のシルト岩かあるいは頁岩とよばれる(砂岩より粒の細かい堆積岩)からできています。そしてV-C境界の上の地層は、やや白っぽい砂岩です。
 この砂岩より上からは、カンブリア紀の化石がではじめます。地層の堆積環境として連続しています。
 つまり、一般の地層区分では、岩相(岩石の種類)境界とはしないような境界なのです。
 でも、時代区分がおこなわれています。それも、地質学では第一級の境界です。V-C境界は、物質や時間境界があるわけではなく、古生物によって決定された、人為的境界な、時代境界なのです。地質境界とは、物質境界、時間境界、境界がなくても、人為的な時代境界を引いたものあります。それは、時と場合によって、どれかを重視して境界がひかれます。つまりは、すべては人為的、恣意的なのです。このような地質境界とは、地質学的には意味があるんですが、はたして、境界として普遍的意味があるのか疑問です。

・解説・
 以上、V-C境界にて、書いたものです。補足しておきましょう。
 V-C境界は、チャペル・アイランド層の中にあります。チャペル・アイランド層は、5つに細分(member、部層)されています。V-C境界は、Member2の下の方(全厚さは430mあり、その下から2.4mのところ)にあります。
 先カンブリア紀の地層では、化石はまれですが、灰色から黒の部分からいくつか特徴的な化石や印象化石がみつかっています。それには、微貝化石(small shelly fossil)とよばれる化石も見つかっています。このような時代を示す化石の証拠から、この地層は、先カンブリア紀の最末期の時代のものだとされています。
 V-C境界の地層は、中粒砂岩で、その少し上には、塊状のシルト岩があり目立ちます。でも、その砂岩だけが、地層の違い、そして特徴となっています。その境界より上からは、カンブリア紀の化石が見つかりました。化石の証拠がなければ、ここにV-C境界あるなどと、誰にもわかりません。それは、野外で肉眼で見られる数cmほどの大きさの化石です。
 先カンブリア紀の地層は、潮汐の影響をうける場所でたまりました。カンブリア紀になると、川や氾濫原、扇状地でたまった地層になります。
 中国北京周辺でみたV-C境界付近の地層も、やはり海岸から河川の氾濫原付近の地層でした。なにか類似性があります。

memo 灯台守/霧笛を近くで聞きながら/ごみ/ライブ
・灯台守・
初日のことです。
フォーチュン・ヘッドでV-C境界の地層を見て、
その上の地層が出ている方向に沿って歩いていくと、
灯台の近くにでます。
すると、待ち構えたように、おじさんが、話しかけてきました。
そのおじさんは、この灯台守だそうです。
9時から6時まで、土曜日も日曜日も休みなく、
ここにつめているそうです。
それは、フォーチュンから、すぐ近くの島(フランス領)へ
フェリーが出ているせいでしょうか。
灯台が重要なようです。

それに、ここはすぐに霧がでるようです。
ですから、霧笛をならして知らせる必要があります。
その霧笛をならす役目があるのでしょうか。
非常に気のいいおじさんで、
私が、地層を見に来たといったら、
論文や新聞記事などの資料を、
ひとセットくれました。
ボールペンとバッチもくれました。
いらなかったのですが、断るのも悪くてもらってきました。
車に、もどると、おじさんのメモとパンフレットが
車のワイパーにはさんでありました。
メモには、こう書いてありました。
"If you need more info
Please come see the Light Keeper at the Light House"
「もし、もっと情報がほしければ、
灯台の灯台守に会いに来てください」
そして、私は、翌日、再度、V-C境界を、みに戻ってきました。

・霧笛を近くで聞きながら・
フォーチュン・ヘッドは地形と気象の関係でしょうか、
霧が出やすいようです。
2日間、V-C境界に通ったのですが、
両日とも、霧で、霧笛が近くで鳴っていました。
風向きでしょうか、霧笛の音が近くで聞こえたり、遠くで聞こえたりします。
初日は、風が強くで寒く、じっとしていれませんでした。
2日めは、風がなかったのですが、やや肌寒い程度でした。
ですから、Tシャツ、長袖のYシャツ、トレーナー、ヤッケ
を着てちょうどでした。
V-C境界のあるフォーチュン・ヘッドから、離れて国道にでたとたん、
霧から抜けでて、北国の快晴の強い日差しの中でした。

・ごみ・
フォーチュン・ヘッドが地質学的に
非常に重要であることがわかりました。
そのために、1994年に、この地はEcological Reserveに指定されて、
保護されいます。
もちろん、岩石の採集も禁止されています。
そして、今年から、この地域の保全がされています。
まずは、ここにくるための道路の保守です。
ここは、かつて、町のごみ捨て場であったのです。
それが、聞くところによると、今年から、
順次、きれいにされていくそうです。
非常にきれいな海岸線で、
地層を見るのにもいい環境なのですが、
ごみがどうしても目に付いてしまいます。
はやく、撤去されることを祈っています。

・ライブ・
メールマガジンでは、ライブはありえません。
でも、実際に、現場でエッセイを書いていくという行為は、
もしかすると、科学エッセイのライブといえるかもしれません。
まるで、私が、読者とともに、
ニューファンドランドのフォーチュン・ヘッドのV-C境界の前に立ち、
語りかけているような状態になったでしょうか。
そうなったしたら、このエッセイの試み大成功です。
感想をお待ちしています。

2002年8月8日木曜日

4_17 織り込まれた時間:カナダ1

 カナダのニューファンドランドというところを訪れました。1982年、20年前に恩師と一緒に来たことがある思い出の地でもあります。思い出の地といっても、再訪してみて、あまりにも覚えてないので、非常に新鮮でした。あまり日本の観光客は訪れないところです。そんな、ニューファンドランドを紹介しましょう。


 カナダの東端にニューファンドランドという島があります。島といっても、大きさは、東西も南北も約500kmに達する大きなものです。面積は、11万平方メートルで、北海道の1.3倍あります。人口は54万人です。時差は、日本より11時間30分遅れです。
 ニューファンドランド(Newfoundland)とは、「新しく見つかった地」という意味です。ニューファンドランドの名称が、イギリスの記録に最初にあらわれたのは1502年で、もともと北部大西洋で、新たに発見された地域、すべてを指していたそうです。
 1492年、コロンブスがアメリカ大陸を発見し、1497年にジョン・カボットがニューファンドランド島に到達しました。このあたりまでは、世界史に詳しい人なら、ご存知でしょう。じつは、ニューファンドランドは、それより500年も前に、ヨーロッパ人に、発見されているのです。このような歴史は、この地にくると、当たり前のこととして、語られているのですが、日本では、ほとんど知られていないことです。
 約1000年前に、ヴァイキングが、ニューファンドランドの北西の半島に定住しています。それより先行して、いまから約2000年前に、古エスキモー(Palaeo-Eskimoと呼ばれています)の定住の歴史があります。さらに古い歴史として、北米大陸には、約9000年前のモンゴロイド(インデアン)のユーラシア大陸から移動があります。以上は、ニューファンドランドにおける人間の歴史でした。つぎは、大地の歴史をみていきましょう。
 ニューファンドランドの州都は、セント・ジョーンズ(St. John's)です。最初に、セント・ジョーンズのシグナル・ヒルと呼ばれているところの大地の歴史(地層)を見ることにしました。
 シグナル・ヒルでは、陸から陸の近くの海でたまった堆積物の地層がみられます。この地層は、先カンブリア紀(ここでは原生代末期のもの)からカンブリア紀にかけてできたものです。
 一番古いものは、6億3500万年前陸からきた火山灰を含む緑から灰色の海岸や海岸から少し離れたところにたまった砂岩で、つぎに川の平野でたまった赤い砂岩、そして一番新しいものが、5億4500万年前の川の扇状地でできた赤い色をした礫岩がらできています。つまり、海中から陸上で形成された地層がみられます。
 このような岩石の組み合わせは、日本でもよくみられる地層の種類です。でも、岩石の時代が、日本では見られない、大変古い時代のものです。ですから、非常に固い岩石となっています。まさに「時代を感じさせる」地層でした。
 シグナル・ヒルは、最初は、要塞の地であり、後に電波塔として役割を果たしていました。そして、今は、観光名所として役割を果たしています。シグナル・ヒルには、多くの観光客が訪れます。カナダ国立史跡にも指定されています。
 そして、私が歩いたのは、2kmほどのトレイル(遊歩道)です。多くの人が歩いています。眺めは最高です。このトレイルは、今年から始まる予定の地質巡検のコースにもなっています。この巡検は、まだ始まっていませんでした。地質調査所でパンフレットを手に入れたので、地質巡検のコースにそって、一人でそのパンフレットを手がかりに歩いたのです。私は、石を見たり、写真を撮ったり、景色を見たりして、ゆっくり歩いたので、3時間ほどかかりました。多くの人は、1時間ほど歩いてしまいます。
 さて、私は、このトレイルで、現在のこの美しい景観に至るまでの、大地の歴史から人間の歴史までの、さまざまな時代、時間を感じつつ歩きました。ほかの人たちは、どんな感想を抱きながら歩いたでしょうか。

Memo 距離感/地質学のネットワーク
・距離感・
大陸では、距離感が、日本とまったく違います。
ですから、気をつけないといけません。
今回のニューファンドランドでは、2箇所を見学する予定でした。
前半は、東端のセント・ジョーンズから日帰りで2日間通う予定で、
先カンブリア紀とカンブリア紀の境界の地層のあるフォーチュンというところ。
後半は、3泊4日で、島の西端のオフィオライトと呼ばれる岩石と
デボン紀の地層を見るつもりで
コーナー・ブルックというところに行く予定でした。

しかし、誤算でした。
フォーチュンまで、片道350kmです。日帰りをしようとすると、
毎日700kmを走らなければなりません。
初日諸般の事情から、
夜中12時にセント・ジョーンズをたち、
フォーチュンにいって、目的地の近くまでいて、
セント・ジョーンズに帰ってきたら、12時ころでした。
休み休みですが、往復だけで、12時間ほどかかります。
ですから、日帰りで、地層をゆっくりと見ることは
不可能なことがわかりました。
コーナー・ブルックまでは、片道700kmほどです。
ですから、3泊4日だと、なか2日間は地層が見れるはずです。

でも、今回の一番の目標は、
先カンブリア紀とカンブリア紀の境界の地層をみることです。
これを見ない来た意味がありません。
それが十分見れないのなら、来た意味がありません。
ですから、予定変更をして、
西部をやめて、フォーチュンの
先カンブリア紀とカンブリア紀の境界の地層に
集中することにしました。

・地質学のネットワーク・
私たちは、地質調査にくるとき、現場を見ることも大切なのですが、
資料を集めることも重要です。
今回、私は、
GEO Centerという地質の博物館とニューファンドランドの地質調査所、
メモリアル大学にいきました。
博物館では、たいした文献も資料も手にいられなくて、困ったのですが、
地質調査所にいって、地質図をもらい、
地質学者に紹介してもらい、
話をして、フォーチュンに関する情報を得ました。

そこを調べている地質学者は不在でしたが、
岩石を研究している研究者が、相手をしてくれました。
彼は、非常に親切で、
論文と巡検案内書(これは他では入手不可能)のコピーをくれました。

そして、文献を探している間、古生物学者が相手をしてくれたました。
彼は非常にシャイで、言葉は少なかったのですが、
私が、露頭のどの部分がわかるかと質問したら
インターネットで、フォーチュンに関するデータを集めてくれ、
その境界が、こことわかる情報を教えてくれました。
がんばれば、日本でも自分自身でも情報は得られたはずです。
もで、実際にはそのサイトにたどり着けませんでした。
地質調査所のホームページと地質図にはたどり着いたんのですが、
そんな地層境界の写真のでているサイトがあるとは知りませんでした。
やはり、これも現地にいったから得られた情報です。

ですから、私は、境界を案内者なく知ることができました。

大学は、夏休みで、書籍も入手することはできませんでした。
そして、大学の図書館のインターネットでしらべても、
シャイな古生物学者が教えてくれた情報以上のものは得られませんでした。
もしかしたら、私が得たものは、地質学という共通の職業をもつ、
人間同士のネットワークだったのかもしれません。
幸運でした。

2002年8月1日木曜日

6_14 8月の誕生石

 暑い8月の誕生石は、メノウとペリドットです。宝石の輝きは、夏の暑さを忘れさせてくれるでしょうか。

 メノウは、一つの結晶からできているのではなく、石英の結晶がたくさん集まったものです。ですから、性質は、石英と同じで、化学組成はSiO2、モース硬度7、比重2.60です。
 模様がなく単色ものメノウを玉髄(カルセドニー、chalcedony)と呼び、縞模様があるものをメノウ(アゲート、agate)と区別して呼ぶこともありますが、多くは、両方をいっしょにして、メノウと呼んでいます。
 メノウは、瑪瑙という字があてられています。それは、原石の形が、馬の脳に似ているところから、馬脳すなわち瑪瑙とつけられたようです。
 メノウの模様が、景色や人物、動物、形にみえたりするため、古くから、形象石(lapides figurati)として、珍重されました。ヨーロッパでは大プリニウスは「博物誌」や、日本でも「和漢三才図会」に、メノウの模様に関する記述があります。
 メノウは、小さいな石英が集まっているため、結晶の間に隙間があります。その隙間に、人工的に化学成分を入れることによって、着色することができます。天然できれいな色をもたないものは、ほとんど着色されています。しかし、人工的につけた色も、安定しているため、天然石と同じ商品価値をもつものとして扱われています。
 着色は、炭素をもちいて黒色に、酸化鉄で赤色、酸化クロムで緑色、クロム酸で黄色、シアン鉄で、青色、酸化コバルトでコバルトブルーにされています。
 ペリドットは、鉱物名は、オリビン(olivine)で、日本名はかんらん石です。かんらん石は、オリーブ色(緑色)をした透明感のある鉱物です。
 英語のオリビンは、オリーブの実の色に似ていることから、付けられました。一方、日本語のかんらん(橄欖)石は、オリーブとは別種の植物である橄欖と誤訳され、それがそのまま鉱物名も「橄欖石」と訳されました。いまでは、字が難しいので、ひらかなで書かれることが多いようです。
 かんらん石は、モース硬度7~6.5、比重3.222~4.392で、岩石をつくる鉱物の中でも、重いものになります。
 かんらん石の化学成分は、(Mg,Fe)2SiO4です。この化学式で()の意味は、MgとFeを加えた合計が2になるという意味です。かんらん石は、鉄の多いもの(鉄かんらん石、fayalite、Fe2SiO4)から、マグネシウムの多いもの(苦土かんらん石、forsterite、Mg2SiO4)まで、いろいろな成分のものがあります。
 かんらん石は化学成分によって、色が少し変化します。マグネシウム(Mg)の成分が多いと、緑色になります。
 宝石としては、濃い緑色のものがいいとされています。最高級品質のものは、紅海のセント・ジョンズ島(ゼビルゲット、Zebirget島)と北ミャンマーからとれます。セント・ジョンズ島のものは、3500年以上も採掘され、ヨーロッパには中世時代、十字軍によってもたらされたといわれています。
 かんらん石は、マグマからできた黒っぽい岩石(玄武岩や斑れい岩など)によくみられます。しかし、白っぽい岩石にはほとんどありません。かんらん石は、地殻の岩石の中には多く含まれていない鉱物ですが、マントルの岩石は、半分以上がかんらん石でできています。ですから、マントルをつくる岩石をかんらん岩とよんでいます。
 かんらん岩は、マグマに取り込まれて地表に持ち上げられたり、大地の営みによってめくれ上がって地表にでることもあります。

memo
・メノウの模様・
石できれいなものや珍しいものは、
水石、珍石として日本では珍重されてきました。
メノウもその一つです。

「和漢三才図会」の「馬脳」の項には、
「其ノ中ニ人物、鳥、獣ノ形有ルモノ最モ貴シ」
とあります。

大プリニウスは「博物誌」第37巻の記述で、
「それは1個の瑪瑙で、
その表面に9人のムーサ(ミューズ)たちと
竪琴を手にしたアポロンの姿が見える。
ムーサたちはそれぞれ持物をもった姿で描かれているが、
これを描いたのは人間の手ではなく、
自然に生じた宝石の石理(いしめ)が、
そのような形に見えるのである」

