2001年8月23日木曜日

4_13 カンブリアの怪物達

 カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州の東部にヨーホー(Yoho)国立公園があります。ここは、地質学者にはその名を知られたバージェス動物化石群の産地があるところです。その化石の産地は、世界遺産にも指定されているところで、ガイド付きのツアーでないと見ることができません。そのツアーに参加しましたので紹介します。


 ツアーの当日、低く雲がかかっていました。念願の地を見るには、あまり好ましい天気ではありません。しかし、今回のカナダの旅の主目的は、このツアーに参加することでもあったのです。そのツアーは、カナディアン・ロッキー山脈のヨーホー国立公園の中にある、バージェス頁岩を見るツアーです。
 バージェス頁岩は、ヨーホー国立公園の中心地のフィールド(Field)という小さな村から出かけます。この村は、それまでカナダ横断鉄道の駅があるだけの小さな村だったのですが、バージェス頁岩が有名になったので、それと共に、この村も有名になりました。
 バージェス頁岩は、カンブリア紀の初期(5億1500万年前)の化石を多数含むことで有名です。現在は、ヨーホ-国立公園には内には、2ヶ所、世界遺産に指定された地域があります。一つはバージェス動物化石群の産地と、もう一つは三葉虫の化石を多数含む地層のあるところです。両方とも15名が上限のツアーでしか、入ることができません。
 バージェス頁岩の露頭のツアーは、8時に集合して、車で15分ほどのところから、歩いていきます。約10キロメートルほどの行程ですが、標高差700メートル、時間にして約10時間かかるツアーです。実際には健康な人が歩けば10時間ですが、私たちのツアーでは、11時間かかりました。年配の人は、12時間くらいかかっているのではないでしょうか。帰りは、自分の体力に合わせて自由でしたので、最後に降りた人の時間はわかりませんでした。
 なぜこんなに苦労までして行くかというと、バージェス動物化石群が非常に貴重で珍しい化石だからです。カンブリア紀の海生動物が120種も含まれています。バージェス動物化石群には、現在の動物のすべての祖先が含まれているのです。オーストラリアのエディアカラ、中国の澄江に続く時代の化石で、カンブリア紀の初期に多様な生物が一気に進化したと考えられています。それを「カンブリアの生物の大爆発」と呼んでいます。
 午後2時ころ、標高2280メートルにあるウォルコットの石切り場(Walcott's Quarry)というところに着きました。ウォルコットはバージェス動物化石群の発見者です。そこでやっと昼食です。そこはあまりに小さい露頭でした。絶壁にへばりつくようにある、幅数メートル、長さ10メートルもないような石切場でした。こんな小さな露頭が世界的に有名で、世界遺産にまで指定されているのです。
 こんな小さな狭いガケですが、1909年にスミソニアン研究所のウォルコットが発見して以来、何度も発掘調査が行われています。1910年から1913年にかけてと、1917年にウォルコットは5シーズンをかけて、この地の発掘をし、65,000個の標本を採集しています。1930年には、ハーバード大学のレイモンド(P. Raymond)が2週間かけてウォルコットの石切り場と12メートル上の第2の産地を発掘しました。1966年から1969年かけてカナダ地質調査所が2ヶ所の石切場で発掘をおこないました。続いて、1975年に王立オンタリオ博物館のコリンズ(P. Collins)が、偶然化石のたくさん入っている転石を見つけたことによって、1981年から1982年にかけて、2ヶ所の新しい化石産地が少し上で見つりました。1988年から1995年にかけて王立オンタリオ博物館は、6度に渡って発掘調査をおこないました。
 バージェスの化石は、現在も研究中です。重要なのは大きさや広さではなく、化石の量と種類です。私たちが行っても、石の割れた面に変わった化石を一杯見つかります。多くは破片ですが、変わった化石であるということは、化石の専門家でない私でも分かります。その最たるものがアノマノカリスと呼ばれる怪物のような生き物です。今からは想像もつかない、奇妙でまさに怪物と呼ぶべき生き物達が見つかっています。
 翌日、もう一つの三葉虫化石が大量にでるステファン山へのツアーに行きました。こちらも大変くたびれるツアーで、800メートルの標高差を、2時半くらいで一気に登っていくものです。その露頭もたいして大きないのですが、三葉虫化石が、まさにざくざく出ます。非常に保存もよく、石の割れ目にはすべてといってほど三葉虫の化石が含まれています。時々、アノマノカリスの化石も見つかります。
 両ツアーともガイドは、古生物や地質を専門としている大学院生がおこなっています。自分の専門を活かしながら、ボランティアとアルバイトとしてやっているようです。このような国立公園での活動における欧米の人材の多さ、システムの有効さには感心させられます。まさに自然史に対する欧米の底力が、このようなところに現れているようです。