2001年4月5日木曜日

6_5 人類と知恵と

 長期持続できる文明社会への道は険しいかもしれません。しかし、多くの人類が知恵を出し合えば、人類の生き残りへの道筋か拓けるかも知れません。多くの場で、地球や自然について考えることが、大切ではないでしょうか。

 二酸化炭素の放出を削減したり、フロンを使わなくしたり、人類は地球環境を守るために、さまざまな努力をしています。その結果が現れるのは、少し先かもしれません。しかし、何もせず終焉を迎えるよりは、少しでも長生きをする道を選ぶべきです。
 今まで、地球上に存在した生物のすべて種には、寿命があることがわかっています。したがって、人類という種も、遅かれ早かれ滅びるはずです。その「滅び」が利潤追求のために早まることは大いにあることだと思います。
 例えば、二酸化炭素の放出削減は、本当に地球にあるい人類にとって必要な方策なのでしょうか。現在文明を守るためには必要な措置かもしれません。丸山茂徳氏は、科学雑誌「サイアス」で、「現在、地球は寒冷化に向かっている。だから、頑張って二酸化炭素を出さないと長い目で見れば地球の生物全体が、やがては人類が困る」というような内容を述べられてました。人類という種を考えると、文明は滅びても、種を守るためには、寒冷化への対策のほうが大切なのかもしれません。地球を相手にして、地球のタイムスケールで考えている丸山氏の発言には、同業者として共感できるところがあります。
 私たちは人類です。ですから人類の視点で、地球や生命を見ています。その人類であるという視点をはずすと、別の見方ができることを丸山氏は指摘したかったのだと思います。
 「地球環境を守る」ことや「絶滅生物を保護する」こと、どれも大切なことです。しかし、私たちは、清潔な生活環境を維持しようと日々努力しています。その清潔な環境とは、微生物(雑菌と呼ばれます)のいない環境を目指しているのです。そこには、当然ながら殺戮があります。ウイルス性の病気を予防したり、治療するために、ウイルスという生き物を殺戮しているわけです。極端な例ですが、人類中心では見方をすればそうなります。
 「地球環境を守る」ことや「絶滅生物を保護する」というお題目を唱えるときに、そこには人類のエゴイズムが入っていることを自覚するべきです。一つの視点で見ることの怖さを、ここに垣間見ることができます。いろいろな視点があることを理解していく必要があると思います。
 この「地球のささやき」の各所で、いろいろ社会批判めいたことを述べてきました。しかし、このようなことを考えること自体が、人類としての営みがなせる技なのだと思います。考えることができる人類は非常にすばらしいことだと思います。考えなければ、自分自身が滅亡に向かっていることすら気付かずに、絶滅への道を歩むかもしれません。自分自身の将来を予測し危険があれば回避できるということは、非常にすばらしいことです。人類以外の生物は、予測もしないし、自分自身の生き方を変えることもありません。やがて滅びるはずの人類の最後の足掻きかもしれません。しかし、一世代で終わるのが、数百、数千、数万世代経た後の滅びとは、大きな違いがあるかもしれません。現在の人類が滅びても、中生代の恐竜のように、多様な種を擁する新人類の時代が訪れるかもしれません。滅びれば、そのような夢もすら見れません。