石の切断面に
いろいろな物の形が見えるのがなぜかのかについて、
16、17世紀の博物学者によって
何度となく論議されてきたそうです。

2002年7月25日木曜日

2_22 6500万年前の大絶滅(その2)

 白亜紀末のK-T境界と呼ばれる時代の大絶滅は、隕石衝突が原因であったと考えられています。その説に落ち着くまでに紆余曲折がありました。それを紹介しましょう。
 K-T境界の大絶滅の原因で、いちばん確かだとされているのは、隕石衝突説です。その説の概要を見ていきましょう。
 直径約10kmの彗星か小天体が落下し、衝突によって、大津波が発生し、またちりやこり、ガスなどが、成層圏までたくさん舞い上がり、太陽光をさえぎって、地球を寒冷化させました。そして植物が大打撃をうけました。食物連鎖の基礎となる植物が大打撃を受けると、それを食べる草食動物も打撃を受けます。変温動物であった恐竜たちは、寒さと飢えで絶滅していったたと考えられています。
 ことの起こりは、1977年、アルバレスが、イタリアのグッピオと呼ばれる地域で、K-T境界の地層を見つけたことでした。この地層は、白亜紀には化石がたくさんあるのに、境界から上の第三紀の地層には化石がほとんどないなものでした。そして、K-T境界の地層は、1cmほどの粘土層で、黒っぽく、ススがたくさん含まれているものでした。アルバレスは、そのK-T境界の岩石の化学分析しました。するとそこには、地表にはほとんどない元素がみつかりました。
 その元素は、イリジウム(Ir)とよばれる白金(プラチナ、Pt)の仲間の元素です。イリジウムは、K-T境界のところに、濃集していました。その量は、まわりの地層の数倍というものでした。
 イリジウムは、地殻つくる岩石にはほとんど含まれません。ですから、K-T境界では、イリジウムをたくさん当時の地表に濃集させる事件があったはずです。その事件を、アルバレスたちは、隕石の衝突と考えたのです。なぜイリジウムかというと、隕石には、地殻の含有量にくらべて、10万倍もおおくイリジウムが含まれています。白金の仲間の元素は、地殻にはほとんど含まれず、なかでもイリジウムがその差がいちばん大きくなっています。
 隕石には、イリジウムを比較的多く含みます。ですから、供給源として合格です。しかし、それをK-T境界の大絶滅の原因とするには、いくつかの条件が必要でした。
 まず、K-T境界の時代の隕石によるクレータが見けること。隕石の衝突によるほかの証拠、傍証をだすこと。隕石の衝突によって大絶滅があったとすると、その絶滅までは生物の絶滅の兆しはなく、その日が来れば、絶滅が突然におこったという証拠をだすこと。以上の条件を満たす必要がありました。
 現在、メキシコのユカタン半島に、隕石の衝突のクレータがみつかっています。そして、そのクレータは、人工衛星による探査でみつかり、現地では各種の物理探査によって確認されました。その衝撃でできたクレータは、直径180kmもあることが、わかってきました。でも、データはすでに存在していたのでした。現地の人が利用していた泉が、クレータの形にそって、点々とあったのです。また、石油探査でも、今ではだいぶ埋まっていますが、大きなくぼみ(クレータ)の存在は知られていました。
 衝突の証拠として、衝撃でできた石英の鉱物も特殊な組織、衝突のときに溶けた岩石のガラス、巨大津波でできた地層、衝突で起こった大火災によるスス(煤)などがみつかりました。それに、世界各地のK-T境界からも、イリジウムの濃集が確認されました。
 衝突の事件も、いままでK-Tの大絶滅は、その時代より前から絶滅が始まっていたとされたいた地層を調べなおしたところ、K-T境界までその生物は生存していたことが確認されました。そして、絶滅は非常に短い期間で起こったことが確認されていきました。

2002年7月18日木曜日

2_21 6500万年前の大絶滅(その1)

 さて、いよいよ、私たちがいちばんよく知っている恐竜の絶滅についてです。この絶滅は、多くの研究者が、その原因をいろいろな視点で研究してきました。でも、その原因はなかなかわからず、不明のままでした。でも、あるとき、とんでもない新説が現れました。そして、それが今や定説となっています。
 6500万年前は、中生代と新生代の時代境界です。K-T境界と呼ばれています。K-Tの意味は、時代の略称です。中生代の最後の時代は白亜紀で、ドイツ語でKreide(英語ではCretaceousです)でKと、新生代の最初の時代は第三紀でTertiaryのTと略されています。それで、中生代と新生代の境界を、K-T境界と呼んでいるのです。
 中生代は、三畳紀(2億4500万年~2億0500万年前)、ジュラ紀(2億0500万年~1億3800万年前)、白亜紀(1億3800万年~6500万年前)に区分される、1億8000万年間も続いた時代です。また、中生代は、古生代末にあった超大陸パンゲアが分裂する時代であったともいえます。大陸の分裂、つまりプレートテクトニクスによって、南半球では、南極とオーストラリアが分裂し、北半球では海洋底が拡大し、北大西洋を広げ、北アメリカとグリーンランドが分裂しました。
 中生代は、温暖な時代で、恐竜の仲間たちが栄えるには、いい時代でした。中生代は、恐竜が栄えた時代として有名ですが、そのほかにも、裸子植物が繁栄し、海ではアンモナイトが栄えました。ジュラ紀には、哺乳類や被子植物も出現しましたが、哺乳類は白亜紀になっても、10cmに満たないような小さな生き物にすぎませんでした。それは、恐竜が栄えていたからです。
 そんな恐竜たちが、ある日、忽然と、みんな消えてしまったのです。K-T境界で絶滅したのは、恐竜だけでは、ありませんでした。陸上の動物や海生の動物もたくさん絶滅しました。さらに、植物も多数絶滅しました。セコウスキーとラウプの見積もりによりますと、当時の全生物種の60から75パーセントが絶滅したと推定しいます。原生動物や藻類にいたっては、属という分類で、90パーセント絶滅したといわれています。
 P-T境界、つまり古生代と中生代の大絶滅と比べると、少しましというべきですが、それにしても、大変な大絶滅です。地球生命が遭遇した、史上2番目の大絶滅になります。
 P-T境界と同様に、K-T境界の大絶滅の原因は、長らく定説がありませんでした。恐竜の絶滅の原因に関しては、多くの研究者が、多くの仮説を提出してきました。たとえば、海水準の変化、気候帯の移動、火山噴火、超新星爆発、地球磁場の逆転、太陽活動の激変、などなど、いろいろな説が唱えられました。しかし、これぞ、という説はなかなかありませんでした。
 K-T境界の大絶滅の原因として、いまでももっとも有力な、隕石衝突説が、ある化学分析から生まれました。それを説明すると長くなりそうです。以下は次回にしましょう。

2002年7月11日木曜日

6_13 7月の誕生石

 7月の誕生石は、ルビーです。ルビーは、赤く、まさに深紅、真紅ともいうべき、きれいな色の宝石です。

 ルビーは、コランダムという鉱物です。コランダムは、酸化アルミニウム(Al2O3)という化学組成をもちます。酸化アルミニウムは、アルミナとも呼ばれます。コランダムは、灰色、または青みがかった灰色、茶色などの結晶で、等粒状の塊として出ることが多いです。
 ルビーは、モース硬度が9、比重が4.0~4.1、六方晶系の結晶です。ルビーの多くは、六角形短柱状の結晶として変成岩中でみつかります。ルビーは、比重が大きいので、風化して、砂礫として川を流れると、沈みやすくなり、堆積物として、川底に集まりやすくなります。そんな砂礫の堆積物から、効率的に、ルビーが採掘されます。
 9月の誕生石、サファイアもコランダムという鉱物です。赤いものだけをルビーといって、それ以外の色のものをサファイアといいます。赤くても、透明なものや淡い赤のものは、ピンクサファイアとして、ルビーとはルビーは、赤い宝石という意味の紅玉という和名をもちます。ルビー(ruby)という言葉も、中世ラテン語のrubinus(赤い)からきています。日本語も、英語も、ルビーの赤にちなんで、名づけられています。
 ルビーの赤色は、少し含まれるクロム(Cr)という元素のためです。ルビーでは、深みのある赤がよいものとされています。ミャンマーでとれたルビーは、ほかの産地のものよりも、クロムの含有が多く、しかもそれ以外の不純物が少ないために、美しい濃赤色を示す。最高級のルビーは、ミャンマーのモゴーク地域からとれるもので、ピジョン・ブラッド(ハトの血)とよばれるものです。区別しています。
 コランダムの中に、ルチルとよばれる鉱物の非常に小さい針状の結晶が、多数ふまれていることがあります。そのとき、ルビーを表面にまるみをつけてカット(カボション・カット)すると、星状に光り輝くことがあります。これをスター効果といいます。そのようなルビーは、スタールビーとよばれ、珍重され、高価になります。
 ミャンマー、タイ、カンボジア、スリランカ、タンザニアなどが、ルビーのおもな産地となっています。
 11世紀のフランス「宝石の書」には、ドラゴンの額のまんなかには赤味を帯びた一個の目があって、「カルブンクルス(carbunculus)」と呼ばれています。カルブンクルスは、どんな宝石よりも赤い燃えるような光を放っていて、いかなる闇をもってしても、この光を消すことはできない、とされいます。このカルブンクルスは、まさに、ルビーを代表とする赤い色の宝石を意味していました。しかし、14世紀には、カルブンクルスは、しだいにその意味を変えて、架空の宝石となり、やがては「賢者の石」と同じと考えられ、錬金術の象徴となりました。
 ルビーは、宝石としても利用されますが、時計や精密機器の軸受などにつかわれたり、レーザーの素子としても活用されています。ルビーは、物理的・化学的性質が安定していることから、1960年に、はじめて、固体レーザー、ルビーレーザーとして使われました。
 合成ルビーは、1904年にその製造法は発明されました。当初の火炎溶融法によってつくれていましたが、最近では、フラック法や熱水法による新しい方法によってつくられるようになり、天然ルビーに近いものができるようになりました。そのため、天然石と合成石との区別が、困難になってきました。

2002年7月4日木曜日

2_20 2億4500万年前の大絶滅(その4)

 さて、P-T境界(2億4500万年前)の古生代と中生代の時代境界の大絶滅の話も、第4回となり、最終回です。P-T境界の事件とは、いったいどのようにして起こったのでしょうか。やはり、東京大学の磯崎行雄さんたちのグループの研究成果を参考にして、見ていきます。
 P-T境界の古生代と中生代の境界時代(2億4500万年前)おこった事件は、当時、一つしかなかった超海洋パンサラサに、その記録が残っていました。陸から遠く離れた深海底でできたチャート、そして、その海洋のやはり陸から遠く離れた浅海の海山にできた石灰岩にも、その絶滅の記録は残っていました。
 深海底では超酸素欠乏事件として、浅海では火山灰として記録が残されていました。その火山は、どうも中国大陸の付近かそれより西でおこった酸性のマグマによる大規模な火山噴火でした。
 P-T境界の時代には、超海洋パンサラサとパンゲアと呼ばれる一つ超大陸だけがありました。現在の大陸と海洋の配置から考えると、非常にへんな分布をしていたことになります。どうも、超大陸ができると、なにか大変な事件が起こるようです。
 大量絶滅は、一つの原因で起こる場合と、いくつもの複合した原因でおこる場合があります。一つの原因は、巨大隕石の衝突や、巨大火山の噴火などの大事件によって起こる場合です。いくつもの複合した原因でおこる場合は、超大陸などの形成によって、複雑な因果関係によってさまざまな事件が短期に起こったために大絶滅になったということです。ただし、この複雑な原因を考えるとき、本当に原因となったのは、何かをはっきりさせることが重要です。
 たとえば、地球の内部に大規模な異変があった場合、地表では各種の事件がおこったはずです。そのうちのどれが、絶滅の原因となったかを、はっきりする必要があります。
 大規模絶滅は、当然、大規模な事件によるもののはずです。そのような事件は、多くの別の事件を引き起こしたはずです。推理小説に例えるなら「殺人事件はあった。犯人は誰だ」ということです。
 動機を持る者が一杯いたとしても、その殺人が起こしやすくした関係者が何人もいたとしても、直接手を下した犯人は、何人かに絞れるはずです。それを見極めることが重要です。また、殺人事件によって生じた変化が引き金として、直後に別の事件が起こっているかもしれません。それに惑わされず、因果関係をはっきり見極めることが重要です。
 超大陸の形成も、遠因では、あるでしょう。でも、超大陸があると、なにが起こるのか、大規模な火山活動や深海底の超酸素欠乏事件をどう説明するのでしょうか。
 じつは、まだこれという原因が定まっていないのです。磯崎さんのモデルもまだ、完成していません。でも、仮説は出されています。「プルームの冬」という仮説です。それは、次のようなものです。
 超大陸パンゲアができると、大陸のまわりに沈み込み帯が、多数できます。そして、やがて、沈み込んだプレートの反作用として、地球深部から「スーパーホットプルーム」と呼ばれる熱いマントル物質が、上がってきます。このプルームが、激しい火山活動を起こします。
 激しい火山活動のときに噴出した火山灰が、光合成をストップさせたのではないかと、磯崎さんは、考えています。成層圏にまで吹き上げられた火山灰によって、まるで「核の冬」のように、地表に光が届かなくなり、光合成をする生物が、極端に少なくなります。当時の酸素を活用する生物が、主要なものだったのです。酸素を供給する生物が大量絶滅すると、大気や海洋の酸素が少なくなり、生物全体は、大打撃つまり大絶滅がおこります。
 以上が、磯崎さんが考えているシナリオです。まだ、証拠が不十分です。現在、いろいろ智恵を絞って、犯人探しの真っ最中です。

2002年6月27日木曜日

2_19 2億4500万年前の大絶滅(その3)

 P-T境界(2億4500万年前)の大絶滅の話も、3回目となりました。前回は、チャートという石から見た深海底での情報に基づいたものでした。今回は、石灰岩という、浅い海で溜まったものを見ていきます。やはり、東京大学の磯崎行雄さんたちのグループの研究成果を参考に見ていきます。
 P-T境界(2億4500万年前)の岩石で、日本で見つかっているのは、チャートが一箇所だけであるのに対し、石灰岩とよばれる岩石では、4箇所から見つかっています。ただし、石灰岩の時代は、P-T境界より少し古く、2億6000万年前となっています。その時代は、M-W境界とよばれています。その時代にも、P-T境界に匹敵するような絶滅が起こっていることが明らかになってきました。そして、M-W境界とP-T境界の時間差は、1500万年(最近の研究でP-T境界は2億5100万年前とされているので、900万年の時間差になります)しかないのです。ですから、非常に短時間で2つの事件が起こったので、後のP-T境界の絶滅の事件が、顕生代で最大のものとなったと考えられています。
 石灰岩は、岐阜県大垣市赤坂、愛媛県東宇和郡城川町、大分県津久見(つくみ)市、宮崎県西臼杵郡高千穂町上村(かむら)の4箇所から、M-W境界のものが見つかっています。さて、このような地層からどのようなことが、わかるのでしょうか。
 石灰岩は、チャートと同じ陸から遠い海の火山(海山とよばれます)の頂上付近の比較的溜まったものです。現在のサンゴ礁をつくっていたような生物の化石の集合した岩石です。石灰岩は、チャートより、ずっと浅い海でたまったのものですから、浅海での影響を記録しています。
 M-W境界の石灰岩は、陸からきた堆積物をほとんど含まないものです。ですから、パンサラサと呼ばれる、当時は一つしかなかった超海洋で、陸からの影響をほとんど受けなかった環境だと考えられます。海山は、できてから数1000kmという距離を、プレートテクトニクスによって移動して、日本列島にたどり着いたのです。
 この石灰岩を見ていくと、M-W境界より下では、黒色の石灰岩で、上は明るい灰色の石灰岩からできています。黒色石灰岩は、有機物をたくさん含んでいます。そして化石は、そんなにおおくありません。一方、上の石灰岩は、化石をたくさん含んでいます。
 そして、重要なことは、M-W境界には、凝灰岩とよばれる岩石が挟まっていることです。凝灰岩とは、火山灰が固まったものです。ですから、どこかで火山が噴火して、はるばると海の真中まで、飛んできたものです。挟まっている凝灰岩は、風化によって、軟らかい、あわい緑色の粘土状態になっていますが、もともとは流紋岩やデイサイトとよばれる火山によるものだと考えられています。流紋岩やデイサイトは、列島(島弧と呼ばれる)や大陸で活動する火山です。
 凝灰岩の暑さは、赤坂では5mmほどで、上村では2mmほどしかありません。しかし、磯崎さんたちは、もっと西に当たる中国四川省北部の朝天の同時代の地層を調べたところ、同じような火山灰を発見しました。そして、その火山灰の厚さは、なんと2mもあるのです。この凝灰岩は、南中国全域で見つかることから、この火山は、非常に大規模なもので、あったと考えられます。それに、なんといっても、この火山は、数1000kmも離れた海洋まで、火山灰を降らせる大規模なものだったようです。
 チャート中にも、M-W境界に相当する時代の凝灰岩が見つかっています。さて、それは、P-T境界にも連動しているのでしょうか。そしてそれぞれの絶滅のシナリオはどんなでしょうか。長くなってしまいました。それは、またまた、次回です。

2002年6月20日木曜日

2_18 2億4500万年前の大絶滅(その2)

 2億4500万年前のP-T境界と呼ばれる古生代と中生代の境界では、無脊椎動物の種の数で、最大で96パーセントが絶滅したと考えられる事件が起こりました。なにか、とんでもない事件がおこったようです。それがどのような事件だったのか、みていきましょう。ここでは、東京大学の磯崎行雄さんたちのグループの研究成果を参考に見ていきます。
 まず、古生代と中生代の境界を調べるには、その時代の地層が必要です。日本でも、数ヶ所で見つかっています。一つはチャートとよばれる陸から遠い海洋でたまった地層です。もう一つは、石灰岩とよばれる岩石です。チャートと同じ陸から遠い海の火山(海山とよばれます)の頂上付近で溜まった現在のサンゴ礁をつくるような岩石です。
 今回は、チャートのみを取り上げましょう。チャートには、どんなことが記録されていたのでしょうか。
 現在のところ、愛知県と岐阜県の県境の犬山地域に分布するチャートに、P-T境界のものが見つかっています。このような地層から、どのようなことがわかるのでしょうか。チャートは、深海にたまったものですから、深海にまでおよぶような事件があれば、記録されているはずです。
 犬山のチャートの大部分は、赤色(正確にはレンガ色)をしています。しかし、P-T境界の地層は、チャートというより、チャート質あるいは珪質泥岩というべきような岩石で、チャートと泥岩の中間的なものです。さらに、、P-T境界部の岩石は、まっ黒の有機物に富む泥岩があり、その周りのものは灰色の珪質泥岩となってあり、さらに離れると、暗黒色から灰色のチャートになり、やがて、赤色のチャートへと連続的に変化しています。その境界部の厚さは、約30mです。
 大部分のチャートの色である赤は、鉄の酸化物の色です。赤鉄鉱(Fe2O3)という鉱物による色です。赤鉄鉱は、酸化的な環境でできる鉱物ですから、当時のチャートの溜まった環境、つまり深海底は、酸素がたくさんあり、鉄を3価まで、酸化させるほどであったことになります。
 ところが、P-T境界の黒色部の地層には、チャートはなく、有機物に富む泥岩になっています。このような岩石は、深海底が還元的な条件になっていたと考えられます。酸化的条件では、有機物は細菌によって分解され、地層に入ることはありません。しかし、還元的環境では、有機物が分解されなかったと考えられます。また、P-T境界付近の黒っぽいチャートには、赤鉄鉱がまったく含まれないで、黄鉄鉱(FeS)という鉄を含む鉱物になっています。
 鉱物の種類や堆積物の性質から、このような岩石は、還元的(酸素の乏しい)環境でできたと考えられます。つまり、犬山地域のチャートができた環境は、赤鉄鉱がたまるような酸素の多い環境であったのに、P-T境界の時期だけ、非常に還元的、つまり酸欠状態になったことを示しています。そして、それは、一時的な現象で、ふたたび酸素の多い、もとの環境にもどっています。
 このような事件は、海洋貧酸素事件とよばれ、過去に似たような事件は何度も起こっています。その継続期間は、100万年を越えることはありません。ところが、P-T境界の事件は、化石の研究から、約2000万年に及んでいて、いちばんの酸欠事件(有機物に富む泥岩)は、1000万年に及んだことがわかりました。磯崎さんは、この酸素欠乏の事件を、超酸素欠乏事件(superanoxia)とよびました。
 P-T境界の時代は、ほとんどの大陸が、パンゲアとよばれる一つ超大陸になっていました。そして、海は一つのパンサラサと呼ばれる一つの超海洋だけでした。有機物に富む泥岩は、その超海洋パンサラサの深海でたまったものです。そんな深海にまで及んだ超酸素欠乏事件は、結果です。なぜそのような事件が起こったのでしょうか。つまり、原因はなんだったんでしょう。謎は深まります。続きは、次回です。

2002年6月13日木曜日

2_17 2億4500万年前の大絶滅(その1)

 生物が、地球の歴史の主要な登場人物として現れるのは、顕生代とよばれる時代です。顕生代は、5億7000万年前のカンブリア紀からはじまり、現在まで続いています。顕生代に入っても、生物の大絶滅は、起こりました。いや、生物がたくさん出現する顕生代であるので、絶滅の記録は、より詳しくわかっています。そんな絶滅の歴史を見ていきましょう。
 地質の時代区分は、地層に含まれる化石(過去の生物)の出現(新しい生物種の誕生)や消滅(ある生物種の絶滅)によってなされます。特に、繁栄して全地球的に広がり、そして絶滅していく種は、時代を区分するのに有効です。そのような化石を示準(しじゅん)化石とよんでいます。
 時代区分されているということは、基本的に、その時代に生物の絶滅があり、新しい生物の出現した、という種の交替劇がおこなわれていることになります。大きな時代区分では、大量の絶滅があったことを意味します。
 顕生代において、大きな時代区分は、古生代と中生代の境界、そして中生代と新生代の境界の2つがあります。そこでは、もちろん大絶滅がおこっています。今回は、古生代と中生代の境界でおこった大絶滅を見ていきましょう。
 古生代と中生代の境界は、古生代最後の時代、ペルム紀(英語でPermian)と中生代最初の時代、三畳紀(英語でTriassic)の頭文字をとって、P-T境界とよばれています。年代では、今から2億4500万年前になります。P-T境界の大絶滅は、顕生代でも、最大の絶滅でした。
 P-T境界の大絶滅は、古くから知られており、1840年にフィリップス(J. Phillips)が提唱しました。それは、ダーウィンの「種の起源」よりも古いのです。つまり、地質学あるいは古生物学は、進化論に先行して、生物の交替劇を、地層から読み取っていたのです。そこには、進化という考えより、天変地異説(カタストロッフィズム)の影響が、強かったのかもしれません。キリスト教的な考えでは、「ノアの洪水」のような天変地異があったと考えられていたのです。そんな天変地異による大絶滅と考えられていたのでしょう。
 さて、P-T境界の絶滅は、いかほどのものだったのでしょうか。それは、すざましいものだったと考えられています。というのも、化石のデータが充分あるので、定量的に、その絶滅が把握できるのです。
 なんと、当時、海で生きていた無脊椎動物の種の数で、最大の見積もりでは、96パーセントが絶滅したと考えられています。もちろん、陸上の生物(昆虫や脊椎動物)にも、絶滅はおよんでいます。ほんの数パーセントしか、この「天変地異」を生きのびることができなかったのです。
 ですから、古生物学で、古生代の生物と中生代の生物は、大きく変化していることがわかっています。消えていった古生代を代表する生物としては、フズリナ、筆石、三葉虫、四射サンゴなどがあげられます。それが、すべていっせいに姿を消してしまったのです。
 では、いったい、2億4500万年前に、何が起こったのでしょうか。何かとんでもない「天変地異」が起こったはずです。そして、もちろん、私たちの祖先は、そのとでもない「天変地異」を生き延びたのです。なにが起こったのかを説明すると、長くなりそうです。次回としましょう。

2002年6月6日木曜日

6_12 6月の誕生石

 6月の誕生石は、アマゾナイトとムーンストーンです。どちらも長石の仲間です。

 アマゾナイトは、不透明で青緑色をしたものです。日本名は天河石(てんがいし)といます。アマゾナイトは、想像どおり、アマゾン川にちなんだ名前です。最初にブラジルのアマゾン川で産したため、この名前がつけられました。しかし、ブラジルではあまり取れず、現在の主な産地は、インドで、その他に、アメリカ合衆国、ロシア、マダガスカル、タンザニアなどです。
 アルカリ長石の仲間で、鉱物名は、マイクロクリン(microcline、微斜長石)といいます。マイクロクリンには、黒、白、ピンク、赤、灰色、緑、青、などさまざまないろのものがあります。しかし、青緑色のきれいなものだけをアマゾナトとして宝石とします。色のきれいなものは、ヒスイの代用品としても使われることがあります。この青緑色は、鉛によるといわれています。
 ムーンストーンの日本名は、月長石(げっちょうせき)です。名前からわかるように、長石の仲間です。正長石(orthoclase)というカリウムを比較的多く含む長石です。
 正長石(単斜晶系)の化学組成は、マイクロクリン(三斜晶系)と同じなのですが、結晶構造が違うので、別の鉱物となっています。
 みがいたものは半透明の輝きを持ち、宝石となります。青や白色の美しい輝きがあり、月の光のようにみえます。このような輝きは、正長石の中に成分の違う曹(そう)長石(ナトリウムに富む長石)の層ができたものです。2種類の長石の薄い層が、何枚も重なり、そこに光が反射したものです。曹長石のほうが薄いと青みをまし、多いと白みが増します。
 このような薄い2種類の鉱物からできた構造は、ラメラとよばれます。ラメラは、離溶(りよう)とよばれる現象でできたものです。薄い層となったものをいいます。
 離溶とは、高温でできたとき、もともと一つの結晶だったものが、温度が下がる時、別の安定な2つの鉱物に分離したものです。このような鉱物は、固溶体とよばれる性質を持つもので、長石、輝石、磁鉄鉱などでも、よくみられます。
 正長石(KaAlSi3O8)から曹長石(NaAlSi3O8)までの間では、カリウムとナトリウムの交換を連続的におこり、さまざまな結晶ができます。長石では、1000℃から700℃の間の温度では、一つの結晶として存在できますが、700℃以下の低温では、正長石に富む結晶と曹長石に分かれます。できたときの長石の組成によって、正長石と曹長石の量は決まってしまいます。離溶する曹長石は、曹長石成分からだけでできているのですが、正長石は、正長石に富みますが、純粋なものでありません。
 正長石でも、きれいに離溶がおこり、光を美しく反射できるも大型のものはなかなかなく、まれになります。ですから、大きなムーンストーンは、貴重なものとなります。つまり、高価になります。

2002年5月30日木曜日

2_16 6億年前の大絶滅(その2)

 6億年前のスノーボールアース、あるいは全球凍結という事件の続きのはなしです。さっそく、ホフマン博士の説に基づいて、シナリオの続きを見ていきましょう。
 暴走冷却によって、地球は一気に寒冷化が起こりました。やがて、地球は、一番寒い季節を迎えます。当時の平均気温は-50℃、海面は1kmを越える厚さの氷に覆われています。ですから、海洋から、大気への水蒸気の供給はほとんどなくなります。つまり、雨が降らなくなるのです。大気は、乾燥していきます。氷に覆われずにかろうじて残っていた陸地も、冷たく乾燥した砂漠となっていたはずです。
 氷に覆われた海洋は、今まで海洋がおこなっていた役割を果たさなくなります。それまで、太陽光と地球の自転で、地球表層の温度を平均化する役割を果たしてきました。その働きを、海洋はしなくなったのです。
 この時代には、まだ陸上に進出した生物は、ほとんどいなかったと思います。いたとしても、風を使って広がることのできる細菌類が火山による熱水のあるところで、細々と生活していたに過ぎないはずです。6億年前の大部分の生物は、海洋生物であったはずです。そして、多くの生物は、20億年前の大激変を生き抜き、酸素を有効に利用できる生き物となっていたはずです。ということは、多くの生物は、海面付近で生活していたはずです。
 逆にそのよう性質を持っていたがために、栄養豊富な海岸付近や海面付近で生活してた生き物は絶滅したはずです。20億年前から酸素を供給していたシアノバクテリアなど、光合成をする海洋微生物は、大部分が全滅してしまうはずです。酸素供給のメカニズムのストップしてしまいます。どれほどの大絶滅をしたのかはわかりませんが、20億年前の大絶滅に勝るとも劣らない大絶滅があったと考えられます。
 海と太陽、大気が調和を持って存在することこそ、生命の絶対条件です。20億年前はその内の大気に異変をもたらしました。その異変はもたらしたのは生命自らでした。6億年前の異変は、海洋に起きました。その異変をもたらしたのは、地球自身でした。これは、生命がつくった試練ではなく、与えられた試練でした。こんな試練をも、生命は乗り越えてきました。
 海洋の表面は、ほとんど氷に閉ざされていました。しかし、海が、すべて氷ることはありませんでした。それは、地球内部から供給される熱のためです。氷の厚さが1kmを越えなかったのは、そのためです。深海でも、海嶺や海山などで火山活動があると、熱水噴出口や地下水の湧き出し口で、小さな領域ですが、生物が細々と生き長らえることができたのです。それが、私たちの祖先でもあるわけです。
 そんな過酷な時代も、やがて終わります。それは、大気中に二酸化炭素がたまったためだと考えられています。二酸化炭素は、火山活動によって地球内部から定常的供給されていたはずです。その二酸化炭素が、雨が降らないことで、大気中に二酸化炭素がたまってくるのです。氷の時代が1000万年以上も続き、火山活動が続くと、大気中の二酸化炭素の濃度は、1000倍にもなります。二酸化炭素は水に溶け込みやすい気体です。現在のように海があり、雨が降る環境では、大気から除去される仕組みが働きます。その機能が6億年前にはストップしていたのです。
 大気への二酸化炭素の濃集によって、温室効果が促進され、暖かくなります。そのために海の氷が融けて、やがて赤道付近では、氷がとけ、海が顔を出します。しかし、急激に熱くなることによって、大量の水蒸気が発生して、激しい温室効果が生じます。その結果、寒冷化のゆり戻しかのような激しい温暖化がおきます。その推定値は平均気温50℃というものです。
 激しい環境変化は、さらに生命に追い討ちをかけます。でも、そんな激しい環境変化を生き抜いたものは、逞しい生命となっていました。そして、環境が穏やかになると、生命の大爆発とよばれるカンブリア紀へと突入します。

2002年5月23日木曜日

2_15 6億年前の大絶滅(その1)

 7億年前頃、地球では、全地球が真っ白になるくらい寒い時期があったのです。とんでもない事件です。それによって、多くの生物は、死に絶えたと考えられます。しかし、一部の生物は、しぶとく生き延びました。そんな大事件を、今回と次回の2回にわたってみてきましょう。
 地球のさまざまな時代の地層を調べていくと、その時代の環境が読み取れます。ある時代の世界各地の地層で、同じ現象が起こっていることが読み取れると、その現象は、全地球的に起こったことだとわかります。
 そんな地層の一つに、ティライト(tillite)とよばれる堆積岩があります。氷礫岩は、変わった岩石で、巨大な礫から粘土まで、さまざまなサイズの堆積物が混在した岩石、年輪のような縞模様をもつヴァーブ(varve)とよばれる堆積岩、あるいはドロップストーン(dropstone)と呼ばれる大きな石が、縞状堆積物の中に挟まっている岩石などがあります。
 これらは、いずれも氷河によって形成される岩石なのです。ティライトは氷礫岩と呼ばれ、氷河によって運ばれた堆積物である。ヴァーブは、氷縞粘土(ひょうこうねん)と呼ばれ、氷河の前面にできる湖には、夏には粗い砕屑物が冬には細かい堆積物がたまり、年輪のようにきれいな縞模様ができたものです。ドロップストーンは、凍った湖の上に、冬のあいだに転がってきた大きな礫が、春には氷が溶けて湖の堆積物の中に落ち込んだものです。
 他にも、氷河擦痕(さっこん)岩石につけられた氷河の傷跡やモレーンなどの氷河による地形など、なさまざなま氷河の証拠があります。そんな氷河の痕跡が、7億5000万年前から5億8000万年前までのいくつかの時代の地層に、見つかります。
 6億年前、大陸はいくつもの大陸が、赤道付近にありました。現在、赤道付近では、氷河は標高5000m以上でないと形成されません。ところが、赤道に分布していた大陸なのに、この時代に氷河の証拠がたくさん見つかるのです。
 5000m以上の陸地は、そんな広く分することはありません。これはいったい何を意味するのでしょうか。
 当時(6億年前)の地球が、非常に冷たかったことを意味します。その冷たさは、想像を絶するものでした。ホフマン博士の推定によると、地球全体が真っ白で、雪や氷に覆われています。当時の平均気温は-50℃、海面は1kmの厚さの氷に覆われています。ただし、地球内部の熱が放出されていますので、海洋の底までは凍らなかったと考えれています。こんな時期が、1000万年あるいはそれ以上続いたと考えられています。まるで、地球が白い雪球のようみ見えるので、スノーボールアースあるいは、全球凍結とも呼ばれています。
 なぜ、こんな寒冷化が起こるのでしょうか。それはスノーボールアースをいい出したホフマン博士によると、次のようなストーリが考えられています。
 7億7000万年前まであった一つの巨大なロディニアという大陸(超大陸といいます)が、分裂をはじめます。6億年前には、大陸は小さく分裂し、赤道付近に分布します。赤道付近の大陸では、雨がたくさん降り、大陸を侵食します。激しい雨は、大気中の二酸化炭素を溶かし、大陸から持たされたイオンと結びついて、炭酸塩の沈殿物をつくります。二酸化炭素の急速減少によって、温室効果が下がり、地表の温度が急激に下がります。その結果、大きな氷が極地域の海にできます。広く白い氷は、太陽の光をたくさんはね返し、地球を暖めるために使われません。これが、寒冷化に拍車をかけます(暴走冷却とよんでいます)。この連鎖が悪循環をうみ、全球凍結へと向かいます。
 さて、地球は大変な事態を迎えました。続きは次週です。

2002年5月16日木曜日

2_14 20億年前の大絶滅

 私たち(生命、あるいは人類)は、平穏無事に、現在にたどり着いた訳ではないのです。紆余曲折をへて、それこそ波乱万丈の試練を乗り越えて、現在に、生きているのです。いや、生き延びてきたというべきかもしれません。そんな、事件で、最初で、最大の事件をみていきましょう。
 地球生命において、最大の事件、それは、約20億年前に起こったものです。これは、多くの科学者が、一番のものとしてあげる事件でしょう。では、その20億年前の事件とは、どんなものだったのでしょうか。
 20億年前までの地球環境は、二酸化炭素(CO2)を中心とするものでした。大気も、二酸化炭素が主要成分でした。もちろん二酸化炭素は、水への溶解度が大きいので、海にも多くの二酸化炭素が溶け込んでいました。
 ところが、約28億年前に、シアノバクテリアとよばれる小さな生き物が誕生しました。その生き物は、その後、約20億年前には、大量に発生したのです。それは、シアノバクテリアの敵が少なかったのと、繁殖する環境が整っていたからでしょう。
 シアノバクテリアは、光合成をする生き物です。光合成とは、二酸化炭素(CO2)と水(H2O)から、光のエネルギーを利用して、有機物と酸素(O2)をつくるという作用のことです。シアノバクテリアが大量発生するということは、大量に酸素が発生するということです。
 その証拠が、大陸各地からみつかっています。ストロマトライトと縞状鉄鉱層とよばれる岩石が、その証拠です。
 ストロマトライトは、全体としてはマッシュルームのような形をして、内部に同心円状の構造をもつ岩石です。このようなマッシュルームが密集してできた岩石が、大陸の堆積岩の中から、大量にみつかります。以前は、その素性やでき方がわからなかったのですが、西オーストラリアの西北にあるシャーク湾ハメリンプールから、同じ構造をもつ岩石がみつかったのです。
 ハメリンプールでは、ストロマトライトが、現在つくられているさいちゅうでした。シアノバクテリアが表面に群生して住んでおり、盛んに光合成をしているのです。今まで見つからなかったのは、シャーク湾のように塩分濃度が異常に高い、特殊な環境にしか生き延びてなかったのです。しかし、かろうじてでも、ストロマトライトを作る生物が、生き延びていたおけげで、その岩石の素性や成因がわかったのです。つまり、大量のストロマトライトの存在は、大量の酸素の発生を意味します。
 もう一つの証拠の縞状鉄鉱層は、鉄の原料となる鉄鉱石のものとです。鉄鉱石は、大陸各地で、大規模に露天掘りされています。つまり、大量の縞状鉄鉱層が存在するのです。その大規模な縞状鉄鉱層の形成された年代が、やはり約20億年前なのです。縞状鉄鉱層は、海に解けていたいた鉄のイオンが酸化状態になることによって沈殿してできる堆積岩だと考えられています。つまり、海水中の酸素の量が多くなると形成される岩石なのです。
 ストロマトライトと縞状鉄鉱層は、呼応していたのです。どちらも酸素の量産が起こった証拠なのです。
 海で鉄を使い尽くすと、酸素はやがて、海水からあふれ、大気中へのでてきます。大気の環境も酸化状態になるわけです。
 酸素は、生物にとっては、猛毒です。酸素は、ものを酸化させます。生物にとって、酸素に満ちた環境では、からだが、酸化、つまり分解していくのです。それまで、酸素のない環境に生きていた生物は、20億年前ころ、大絶滅をしたはずです。
 シアノバクテリアのもちろん生き残り繁栄しましたが、解毒能力を持つミトコンドリアという装置を体にもっていた数少ない生物のみが、生き延びました。それは、私たちの祖先でもあるわけです。私たちの祖先は、地球上最大の試練、大絶滅を生き延びたのです。

2002年5月9日木曜日

2_13 生物の絶滅

 一つの命は、多くの命の連鎖の中に生きています。連鎖の中では、多くの同胞たちが、一つの命に先行しています。そして、やはり、同胞たちが、その後に続きます。これが、「種(しゅ)」です。種は、永遠ではありません。命に限りがあるように、種にも限りがあります。種の終わり、それは種の絶滅に意味します。そんな限りある種の命、「絶滅」をみていきます。
 生物の一番基本となる単位は、一つの命です。一つの命は、なんのために生きているのでしょうか。食べるためでしょうか。それとも、他の命に勝って、住みかや縄張りを守るためでしょうか。どの答えを選んだとしても、最終的には、メスやオスを見つけ、家族となり、子孫をつくり、その子孫を含めた家族を守るために生きているのではないでしょうか。
 家族を守るため、あるいは子孫をつくるためとは、一つの命が、意図しようが、しまいが、結果としてメンメンと続く、種の保存を意味します。家族を守ること、それは、ある命が何をも儀性にしてすべきことなのです。もしかすると、自分の命を儀性にしても、すべきことなのかもしれません。それほど家族、つまり、種の保存とは重要なことなのです。そんな万難を排して守るべき種も、終わるときがあるのです。
 一つの命の終焉、それは、死です。一つの種の終わり、それは、絶滅(ぜつめつ)です。絶滅とは、種の連続が途絶えるときです。あるとき、ある種から生まれた種が、その連鎖を絶つときが、絶滅です。
 死には、さまざまな原因が考えられます。人の死を例にしますと、一番、一般的な死は、「寿命」です。一つの命(個体)が、自分自身の内部にあるなんらかの原因で維持できないとき、その命は尽きます。それはすべての生命に起こる死です。
 しかし、個体としては、まだ、生きる力があるのに、外的な要因で死ぬこともあります。交通事故、流行病、怪我など、外部に原因があって死に至ることもあります。
 内的原因である寿命、外的原因、いずれであっても、死がきます。
 このような内因の死も外因の死も、個々の人間の死だけでなく、種のレベルでも、同様に訪れます。つまり、絶滅も、内因によるものと、外因によるものがあるはずです。
 内因による絶滅とは、種自身が、自分達の種の内部にある原因によって絶滅する場合です。例えば、人類でいえば、戦争や薬害、自分達が引き起こした環境破壊による絶滅などによって、絶滅すれば、内因的絶滅が起こります。人類以外の場合では、特殊化しすぎた種がちょっとした環境の変化に適応できなかったり、種内の競争で特殊化したため他の種との競争に負けて絶滅することなどが、内因的絶滅にあたるでしょう。
 外因による絶滅は、例えば、人類が他の生物種を絶滅に追いやる場合や、変異した病原菌によって人類が絶滅することなどです。外因による絶滅とは、一般的には、ある種が、なんらかの環境の変化や、他の種との生存競争に負けてしまうときなどです。
 個々の種の絶滅の場合は、その原因が定かではない場合が大部分です。ところが、人類が関与した種は、例えば、ドゥドゥ、タスマニアタイガー、ニッポンオオカミなどは、その絶滅の原因がはっきりします。でも、一般的には、なかなかその原因が、わからない場合が多いのです。まして、今は亡き過去の生物種の場合は、もっと困難です。
 ところが、種の大量絶滅があるときは、外因が、その重要な原因となるはずです。その原因は、絶滅の規模が大きいほど、その記録は、大地に刻まれているはずです。まだ、すべての大絶滅の原因が解明されているわけではありませんが、そこには、地球環境と生命の関わりが見てとれるのです。

2002年5月2日木曜日

6_11 5月の誕生石

 5月の誕生石は、エメラルドとヒスイです。5月の誕生石は、どちらも緑色です。そう、5月は新緑ころです。さて、その緑色には、どんな秘密が隠されているのでしょうか。そして、どんな宝石かみていきましょう。

 エメラルド(emerald)の日本名は、翠玉(すいぎょく)です。エメラルドは、いわゆるエメラルド・グリーンと呼ばれる緑色のきれいな鉱物です。しかし、エメラルドは、内部に傷や割れ目があることが多く、くもってみえたり、半透明にみえたりします。また、不純物として、他の鉱物などができていることもあります。このようにエメラルドは、傷のないものは少ないため、高品質の透明感のあるものは、高価になっています。
 エメラルドの鉱物名は、ベリル(緑柱石(りょくちゅうせき)、beryl)です。化学組成は、Be3Al2(SiO3)6、です。アクアマリン(3月の誕生石)と同じ鉱物です。エメラルドの緑色の原因は、少量含まれているクロム(Cr)とバラジウム(V)のためです。
 エメラルドは、古くから宝石として使われてきました。紀元前5000年頃から利用され、クレオパトラも愛したといわれています。そして、歴史上有名なエメラルドの多くは、エジプトのクレオパトラの鉱山から採れたものです。しかし、その鉱山は、いまでは、品質のいいエメラルドはあまり採れなくなってしまっています。
 もう一つの誕生石とされるのは、ヒスイです。ヒスイは、漢字では翡翠とかきます。ヒスイは、以前は一つの種類の宝石と考えられてきましたが、1863年に、実は2種類の別の鉱物があることがわかりました。輝石の仲間と角閃石の仲間の2種類です。
 輝石の仲間のヒスイは、ヒスイ輝石(jadeite)という鉱物で、硬玉(こうぎょく)と呼ばれています。Na(Al, Fe)Si2O6、という化学組成をもっています。ヒスイ輝石は、単一の結晶ではなく、小さな結晶が集まって(交差繊維状組織と呼ばれています)いるもので、さまざまな色(緑、白、ピンク、褐色、赤、青、黒オレンジ、黄色など)のものがあります。クロム(Cr)によって、緑になったもので、きれいなエメラルド・グリーンのものが高価とされ、インペリアル・ジェードと呼ばれています。
 もう一つの閃石の仲間のヒスイは、ネフライト(nephrite)という鉱物(Ca2(Mg, Fe)5Si3O22(OH)2)で、軟玉(なんぎょく)と呼ばれています。硬玉(硬度7)とくらべて、軟玉(硬度6.5)は、やや硬さ(硬度(こうど))が低くなっています。それは、鉱物の種類を反映したものです。ネフライトも、単一の結晶ではなく、繊維状の組織をもった結晶が集まったものです。ネフライトも各種の色を持ちますが、一様なものか、しみ状、縞状になることがおおく、鉄(Fe)を含むものは濃い緑色となります。
 どちらのヒスイも、弾力性があり、丈夫であるので、彫刻を施すのに適していました。そのため、古くから宝石として利用されてきました。その一番古い利用の歴史は、日本なのです。縄文中期には、勾玉(まがたま)として、ヒスイ輝石が使われていました。
 エメラルドも、ヒスイもどちらも緑色でした。エメラルドとヒスイ輝石の緑はクロムで、ネフライトは鉄でした。それも、少量ふくむとそのような色になります。ところで、ヒスイ輝石に鉄が少量含まれると何色になるとおもいますか。それは、紫です。不思議ですね。人の世も、宝石の世界も、色の道は奥が深そうです。

2002年4月25日木曜日

4_16 連続する地層:中国3

 中国の地質見学で、非常に長い時間にわたって形成された地層をみました。長い時間の連続した記憶が、ほんの数キロメートルに納まっています。今回はその地層の持つ意味を考えました。


 中国の西方、永定河沿いには、震旦(しんたん)紀とよばれる先カンブリア紀の地層と古生代(億万~億万年前)の地層が広く分布しています。大都会北京のところどころでも、古生代の地層が見ることができます。
 カンブリア紀からはじまる古生代の地層は、震旦紀とは不整合で接し(4_14「4_14 北京の震旦」を参照してください)ます。
 今回見た地域では、カンブリア紀の地層は、石灰岩を主な岩石とし、400メートルほどの厚さがあります。まず、その地層の薄さに驚きました。カンブリア紀は、5億7000万~5億1000万年前からの6000万年間です。もし、現代からその時間を遡ると、新生代のほとんどが入ってしまうほどの期間になります。日本列島では、これくらいの時間が経過すると、分厚い地層がたまります。
 私は、日本で地質学を学び、研究をしてきました。一応、世界各地の地質を調べたり、見たりしましたが、私の「地質学的常識」は、日本列島のものです。ですから、ついつい日本列島の地層の溜まりかたと比べて、いるのです。
 ところが、ある時間に、一定の量の地層が溜まるわけではありません。一般的傾向として、長い時間かけてたまった地層は厚く、短い時間でできた地層は薄くなります。しかし、地層が溜まる環境が違えば、その溜まるスピードは違ってきます。同じ時間が経過しても、環境の違いによって、厚い地層や薄い地層ができるわけです。
 ですから、中国大陸の北京付近の古生代の地層の堆積速度は遅く、日本列島は早いという違いあったのです。日本は、プレートが沈み込むところで、堆積物が溜まりやすいところです。一方、中国の古生代は、暖かい、浅い海の環境が長く続きました。そして、大量の堆積物を運んでくるような川はなかったようです。でも、地震による地層の乱れ(中国では地震岩とよんでいます)や、津波によってできた岩石も多数発見されています。
 地震や津波によって乱れた地層は、最近注目を浴びてきました。白亜紀と第三紀の境界で起こった恐竜大絶滅の原因として、隕石の衝突が考えられています。そのときに大きな津波がおこったと考えられています。大規模な津波は、隕石衝突の証拠とひとつとして、考えられています。白亜紀と第三紀の境界の時代に、津波によってできた地層が、中米の各地の地層から発見されています。
 中国の古生代では、日本の常識列島に捕われていた自分を発見しました。私にはよくあることなのですが、旅行をすると、何故か、自分自身や日本について、思いが巡ってきます。もしかすると、旅とは、見聞を広げる一方、自分自身を見なおし、再発見することなのかもしれません。

2002年4月18日木曜日

4_15 周口店:中国2

 北京南西部にある周口店を訪れました。周口店といえば、北京原人です。北京原人の山地である周口店は、世界遺産にも選ばれています。今回は北京原人の遺跡の見聞録です。


 周口店は、北京の50キロメートル南西の周口店駅の近くにあります。周口村は、北京の市街地からは、だいぶ外れてあり、房山県に属します。周口店は、永定河の支流、ハ(第2水準ではない漢字)児河と竜骨山の出合うところにあります。私が訪れた2002年3月26日の周口店は、白やピンクの桃と桜、黄色いレンギョウの咲く、のどかな季節でした。周口店は、石炭や石灰岩の産地としての一面も持っていました。
 北京原人は、鉱務顧問として招かれたスェーデンの地質学者アンダーソンが、1918年に、周口店へ調査に来たとき、小動物の化石を採集しました。これがきっかけとなり、その後の北京原人の発見や、長年にわたる研究の始まりとなりました。
 その後、アンダーソンの他に、ツダンスキー、ボーリン、ブラックなどの古生物学者が、周口店を調査しました。また、斐文中、揚鐘健などの中国人研究者、中国地質調査所、北京大学が、発掘調査をしました。その結果、40個体ほどの人骨を含む多数の動物の化石、10万点を越える石器や石片類が発見されました。
 1927年に、アメリカのブラックが、人骨を、シナントロプス・ペキネンシス(正式には、ホモ・エレックトス・ペキネンシスに分類されています)と命名したことによって、北京原人が世界的にしられれようになりました。北京原人が、周口店に住みだしたのは、46万年前で、その後約20万年にもわたって、この洞窟に住み着いていました。洞窟の崩壊や堆積物による埋没によって、ここから立ち退かざる得なかったのは、23万年前です。
 北京原人のほかに、2万~1万8000年前の山頂人の遺跡も、同じところから見つかりました。山頂人の人骨や石器なども発見さています。
 周口店の遺跡は、オルドビス紀の石灰岩からできている山腹の洞窟でみつかりました。この洞窟付近は、眼下に扇状地が広がる景色のよいところです。
 洞窟は景色はいいのですが、生活のためには、洞窟まで登ったり降ったりしなければならず、大変なところです。いくら北京原人が、現代人のようにひ弱でなかったとしても、なぜ、わざわざこんな山に生活の場を求めたのでしょうか。
 単に雨風をしのぐという理由だけではない何かが、あるような気がします。狼やトラ、サーベルタイガーなどの外敵から身を守るためもあったでしょう。でも、食料の調達は、平野からが主だったのではないでしょうか。となると、やはり重い食料をかついで山を登るは大変だったのではないでしょうか。もしかすると、冬場の乾燥した時期は、水も下まで汲みにいかねばならなかったかもしれません。
 そこで、ふと、私は考えました。多くの北京原人は生活のしやすい平野に住んでいて、一部の北京原人だけは、山の洞窟に住んでいたのではないかと思いました。では、なぜこんなところ住んでいたかというと、私と同じことを北京原人も感じたからではないかと思いました。私がこの周口店の遺跡のある山腹に立って、真っ先に感じたことは、大変景色が綺麗なところだということです。その景色を毎日満喫したいがために、多少の不便は覚悟で、ここに住んだのではないかと。
 まったく科学的ではありませんし、根拠もありません。人類の仲間というだけで、彼らを自分と同等に考えて、感情移入してしまいまいました。だから、彼らが私達と同じことを感じたのではいか、とついついこんな妄想をしてしまいました。

2002年4月11日木曜日

4_14 北京の震旦:中国1

 2002年3月24日から27日まで、中国の北京付近の地質の見学に行きました。黄砂(こうさ)に霞む、北京は、桃が咲き、桜が咲き、若葉が芽ぶく、春でした。今回の見学の目的は、先カンブリア紀とカンブリア紀の境界を見ることでした。その目的を達したような、達しなかったような、不思議な気分でした。


 北京の北西30キロメートルほどの村、三家店西方の永定河沿いに、目的の地があります。そこに、震旦紀とカンブリア紀の境界があります。中国では、カンブリア紀より前の8億年から6億年前の時代を、震旦(しんたん)紀と呼んでいます。
 さて、震旦紀とカンブリア紀の境界は、文献の上では、不整合であるとされています。今回の私の目的は、その不整合がどのようなものか見たかったのです。
 不整合とは、整合に相対する言葉です。ある地層が途切れることなく連続してたまったものを整合といいます。不整合は、たまった地層が、一度陸になり、もののたまらない状態で、何らかの侵食を受けた後、再び堆積の場となり、地層がたまったものです。
 不整合を認定するには、いくつかの条件があります。一番の条件は、上下の地層に、時間的ギャップがあることです。少なくとも削られた分の時間に相当する地層は、消失しているはずです。また、不整合の面は、水平とは限らないことです。もし、上下の地層の面が、平行でなければ(斜交しているといいます)、そこには不連続面があることになります。さらに、基底礫があることです。基底礫とは、下の地層が陸地であった時に侵食されて、その上に礫となり、上の地層の最下部(基底)に含まれているいるものをいいます。以上のような条件をみたせば、不整合と認定できるわけです。
 結論からいうと、今回の震旦紀とカンブリア紀の境界は、確認できませんでした。案内者の人によれば、他の地域では、不整合が確認できているということです。ここでは、どうも、断層によって、不整合が見えなくなっているようです。
 震旦紀の地層は、ぺらぺらとはがれやすい状態に変成された岩石(千枚岩といいます)になっていることが特徴です。千枚岩のもともとの岩石(原岩)は、赤い粒の細かい泥岩と緑の凝灰岩、淡灰色の石灰質砂岩からなっています。それのうち、泥岩は、赤色千枚岩、緑色千枚岩と呼ばれます。一方、カンブリア紀の地層は、石灰岩を主ような岩石とし、石英砂岩も含みます。石灰岩には、さまざまなものがあります。丸い石灰岩の粒を含むもの(魚の卵のように見えるので魚卵状石灰岩(oolitic limestone)と呼ばれます)竹の葉のような模様をもつものもの、化石を含むものなど、さまざまなものが見られます。
 今回観察した地点では、震旦紀の千枚岩に接して、カンブリア紀の魚卵状石灰岩があり、次ぎに、また、震旦紀の千枚岩がカンブリア紀の石灰岩があります。その間には、小さな断層はいくつもあるようで、不整合らしきところは見かけられませんでした。
 今回の震旦紀の地層は、千枚岩だけだったのですが、北京の東部には、ストロマトライトと呼ばれるシアノバクテリアがつくった岩石や、氷河堆積物からできた岩石もあります。震旦紀だけでなく、カンブリア紀の地層も、日本では見られない古い時代の地層です。中国にはもっともっと古い地層もあります。

2002年4月4日木曜日

6_10 4月の誕生石

 ダイヤモンド。この一言で、興味を示される方がたくさんおられると思います。4月の誕生石は、ダイヤモンドです。ダイヤモンドは、なぜ、綺麗なのでしょうか。その秘密を見ていきましょう。

 ダイヤモンドは、単に値段が高いから、魅了されるのでしょうか。それだけではありません。宝石、特にダイヤモンドには、見ると誰でも、引き込まれるような美しさがあります。それは、天然の結晶がもつ特徴と、人間の叡智とが共同してつくりあげた美しさなのです。
 ダイヤモンドの特徴は、屈折率が高く、硬度(モースの硬度10)が大きいこと、そして、天然での産出が少ないことから、宝石として珍重されています。
 屈折理の高さは、透明鉱物の中でも最大です。屈折率が高いということは、ダイヤモンドの中に入った光が大きく曲げられます。また、ダイヤモンドは、波長によって屈折率が違っています。入る光の角度によっては、光を鏡のように反射させることができます。どこから見ても光をうまく反射する面をつくったものが、ブリリアン・カットなどとよばれる加工です。また、波長によって屈折率が違うため、きらめきが生じます。
 硬度が大きければ、その輝きは永遠に保証されます。
 ダイヤモンドの成分を見ていきましょう。ご存知の方もおられると思いますが、ダイヤモンドは、炭素(C)という元素からできています。同じく炭素からできている鉱物として、石墨(せきぼく)(グラファイトともいます)があります。しかし、石墨は、ダイヤモンドとは似ても似つかない鉱物です。石墨は、真っ黒な結晶で、手でこすると、結晶が手につくくらい柔らかいものです。けっして身に付けて飾ろうという気も起きないものです。
 炭素を、墨でも、もちろん石墨でもいいですが、高温あるいは高温高圧の条件にすると、原理的には、ダイヤモンドができます。強い圧力よって、ダイヤモンドは、炭素のぎっしりとつまった状態になっています。ぎっしりつまっているということは、密度が大きくなっています。同じ炭素からできている結晶でも、ダイヤモンドの密度が大きく(約3.5 g/cm3)、石墨は小さく(約2.2)なっています。
 では、天然のタイヤモンドは、どこでできたのでしょうか。それは、地球の深部です。地球は、深部に入るほど圧力が上がります。ダイヤモンドができるのは、100km以上の深度になります。そのダイヤモンドが、低温低圧の地表にくるには、マグマの働きによって地下から持ち上げられなければなりません。それも、ゆっくりと上がってくると、低圧で安定な鉱物である石墨に変わってしまいます。そのような余裕もなく、一気に地表にまで達したものが、ダイヤモンドとなります。
 現在、ダイヤモンドは合成されますが、天然のものとは不純物(インクルーション)で区別できます。人工結晶には、不純を含まなかったり、不純物の種類や入り方が違っています。ですから、区別できます。また、ダイヤモンドの贋物(イミテーション)として、ジルコン、YAG(イットリウム・アルミニウム・ガーネット)やチタン酸ストロンチウムなどが用いられます。贋物はダイヤモンドだけではありません。いろいろなもので、あります。
 しかし、天然のダイヤモンドは、非常に変わったできかた、そして運ばれ方をしたものなのです。だから、ダイヤモンドの輝きには、人を惑わす魅力、いや魔力があるのかもしれません。ダイヤモンドの魔力は、人にイミテーションまで生み出さすまでにいたったのです。

2002年3月28日木曜日

5_16 鉱物とは

 前回、宝石の話しを書きました。そのとき、鉱物という言葉を、なんの説明もなく使用してきました。でも、鉱物とは、どんなものか、いえるでしょうか。今回は、鉱物について考えましょう。

 鉱物とは、岩石を構成する基本的な粒子、物質です。
 鉱物は、結晶の種類のことで、3000から4000種類、発見されています。結晶には人工的なものも含まれますが、鉱物は天然のものだけをいいます。新しい鉱物は、今も発見されています。結晶とは、規則正しい元素の配列をもち、物理的(物性、光学的性質)や化学的性質が一様な物質をいいます。これでは、なかなか分かりにくいかもしれません。
 別のアプローチとして、思考実験をしましょう。
 ある岩石、たとえば御影石(みかげいし、正式には花崗岩といいます)を、2つに割ります。すると、同じ種類の岩石2個になるはずです。これを繰り返すと、ある時から、同じ種類とはいえなくなります。2つの部分の構成物の組み合わせや量が違ってくるはずです。たとえば、それが御影石なら、一方が透明な物質だけからなり、他方が黒っぽい物質だけからなるかもしれません。ここまでくれば、鉱物まであと一息です。
 さらに、何度か、繰り返し半分にします。そのどちらかを、また半分にしたとき、透明なら透明、黒なら黒という性質が続くとき、そのような物質を鉱物といいます。
 もしかすると、この思考実験は、より理解を困難にしたかもしれません。これをやぶ蛇といいます。でも、鉱物とは、そういうものです。
 鉱物というもののなかには、非常に綺麗で、人目を引くようなものもあります。博物館で見るような鉱物の結晶には、非常に綺麗なものがたくさんあるのを、ご存知の方も多いと思います。もし、それが自分のものになって、そんちょこそこらにはなく、身に着ければ、人も欲しがるようなものであったとします。すると、それは、「お宝」、宝石となるわけです。
 天然のものをさらに綺麗にして、よりよくみせるということも、されるようになってきました。「綺麗さ」に対する飽くなき努力でしょうか、それとも、単に「欲」に駆られた、行為でしょうか。

2002年3月21日木曜日

5_15 宝石とは

 宝石は、女性を魅了します。というとセクハラになるのでしょうか。男性でも、宝石を飾る人もいるでしょうし、お金になるので、魅了されているかもしれません。今回は、人びとが魅了されてやまない、宝石についてみていきましょう。

 宝(たから)とは、さまざまなものがあります。多くの人にとっての宝もあります。人類全体にとっても宝は、世界遺産です。国の宝は、国宝です。家の宝は、家宝です。ひとりひとりにとっても、宝があるはずです。
 宝は、その大きさには関係がありません。小さな宝として、宝石があります。宝石は、誰もが宝と考えます。鉱物の知識もない古い時代から、宝石はあります。
 宝石は、大地の贈り物です。宝石とは、多くは鉱物の結晶です。天然の鉱物のうちで、特にきれいなもの、硬くて、変質や変色のないもの、そして少ししかないものを宝石といいます。宝石は高価なものをいうのですが、やや安いものは貴石(きせき)とよび、安いものは飾り石といって区別して呼びます。
 宝石を、きれいなものや硬いものなどという条件をつけました。「きれい」とは、鉱物の結晶として完璧さ、色や透明感、輝きなどから、総合して、人間が感じることです。硬いというのは、きれいさを保つために必要となります。やわらかいと、長年使っていると、傷ついていき、輝きをなくしていきます。しかし、十分に硬いと、傷つくことはあまりなく、きれいなまま保たれます。
 鉱物は、天然の結晶ですから、多少の傷があります。そのような傷を人が補(おぎな)い完璧なものにしたのが、宝石です。あるいは、よりきれいに見えるために、人はカットの方法や磨き方を考えだしました。それでも、きれいなものは、天然の鉱物のほんの一部なのです。
 宝石とは、選びに選び抜かれた鉱物の結晶なのです。したがって、選び抜かれた宝石は、数も少なくなり、希少性が出てきて、値段も高くなります。その代表的なものが、ダイヤモンド、ルビー、サファイア、エメラルドなどです。
 このような宝石を、誕生月を象徴するようにしたものを、誕生石といいます。誕生石の起源は、聖書やユダヤの歴史書などに、12種類の宝石の話がでてきます。その種類が現在のものかどうかは、はっきりしていません。しかし、人は、古くから宝石を大切にしてきたのです。そして、宝石には神秘的な力があり、幸運をまねくと考えてきたのです。
 現在の誕生石は、1912年にアメリカ合衆国の宝石屋さんが集まって、決めたものです。ちなみに、誕生石は、1月はガーネット、2月はアメジスト、3月はアクアマリン、コハク、4月はダイヤモンド、5月はエメラルド、ヒスイ、6月はムーンストーン、アマゾナイト、真珠、7月はルビー、8月はペリドット、メノウ、9月はサファイア、10月はトルマリン、オパール、11月はトパーズ、12月はトルコ石、ラピスラズリ、となっています。このなかには、鉱物ではないものや、宝石の条件に合わないものも含まれています。
 宝石は、マグマからできたり、地下深くでの高温や高圧の条件できた結晶です。宝石は、地球の営みによってできたものです。宝石の奥底に見え隠れする地球のダイナミズムを感じてください。

2002年3月14日木曜日

3_27 ミグマタイト

 変成岩の中でミグマタイトと呼ばれる岩石は、限りなく火成岩に近いものです。というのはマグマと呼んでいいものを変成岩の中に持っているからです。火成岩と変成岩の境界の岩石を見ていきましょう。


 前回のべた片岩は、ぺらぺらとはがれやすそうに見える性質をもっていました。それより変成作用の程度が強くなると、もっと乱れた模様で、麻紐が絡まったような状態の、片麻状という変成岩のつくりになります。
 ある片麻岩を詳しくみますと、白っぽく、ゴマ塩の脈がみることができます。場所によっては、ゴマ塩状の部分が多かったり、集まっているところでは、片麻岩というより「ゴマ塩岩」といったほうがいいくらいのところもあります。「ゴマ塩岩」は、火成岩の花崗岩と呼んでいいものです。このような片麻岩中に花崗岩的な部分を持った岩石があります。それを、ミグマタイト(migmatite)と呼んでいます。日本語としては、混成岩ということもありますが、あまり使われていません。
 変成作用の程度が高くなると、変成岩の中に形成される鉱物も、より高温高圧で安定なものへと変わっていきます。温度や圧力などの変成作用の条件でいえば、ミグマタイトより、もっと高温高圧で形成された変成岩があります。近年には、超高温変成岩や超高圧変成岩なとが、世界各地から発見されています。
 ミグマタイトは、そのような超○○変成岩と比べれば、変成条件が低いのですが、火成岩と変成岩の境界に位置するという意味において、その重要性は変わりません。それは、変成岩と火成岩のカテゴリーは、温度や圧力で決められているのではなく、岩石の成因によって決められているからです。
 ミグマタイトが形成される条件は、ある程度限定されています。300MPa(Paはパスカルで圧力単位)以上(地下10km以深)では、圧力あまりかかわらず、溶けるか溶けないかは、温度だけで決定されます。
 花崗岩のマグマは、水が無ければ、1000℃以上でないと溶けないのですが、水を含むと700~800℃で溶けはじめ、泥岩の化学組成をもった岩石では、600~650℃で溶けはじめます。玄武岩質の化学組成をもつ岩石でも、水を含まないと1200℃以上でないと溶けないのですが、水を含むと800~1000℃で溶けはじめます。つまり、水を含む岩石の方が低温で溶けます。超高圧変成岩や超高温変成岩は、水をほとんど含まない岩石なのです。
 泥岩や砂岩の変成岩で、溶けた物質(マグマ)が集まって大きな塊となれば、花崗岩となります。溶けても集まらず、変成岩の中にそのままとどまっているのが、ミグマタイトになるのです。つまり、溶けた物質が移動するメカニズムが働くと火成岩の花崗岩になり、働かないと変成岩のミグマタイトになるという、違いを生じます。
 以上のことから、水が存在すると、泥岩や砂岩を原岩とした花崗岩質のミグマタイトは、比較的低温でできること判明しました。花崗岩質のマグマは、他の組成のマグマに比べて、比較的低温でマグマが形成されるということです。
 もう一つ重要なことは、泥岩や砂岩を構成する主要鉱物である石英、斜長石、正長石が一緒に溶けるときは、できるマグマも、ある一定の化学組成をもつものであるということです。そして、そのマグマの供給は、石英、斜長石、正長石のどれかがなくなるまで、同じマグマが形成されます。このような液形成のメカニズムが働くから、世界各地に、いろいろな時代、いろいろな原岩、いろいろな条件がありながら、いつも似たような花崗岩ができるのです。
 花崗岩は、いつでも(時代)、どこでも(地域)、同じようなもの(化学組成)が、たくさん(量)できるというの特徴があります。ミグマタイトという変成岩を調べることによって、その秘密が明らかになってきました。変成岩と火成岩は、こんなところで結びついていたのです。

2002年3月7日木曜日

3_26 緑色片岩

 変成岩の中で、典型的なもののひとつに、片岩(へんがん)というものがあります。片岩とは、薄い縞状のつくりをもった岩石です。特徴的な色の名前をつけて、岩石名とすることがあります。色のついた片岩は、野外で便宜的に使う名前ですが、専門語としても定着しているものもあります。緑色片岩もその一つです。緑色以外に、青、白、黒、赤などの色名がついた片岩があります。緑色と片岩という名前には、隠された地球の仕組みあります。それをみていきましょう。


 岩石は鉱物からできてます。ですから、岩石の色は、鉱物の色を反映したものです。岩石は何種類かの鉱物からできています。その平均的あるいは積分的な総和が、岩石の色としてみえます。いろんな色の鉱物にあったとしても、ある色の鉱物が大量にあり、他の色が少量であれば、その大量の鉱物の色が、岩石の色となります。多数決の原理です。
 片岩には、緑色以外にも青色、白色、黒色、赤色を持つものがあります。その色は、ある鉱物の特徴的な色なのです。緑色片岩には、緑泥石や緑閃石と呼ばれる鉱物が多く含まれます。鉱物の名前からもわかるように、どちらも緑色の鉱物です。
 片岩は、緑色の部分や黒色の部分が単独であるわけでなく、縞模様になっています。緑色片岩の部分でも、緑色の濃淡があり、縞模様がみえます。隣同士の片岩が、違う色をしているというのは、何を意味しているのでしょうか。変成岩の形成条件としては、数センチメートルほどしか離れていないので、温度や圧力などの物理的条件は、ほとんど変わらなかったはずです。違っていたのは、化学的条件だと考えられます。
 化学的条件の違いとは、化学成分の違いを意味します。変成岩になる前の岩石の種類が違っていたということです。でも、そんなことがあるのでしょうか。実は、よくあることなのです。例えば、地層では、薄い層が重なっていることがよくあります。砂岩から泥岩まで堆積岩が変化したり、堆積岩に火山灰が繰り返し挟まっていることもあります。このような地層のことを互層(ごそう)といいます。互層では、構成物の変化が、繰り返しが起こっているのです。それは、化学成分の変化の繰り返し、ともいえるのです。片岩の色の違いは、原岩の互層を反映していたのです。
 緑色片岩の原岩は、玄武岩質の火山砕屑岩です。青色片岩の原岩は、緑色片岩と同じ玄武岩質の火山砕屑岩ですが、変成条件の違うものです。黒色片岩の原岩は有機物などのたくさん含んでいる泥岩、白色片岩は石英や長石の多い砂岩やチャート、赤色片岩はマンガンの多い特殊な堆積岩からできています。
 変成岩として、もとの岩石とはまったく違った見かけとなったとしても、氏素性は隠せないのです。原岩の化学組成は、変成岩に忠実に反映されています。さらに縞模様(互層)のようは原岩のつくりも残っているのです。
 変成作用の影響も、変成岩には色濃く刻まれます。変成岩は、地下深くで圧しつぶされ、熱せられて変化したものです。片岩には、チリメンの模様のように、くしゃくしゃに曲がることもあります。あるいは地図でみなければわからないほど大規模に曲がったり(褶曲)、切れている(断層)こともあります。
 チリメン模様や、褶曲、断層の方向は、その変成岩が受けた力(応力(おうりょく)といいます)と、岩石の物理的性質(物性(ぶっせい)といいます)によって決まります。ですから、変成岩に残された褶曲や断層の痕跡を丹念に調べると、変成岩が形成されたときの応力のかかりぐあい(応力場といいます)や、応力の時間変化などが読み解けます。
 緑色片岩の緑という色と、片岩というつくりには、原岩の履歴と、変成作用の履歴が深く刻まれているのです。変成岩とは、過去の多くの事柄を背負った岩石なのです。

2002年2月28日木曜日

3_25 変成岩

 変成岩とは、ある岩石(岩石あればなんでもいい)が、固体のまま、別の岩石に、変わったものです。変成岩には、多様な履歴が刻まれています。変成岩の履歴を読み取ること、すなわちそれは変成岩を含む周辺の大地、あるいは広く地球の地質学的歴史を読み取りことに他なりません。


 変成岩として、どうしても満たすべき条件が2つあります。それは、もとの岩石(原岩(げんがん)といいます)から「変わっている」ということと、固体のままの変化であるということ、の2つです。
 もとの岩石から「変わっている」という条件は、当たり前すぎて、なくてもいいという気がするかもしれません。でも、「変わる」という判定をどうするかということは、実は結構難しいことなのです。「
 原岩から変成岩に「変わ」らせることを、変成作用といいます。この変成作用が弱い場合には、判定が難しくなります。「もとのまま」と「変わっている」の間、あるいは境界をどこにするかということにつては、曖昧になる領域があります。そのような境界領域の弱い変成作用では、原岩の性質と変成作用でできた性質が混在します。境界領域で、原岩の性質を中心にするとき変質作用といい、原岩が堆積岩の場合は、続成(ぞくせい)作用ということがあります。
 例を挙げましょう。
 火成作用を研究する人には、原岩が火成岩であれば、火成岩として研究します。変質作用や弱い変成作用を受けていても、火成岩としての性質が読み取れる限り、火成岩の名前を付けることができます。その場合は、「変」という接頭語をつけて用います。変玄武岩、変斑れい岩などのように、火成岩の名前を付け、なんとか火成作用の履歴を読み取ろうとします。
 一方、変成作用を研究する人は、程度が低くても変成作用としての痕跡があれば、変成岩としての名前を付けて、研究します。火成岩としての性質をどんなに色濃く残していても、変成作用によって形成された鉱物があれば、それを材料に研究することができます。
 つまり、同一の岩石に関して、全く違った岩石名をつけることになります。このような混同は、生物の記載ではありえないことです。岩石の世界では、一番大きな分類である火成岩と変成岩の判定が曖昧なのです。それも、極ありふれた岩石においてです。生物で、皆が目にするイヌやネコが、動物という研究者と植物だという研究者がいるようなことになる訳です。でも、地質学の世界では、どちらも間違いではないのです。
 次に、固体のまま変化することについてです。変成作用とは、いくつかあるいは一つの鉱物が固体のまま化学反応して(固相反応といいます)、別のいくつかあるいは一つの鉱物に変わることです。原理的には、変成作用は固相反応として熱力学的に記述することが可能です。
 でも、天然の場合には、別の鉱物に変わるとき、流体が自由に出入りすることがよく起こります。流体とは、H2Oを主としてます。その他にH2Oに溶け込んでいる成分として、CO2やSO2、H2Sなどを含みます。液体といわずに流体というのは、高温高圧の条件では、液体と気体の境界が不明瞭となり、両者の共通の性質を持った相として流体という言い方をします。実は、この流体の中には鉱物の主要成分であるSiO2(珪酸)なども含むことがあり、天然の岩石の場合では、固相反応の式通りになってないことも多いのです。
 固相反応も、強い変成作用(高温もしくは高圧、あるいは両方の条件)になっていっくと、溶け始めます。つまり、マグマが形成されることになるわけです。定義上は、高度変成岩で固相反応が終わるところ、あるいはマグマの形成が始まるところ、そこが変成岩と火成岩の境界となるはです。でも、その境界も、弱い変成作用の場合と同じで、不明瞭になっていきます。なぜなら、変成岩の中にマグマが少量混じった状態であることが良く見られるからです。このような岩石は、ミグマタイト(migmatite、混成岩)と呼ばれます。ここも、火成作用と変成作用の研究者が入り混じっている境界領域となります。
 変成岩は、固相反応である限り、熱力学的に、物理化学条件を変数とした方程式として解くことができます。ですから、いくつかの限定条件は付くかも知れませんが、何らかの物理化学的条件を読み取ることができるはずです。
 地質学では、温度と圧力が重要となります。それは、変成岩によって地下のどのような環境(温度かた推定)で、そのような深さ(圧力から読み取る)で形成されたかが、厳密に(定量的に)決定できるからです。マグマは移動しますので、マグマがどのような場所でできたかを直接求めることは不可能です。しかし、変成岩の場合は、ある変成作用がどんな物理化学的条件で起こったかを、直接的に読み取ることができます。そして、その情報を集積すれば、変動の激しい大地の履歴が、定量的に読み取ることが可能なのです。

3_25 変成岩

 変成岩とは、ある岩石(岩石あればなんでもいい)が、固体のまま、別の岩石に、変わったものです。変成岩には、多様な履歴が刻まれています。変成岩の履歴を読み取ること、すなわちそれは変成岩を含む周辺の大地、あるいは広く地球の地質学的歴史を読み取りことに他なりません。


 変成岩として、どうしても満たすべき条件が2つあります。それは、もとの岩石(原岩(げんがん)といいます)から「変わっている」ということと、固体のままの変化であるということ、の2つです。
 もとの岩石から「変わっている」という条件は、当たり前すぎて、なくてもいいという気がするかもしれません。でも、「変わる」という判定をどうするかということは、実は結構難しいことなのです。「
 原岩から変成岩に「変わ」らせることを、変成作用といいます。この変成作用が弱い場合には、判定が難しくなります。「もとのまま」と「変わっている」の間、あるいは境界をどこにするかということにつては、曖昧になる領域があります。そのような境界領域の弱い変成作用では、原岩の性質と変成作用でできた性質が混在します。境界領域で、原岩の性質を中心にするとき変質作用といい、原岩が堆積岩の場合は、続成(ぞくせい)作用ということがあります。
 例を挙げましょう。
 火成作用を研究する人には、原岩が火成岩であれば、火成岩として研究します。変質作用や弱い変成作用を受けていても、火成岩としての性質が読み取れる限り、火成岩の名前を付けることができます。その場合は、「変」という接頭語をつけて用います。変玄武岩、変斑れい岩などのように、火成岩の名前を付け、なんとか火成作用の履歴を読み取ろうとします。
 一方、変成作用を研究する人は、程度が低くても変成作用としての痕跡があれば、変成岩としての名前を付けて、研究します。火成岩としての性質をどんなに色濃く残していても、変成作用によって形成された鉱物があれば、それを材料に研究することができます。
 つまり、同一の岩石に関して、全く違った岩石名をつけることになります。このような混同は、生物の記載ではありえないことです。岩石の世界では、一番大きな分類である火成岩と変成岩の判定が曖昧なのです。それも、極ありふれた岩石においてです。生物で、皆が目にするイヌやネコが、動物という研究者と植物だという研究者がいるようなことになる訳です。でも、地質学の世界では、どちらも間違いではないのです。
 次に、固体のまま変化することについてです。変成作用とは、いくつかあるいは一つの鉱物が固体のまま化学反応して(固相反応といいます)、別のいくつかあるいは一つの鉱物に変わることです。原理的には、変成作用は固相反応として熱力学的に記述することが可能です。
 でも、天然の場合には、別の鉱物に変わるとき、流体が自由に出入りすることがよく起こります。流体とは、H2Oを主としてます。その他にH2Oに溶け込んでいる成分として、CO2やSO2、H2Sなどを含みます。液体といわずに流体というのは、高温高圧の条件では、液体と気体の境界が不明瞭となり、両者の共通の性質を持った相として流体という言い方をします。実は、この流体の中には鉱物の主要成分であるSiO2(珪酸)なども含むことがあり、天然の岩石の場合では、固相反応の式通りになってないことも多いのです。
 固相反応も、強い変成作用(高温もしくは高圧、あるいは両方の条件)になっていっくと、溶け始めます。つまり、マグマが形成されることになるわけです。定義上は、高度変成岩で固相反応が終わるところ、あるいはマグマの形成が始まるところ、そこが変成岩と火成岩の境界となるはです。でも、その境界も、弱い変成作用の場合と同じで、不明瞭になっていきます。なぜなら、変成岩の中にマグマが少量混じった状態であることが良く見られるからです。このような岩石は、ミグマタイト(migmatite、混成岩)と呼ばれます。ここも、火成作用と変成作用の研究者が入り混じっている境界領域となります。
 変成岩は、固相反応である限り、熱力学的に、物理化学条件を変数とした方程式として解くことができます。ですから、いくつかの限定条件は付くかも知れませんが、何らかの物理化学的条件を読み取ることができるはずです。
 地質学では、温度と圧力が重要となります。それは、変成岩によって地下のどのような環境(温度かた推定)で、そのような深さ(圧力から読み取る)で形成されたかが、厳密に(定量的に)決定できるからです。マグマは移動しますので、マグマがどのような場所でできたかを直接求めることは不可能です。しかし、変成岩の場合は、ある変成作用がどんな物理化学的条件で起こったかを、直接的に読み取ることができます。そして、その情報を集積すれば、変動の激しい大地の履歴が、定量的に読み取ることが可能なのです。

2002年2月21日木曜日

3_24 花崗岩

 日ごろ目にする石は、川原の石ころや石造りの建物、橋などの建築物が主なものかも知れれません。これらは、大地を「構成する」ものというより、大地を「構成していた」ものです。山や海岸の崖をつくっている岩石が、本当の大地を構成している岩石です。でも、私達が一番よく目にする石は、建築用の石材として、もっとも一般的な花崗岩かもしれません。今回は花崗岩をみていきます。


 前回のエッセイ(3_23 玄武岩)で、海の底を構成する岩石が、玄武岩(げんぶがん)だといいました。では、大陸を構成する岩石は、どんな岩石でしょうか。それは、花崗岩(かこうがん)という岩石です。花崗岩の特徴は、玄武岩と比べると際立ってきます。比べてみましょう。
 花崗岩は、玄武岩と比べると、マグマでできたという共通点(火成岩といいます)以外は、対照的な特徴を持つ岩石です。岩石で対照的な特徴というのは、いくつもの点で認められます。
 玄武岩は粒が細かく、花崗岩は粒が粗くなっています。玄武岩は黒っぽい岩石で、花崗岩は白っぽい岩石です。玄武岩は重く(比重が大きい)、花崗岩は軽く(比重が小さい)なっています。玄武岩の形成年代は若く、花崗岩は古くなっています。
 このような違いは、地球の起源や地球の基本的なデザインに由来するものなのです。
 粒の細かい、粗いの意味するところは、玄武岩が火山岩で、花崗岩は深成岩ということです。玄武岩はマグマが地表で急激に冷却したのに対し、花崗岩はマグマが深部でゆっくりと冷え固まったものです。
 玄武岩が黒っぽいというのは、構成する鉱物が有色のものが多く、花崗岩の白っぽいのは無色あるいは白っぽい鉱物が多いということです。有色の鉱物とは、色のついたもののことで、玄武岩をつくる鉱物では、濃い色(岩石中では黒っぽく見える)を持ちます。そして、有色鉱物は、マグネシウム(Mg、苦と表現する)と鉄(Fe)を多く含む鉱物の場合が多く、そのようなマグネシウムや鉄を多く含む鉱物は、苦鉄質(くてつしつ)鉱物といいます。
 一方、無色の鉱物とは、色のない鉱物で、一般には透明です。白っぽい鉱物は、少量含まれている成分やできた後の変質や風化によって、もともと透明な鉱物が、白っぽく見えることもあります。無色あるいは白っぽい鉱物の代表は珪酸(珪素と酸素)をたくさん含む石英や長石(アルカリ元素とアルミニウム、珪素と酸素)などです。ですから無色あるいは白っぽい鉱物とは、珪長質(けいちょうしつ)鉱物とも呼ばれます。
 鉄を多く含む鉱物は、比重が大きくなり、アルカリ元素やアルミニウムは比重が小さくなります。そのため、玄武岩のほうが比重が大きく、花崗岩が小さくなるわけです。陸地つくる岩石が花崗岩というのは、海底をつくる玄武岩より軽いから、より上にあるわけです。
 地球の基本デザインは、重たいものは下、軽いものは上です。ですから、玄武岩より花崗岩のほうが高まりをつくっているのです。海と陸の違いは、水があるかどうかの違いだけでなく、高まりを作るか、作らないかの違いなのです。本当の違いは、陸をつくる岩石(花崗岩)と海底をつくる岩石(玄武岩)の基本的特徴の違いによっています。そして、陸が高まりを形成するために、海底が相対的に低いために、低いところとして水が溜まっているのです。この定義に従えば、水のない惑星でも、海と陸の区別が可能となります。
 年代の違いは、玄武岩が海洋の中央海嶺で常につくられ、やがて海溝に戻っていくというプレートテクトニクスの作用によって数千万年程度で更新されているの対し、花崗岩は比重が小さいために、地下に潜ることなく、いったんできたら、常に大陸として、地球表層に留まります。玄武岩と花崗岩の形成年代の違いは、岩石の基本的性質(比重)と地球の基本的デザインで(プレートテクトニクス)の反映なのです。
 花崗岩という石材は、日本のものだけでなく、世界各地から輸入されたものが多くあります。花崗岩は、ありふれた、よく見かける岩石ですが、もしかするとそれは、非常に古い大陸の切れ端がまぎれてこんでいるかもしれません。そして、花崗岩達のそんな古い履歴を読み取られる日がいつかと、待っているかもしれません。

2002年2月14日木曜日

3_23 玄武岩

 地殻で一番多い岩石は、なんでしょうか。それは、玄武岩(げんぶがん)です。なぜでしょ。また、玄武岩とはどんな岩石なのでしょうか、玄武岩の素性を探っていきましょう。


 地球の表面を見たとき、私たち人類が住んでいる陸地は、地球表面の30パーセント程度にすぎません。陸以外は、7割が海なのです。海の表面は液体のH2O(水)ですので、岩石はありません。海の底にある岩石は、玄武岩と呼ばれるものです。
 海底つくる岩石は、深さによって岩石の種類が少し変わります。深くなるにつれて、玄武岩から、斑れい岩、そしてかんらん岩へと変化します。斑れい岩は、玄武岩と同じマグマが、ゆっくり冷えたためできたものです。また、かんらん岩は、地殻ではなく、マントルをつくる岩石となっています。ですから、玄武岩質の岩石が、地球表層(地殻)では、一番多いといっていいわけです。
 玄武岩とは、兵庫県の玄武洞(げんぶどう)にちなんで、1884年(明治17年)に地質学者の小藤文次郎がつけた名前です。玄武洞という名称は、中国の四神の一つで亀の霊獣、または北の神様を意味する玄武にちなんでいます。玄という字は、黒を意味するもので、玄武岩の特徴を表しています。もちろん、玄武洞をつくる岩石は、玄武岩です。
 海をつくる岩石は、玄武岩ですので、陸地をつくる岩石が、どのような比率をもとうが、地球表層で一番多い岩石は、玄武岩といえます。さて、玄武岩とは、どんな特徴を持つ岩石なのでしょうか。
 玄武岩とは、マグマが急激に固まった岩石、つまり火山岩です。玄武岩は、急激に固まったので、マグマから結晶があまりできることなく固まったものです。ですから玄武岩の大部分は、ガラス(結晶化してない物質のこと)や、急激に冷えてできた微小な結晶からできています。しかし、玄武岩が地表に向かって上昇する途中で、マグマが溜まっているところ(マグマ溜り)があります。マグマ溜りでゆっくりと冷えることによって、かんらん石や斜長石の結晶が成長することがあります。結晶混じりのマグマが、海底で噴火して、固まると、結晶混じりの玄武岩となります。大きな結晶を斑晶(はんしょう)といい、それ以外の地の部分を石基(せっき)といいます。
 海底をつくる玄武岩は、特徴があります。それは、非常に均質であるということです。一般に玄武岩という名前で呼ばれる岩石も、たくさんの種類に細分されます。でも、海底の玄武岩は、化学組成において非常に均質なのです。このように特徴的な玄武岩ですので、特別な名前を付けて呼んでいます。それは、中央海嶺玄武岩(Mid-Ocean Ridge Basalt)と呼ばれ、英語の頭文字をとって、MORB(モルブ)と呼んでいます。
 MORBも実は、厳密に見ると、若干の化学組成の多様性があります。その多様性によって、斑晶つまり最初に結晶化する鉱物が、かんらん石の場合と斜長石の場合があります。でも、このような多様性は、他の岩石の多様性に比べたら、無いに等しい程度ものです。
 陸地の一つの火山をみると、何度かの噴火による溶岩は、玄武岩から安山岩、デイサイトまで多様な岩石を噴出することが、ざらにあります。しかし、地球の7割を占める海底の玄武岩は、均質な組成を持っているのです。地球の海底が、すべてMORBという玄武岩でできているのです。非常に不思議なことです。
 MORBの均質さは、何を意味しているのでしょうか。まず、海底が中央海嶺でマグマが噴出して、それが海底を移動して、今や全海底をMORBが構成しているのです。調べるの、38億年前からMORBは存在するのです。つまり、MORBをつくる作用は、長年にわたって、多分全地球史を通じて、働いているということです。また、MORBが均質であるということは、MORBをつくるためのマグマが均質であったということです。MORBマグマが均質であったということは、マグマを形成するメカニズムが常に一定の条件で作用していたことを意味します。なおかつ、マグマを供給した物質(起源物質と呼んでいます)が、全地球的に同じであることが必要です。地球の海底では、機械のような正確さで、マグマの製造、供給、固化という作用が、長年に渡って続いているのです。
 地球は、調べれば調べるほど、多様性を見出されることが多いのですが、海底にある玄武岩に関しては、均質性の世界へと導かれました。もし、海底の玄武岩のでき方が解明されたら、地球の7割の岩石の謎が一気に解き明かされたことになるのです。そしてその謎の全容は、大分わかってきているのです。

2002年2月7日木曜日

3_22 火成岩

 火成岩とは、マグマが固まってできた岩石です。火成岩には、実にさまざまなものがあります。多様な火成岩を調べれば、火成岩がどのようにして固まったか、どのようなマグマからできたか、わかります。さらに遡れば、マグマが、どのようなもの(起源物質)から、どのような条件(温度、圧力、酸化還元状態、などの物理化学条件)でできたのかを知ることができます。火成岩は、地球深部からのメッセンジャー(使者)なのです。


 火成岩の多様性は、さまざまな条件の変化によってつくられます。その多様性ができるプロセスをいくつかみていきましょう。
 火成岩は、マグマが固まったものです。マグマが固まるには、温度が冷えればいいのですが、その冷え方によって、さまざまな岩石ができます。
 急に温度が下がれば、マグマがそのまま結晶にならずに(非晶質、ガラスという状態)、固まります。このようにしてできた岩石を、火山岩(かざんがん)といいます。
 ゆっくり冷えれば、マグマに含まれている結晶の成分が、出はじめます(晶出(しょうしゅつ)といいます)。マグマが溶岩として、地表に出る前に、マグマ溜まりで、ゆっくり冷えれば、マグマと結晶が混じったものが、でることがよくあります。このような火山岩は、大きな結晶(斑晶(はんしょう))と、ガラス質や非常に小さな結晶の部分(石基(せっき))から、できていることになります。斑晶をもつ火山岩からは、マグマ溜まりの様子を知ることができます。
 充分ゆっくり冷えれば、結晶が目で見えるほど大きいものばかりでできた岩石になります。このようにしてできた岩石は、深成岩(しんせいがん)といいます。結晶の種類(鉱物)や結晶の織りなす模様(岩石組織)から、マグマがどのような条件で固まったか知ることができます。例えば、ある結晶が別の種類の結晶に取りこまれているという関係(包有(ほうゆう)関係といいます)があるとすると、取りこまれている結晶が先に晶出したことがわかります。さらに、いくつかの鉱物の組み合わせによっては、どんな圧力、温度で晶出したかを求めることができます。
 以上は冷え方による多様性形成の例です。次に成分による多様性形成をみていきましょう。
 火山岩は、マグマの成分をそのまま保存していると考えられます。だたし、ガスの成分は、固体にならないので、岩石から抜けてしまっています。火山岩に穴がたくさんあいているのは、ガスの成分が抜けた後なのです。しかし、ガスの成分は、マグマに占める割合は少なく、固化する成分でマグマの成分を代表しても間違いではないでしょう。
 さて、火山岩の化学成分を調べれば、マグマの成分が求められます。マグマの成分がわかると、地下深部の物質がどのようなものであったか推定できます。
 例として、実験による方法を紹介しましょう。高温高圧発生装置を用いて、岩石を融かして調べる方法です。地球深部の目的とする場所の温度圧力を達成するものです。地球深部は深くなればなるほど、高温高圧となります。高温高圧発生装置は卓上に置ける小さいものからから、二階建ての長い倉庫のような大きさのものまで、さまざまものが目的に応じて使い分けられています。巨大な高温高圧発生装置でも、つくられる試料は数mm立方ほどの小さいものです。
 火山岩を高温高圧条件で、いったん融かし、その後マグマが固体になるある温度圧力にして、長い時間おいておくと、その温度圧力条件で一番安定した結晶(平衡(へいこう)といいます)に変わります。さまざまな条件で実験していきますと、温度圧力条件、結晶組み合わせかを、別の情報から限定することができれば、そのマグマ(火山岩)がどのような物質とともにあったか(共存(きょうぞん))していたかが、判定できます。つまり、地下深部の様子が再現できるのです。
 火成岩は、地殻を構成する主要な岩石ですが、岩石に織りこまれた情報をうまく読み取ることができれば、地下深部のことが読み取れます。ここで紹介した方法は、私たちが知りえたもののほんの一部です。でも、私達には、まだまだ読む能力が足りません。もっともっとよく聞こえる耳、よく見える目があれば、石の言葉をもっと聞くことができるのですが。人類の知恵はまだまだ足りないようです。

2002年1月31日木曜日

3_21 層状チャート

 ありふれている堆積岩だけれども、その由来が少し変わったものとして、チャートを取り上げましょう。チャートとはいったどんな堆積岩でしょうか。


 チャートという岩石は、あまり聞きなれない言葉かもしれません。しかし、岩石としては、それほど珍しいものではありません。チャートは、多くの場合、薄い地層として産出します。チャートの地層は、薄いのですが、繰り返して出ることが多くあります。層が繰り返しているチャートは、層状チャートと呼ばれています。層となるためには、チャートとチャートとの間に、別種物質が挟まっているわけです。別種物質とは、厚さはまちまちの「普通の堆積物」です。「普通の堆積物」の多くは、粒の細かい堆積物で、粘土や泥が多く、時には火山灰のことがあります。
 層状チャートは、どのようなでき方をしたのでしょうか。
 チャートを詳しく見ると、まれにですが、1mm程度の丸い形のものが見えることがあります。放散虫(ほうさんちゅう)などの小さな生物の化石です。放散虫は、古い時代(カンブリア紀)から現在(地質学では現世(げんせい)といいます)まで生きている海の微生物です。チャートは、海面付近に住んでいる放散虫などの微生物が死んで、その死骸が沈んで、海底に溜まったものです。
 深海底では、このような微生物が今も溜まっているのです。潜水艇が深く潜った時の映像をご覧になった方も多いと思いますが、そのとき潜水艇のライトに照らされて、雪のように降っているものが、微生物の死骸なのです。まるで雪のようなので、マリンスノーと呼ばれています。
 微生物が、いくら降ってきても、例えば1年間で積もる量は、それほどたいしたことはありません。まして、岩石のように固く詰まったものになると、その厚さは微々たるものです。しかし、地球は、生物には考えれないほど、長い時間をかけてものごとを成します。長い年月をかければ、1年1年の厚さが微々たるものでも、それなりの厚さになります。まさに、「チリも積もれば、地層になる」です。
 チャートが薄い層で産出するといった理由が、これで納得いただけるでしょうか。でも、チャートとチャートの間に挟まれた薄い粘土や火山灰の層は、チャートができるような深海底に、どこから、どうしてもたらされたのでしょうか。
 まず、「普通の堆積岩」は、陸から川の流れによって海に運ばれます。それが、礫岩や砂岩などのでき方です。もちろん、泥岩もその一部として形成されます。しかし、遠洋のチャートが溜まるような場所までくる「普通の堆積物」は、普通にはありません。めったにないことなのです。想像を絶する大洪水などの天変地異と呼んでもいいような土石流によって、ものが海に流れ込んだ時、いつもは行かないところまで「普通の堆積物」が運ばれることがあります。火山灰でも同じような事情で、何百年、何千年に一度の大噴火が起こったとき、普段はいかな所まで、火山灰がもたらされることがあります。これもやはり天変地異というべきものです。
 このような度重なる天変地異が、層状チャートをつくったのです。
 層状チャートの存在は、人類の常識の限界を教えてくれます。何百年、数千年に一度の天変地異は、人類にとっては天変地異ですが、地球の時間スケール(地質学的タイムスケール)でみると、繰り返し起こっているサイクルの中の一つであることがわかります。層状チャートが、古くから新しいものまであることから、「天変地異」は、地球では「普通の堆積物」をつくる営みの一つに過ぎないのです。

2002年1月30日水曜日

1_23 火星起源隕石(その2)(2002年1月30日)

 SNCと呼ばれるグループの隕石は、火星が起源とされています。そんなSNCのなかでも、ALH84001は、とびっきり変り種です。そんな変り種から、とんでもないものが発見されました。そんなとんでもないものを、紹介しましょう。

 ALH84001という隕石は、南極のアラン・ヒルズ(Allan Hills)というところから、1984年に発見された隕石です。名前のALHは場所をあらわし、84は1984年をあらわし、それ以下の3桁の数字は、見つかった順番をあらわしています。ALH84001は、ほとんど斜方輝石だけ(90%以上)からできている隕石でした。ですから、その他のSNCとも、まったく違っていました。あまりに変わった隕石だったので、火星から来たと決定されたのは、発見されてから10年近くたった、1993年のことでした。
 このALH84001は、変わっているのは、それだけではありません。1996年にアメリカの科学雑誌「Science」に、NASAのMcKayらが、ALH84001から、化石を発見したと報告したのです。権威ある科学雑誌に載った報告だったので、大騒ぎになりました。
 かつて、地球以外で生物いるとしたら火星に違いないと、火星に無人探査機を2ヶ所におろして、調べられたことがありました。1976年7月20日にヴァイキング1号の探査艇がクリセ平原に着陸し、1976年9月3日にヴァイキング2号の探査艇がユートピア平原に着陸し、生命の有無を調べる実験をしました。
 その結果は、生物はいないというものでした。ですから、火星には生物がいないという先入観を、多くの研究者がもっていました。
 ところが、化石とはいえ、地球以外に生命がいたという報告があったのです。もしこれが本当なら、地球外生命の存在、あるいは地球外知的生命の存在など、今まで眉唾的に扱われていたことが、一気に真実味を帯びてくることになります。さらに、もしかしたら、火星起源に隕石に乗って、地球に生命が来た可能性だってあります。つまり、地球生命の本家は、火星生物で、地球生命は分家だという可能性だってでてくるのです。
 科学雑誌ですから、厳密な審査の上、掲載されています。真実かどうかわかりませんが、ある論拠、論理が成立しているということです。つまり、科学的に根拠、つまり証拠があると認定されたということです。当然、多くの分野の研究者を巻き込んで、論争が起こりました。
 その根拠は、なんと言っても、「化石」の形態です。写真として、新聞雑誌をにぎわしました。見て、記憶されている方もおられるかもしれません。最先端の科学技術をつかって、微細な部分の化学分析をして、それが証拠としてつけられています。その分析の結果、生物から由来したらしき化合物の破片、生物がつくったような粒や鉱物などがみつかっています。
 この論文に対して、多くの反論が出されました。いちばんの根拠である形ですが、その大きさが問題でした。その形は、イモムシのような形をしていて、生物らしく見えました。その大きさは、じつは、地球生命の最小の生物でも、そこにはDNAが入れられないほど、小さいものでした。また、他の根拠も生物が関与しなくても、つまり無機的、化学的形成されることがわかり、生物の根拠となりえないとされました。
 今のところ、反対の研究者の方が多くは、否定的であります。しかし、これは、多数決で決まることではありません。ですから、いるか、いないかを決着をみるには、さらなる火星探査が必要です。この結論は、すべての科学者が認めていることです。

・訳ありの事情・
火星生物の発見の報告には、いろいろ「訳ありの事情」があるようです。
まず、論文は、8月16日の発売の雑誌だったのですが、
その雑誌が発行される前に、NASAの長官がプレス発表しました。
筆頭の著者が、NASAの研究者でもあり、
全部で9名の連名の論文ですが、内3名はNASAの研究者でした。
内容があまにりのセンセーションナルなこともあったのでしょう。
また、その直後の8月7日のアメリカ大統領再選中のクリントンが
この件について発言したので、マスコミはますます大きく取り扱いました。
でも、NASAとして、予算確保の布石という見方が多いようです。
審査自体は、4月5日に投稿され、7月16日掲載が決定されています。
本当かどうかわかりませんが
この論文は、投稿までかなり時間がかかったということです。
慎重をきするためと、発表時期をうかがっていたという、うわさもあります。
それは、大統領の惑星探査などの科学技術への投資を
大統領選のアピールの一つにするために、
公表の時期がこの頃になったという噂です。
その年の秋には、マースパスファインダーが火星に向かって飛び立っています。
そして、生命は発見できませんでしたが、
多くの注目を浴びる中、安上がりで、効果のある調査ができることを
マースパスファインダーは示しました。
もちろん科学的成果も多く出しました。

・火星起源隕石の数・
前回のメールマガジンで、画像のあるサイトを紹介しませんでした。
http://cass.jsc.nasa.gov/lpi/meteorites/s9612609.gif
にありますので、興味ある方は、覗いてみてください。
前回のマガジンを出したあと、火星起源隕石の数を調べたところ、
現在、38個になっています。
火星起源隕石の詳しい情報は、
http://www-curator.jsc.nasa.gov/curator/antmet/mmc/mmc.htm
にあります。
前回、1999年末で14個あるとしていたのですが、
一気に増加しています。
それは、南極から3個、アメリカ合衆国の砂漠から2個、
そのほかは、すべてアフリカのサハラ砂漠から見つかったものです。
新しく加わったSNCは、
20個がシャーゴッタイトで、4個がナクライトでした。

エイコンドライトは、普通の地面に落ちていると、
地球の岩石と似ているため、
見分けにくく、隕石とわかりません。
でも、砂漠の砂しかないところだと
すぐに隕石とわかります。
ですから、エイコンドライトもたくさん見つかるのでしょう。

・ささやかな一言・
前回から、家族の話題が出ています。
先日、久しぶりに通勤の経路を公園沿い道をとりました。
私は、6時過ぎの自宅を出ますので、
少し前はまだ真っ暗でした。
しかし、先日は、だいぶ明るくなってきていました。
日の出が早くなってきているのです。
季節は、確実に移ろうのです。
人の気持ち、出来事、事情などは、時の移ろいに比べれば、
不確実で、それこそ、移ろいやすいものです。
でも、そんな移ろいやすい人の生活で、確実に、心に刻まれるものも、
実は、心や言葉という限りなく、移ろいやすいものだと感じました。

記憶に刻まれることが、一つ増えたのです。
長男が、寝る前にトイレに行くのに、付き合ったとき、一言いいました。
「お父さん、今日の水族館、面白かったね。」
実は、その日、長男の5歳の誕生日だったので、水族館に家族で行ったのです。
一日の苦労が、そして何ヶ月も苦労が、この一言で、報われた気になりました。
家内も、時々、長男が発する「おかあさんのご飯は、おいしいね」と、
次男の「おいちぃーい」という言葉に、ほろりとしてます。
ささやかな一言に過ぎないのに。

2002年1月24日木曜日

3_20 石灰岩

 堆積岩とは、主には土砂が、陸地から川の作用によって流れ込み、海底に溜まったものです。でも、これがすべての堆積岩のでき方ではありません。今回は、堆積岩でも少し変わったでき方のものを紹介しましょう。


 堆積岩の変り種といってもいろいろありますが、よく見られる岩石にしましょう。それは石灰岩です。誰もが一度は耳にし、目にしたことがあるはずです。そんなありふれた石灰岩ですが、そのでき方は、普通の堆積岩とは少し違っています。
 石灰岩は「産出しない都道府県はない」といわれるほど、ありふれた岩石です。ただし、その規模はさまざまです。四国のカルスト台地や山口の多数の鍾乳洞をもつ秋吉台のような大きなものから、数cm程度の厚さの地層まで、さまざまです。あるいは、海外に目を向けると、中国の石林や桂林など、宇宙から見ても損害が確認できるほどの巨大な石灰岩があります。
 石灰岩は、大部分が方解石という鉱物からできています。方解石は、炭酸カルシウム(CaCO3)という化合物です。小学校の理科の時間に実験をやったと思いますが、方解石に塩酸をかけると二酸化炭素(CO2)がたくさん発生します。かけるものは塩酸でなくても、酸であれば何でもかまいません。台所にある酢(酢酸)でも、ゆっくりとですが、二酸化炭素を発生します。
 石灰岩はよく見ると、化石が見えることがあります。その化石は、サンゴ虫であったり、その他の微生物の破片であったりします。化石は、石灰岩を割った面より、風雨にさらされて風化を受けた面に、よく見えます。それは、雨に含まれる炭酸によって、石灰岩がゆっくりと溶けていくためです。ですから、石材として石灰岩は、建物内部に使うことはあっても、雨の当たる外部に使うことはあまりありません。
 石灰岩の化石の種類を見ていきますと、サンゴ礁をつくっている生物の殻が、その主要なものとなっています。石灰岩によっては、そのような化石の「つくり」が熱や圧力によって方解石に再結晶してしまって、消されていることがよくあります。でも、もともとはサンゴ礁をつくっていた岩石が石灰岩となっているのです。
 サンゴ礁は、今も昔も、暖かい海(熱帯や亜熱帯)でできるものです。それが、現在、温帯にある日本の地層から産します。ではなぜ、暖かい海でできる石灰岩が日本列島にあるのでしょうにあった。その説明として、地球全体が今より暖かかったか、日本列島全体が今より南の暖かい熱帯地方にあったか、日本列島は今の位置にあったが石灰岩だけが南から来たとか、などという可能性が考えられます。日本列島は今の位置にあったが石灰岩だけが南から来た、と考えられています。それは、日本列島はかつてはユーラシア大陸にくっついていた(昔は日本海はなかった)こと、他の地層には寒いところにいた化石がある、石灰岩を含む地層は日本列島にのし上げてられている、などの地質学の多くの証拠から確かめられています。つまり、石灰岩は、南から移動してにて、日本列島にくっついたということになります。
 南の海でできた石灰岩が、日本列島の地層の至るところに含まれてといるということは、日本列島は、常に南の海で溜まった岩石が移動して、のし上げられるような「場」にあったということを物語ります。
 そのような作用を起こしたのが、プレートテクトニクスと呼ばれるものです。日本列島の地層は、南の海から集められた地層が、火山や断層によって乱され、さらに地下深部ではマグマが活動して、変成岩をつくったりされるような「場」なのです。まるで、寄木細工の模様のように、複雑ですが、地質学者から見ればきれいな模様をつくっているのです。