2017年6月22日木曜日

6_143 LIGO 1:幸運な観測?

 大ニュースであっても時間が過ぎると、後続のニュースは流れてこなくなります。一部の専門家だけで情報が共有されているだけとなります。情報は公開されていても、ニュースにはなりません。今回は、そんな人目に触れにくい話題です。

 LIGOという名前を聞いたことがあるでしょうか。子ども遊ぶブロックのLEGOではありません。LIGOはライゴと読みます。Laser Interferometer Gravitational-Wave Observatoryの頭文字を取ったもので、「レーザー干渉計重力波観測装置」です。重力波を観測する装置で、本エッセイでも「重力波の観測」として5回のシリーズで紹介したことがありました。
 少々ややこしい話なので、まずはちょっと復習をしておきましょう。
 重力波とは、1916年にアインシュタインが一般相対性理論で予言したものです。時空に生じたゆがみが、波動として光速で伝わっていくものです。時空とは重力場を意味しますので、ゆがみが起これば重力波が発生します。重力場がゆがむことは常に起こっているのですが、それは非常に微小な現象にしかなりません。重力波を検出するためには、大きな重力のゆらぎを起こす現象が必要になります。さらに、微細なゆらぎを検出できる、非常に敏感な装置が必要になります。大きな現象と敏感な装置の2つがそろって、はじめて重力波が観測可能になります。
 そのような現象として、ブラックホール、中性子星、白色矮星などの密度が大きく、サイズの小さい天体が連星となっている場合、それらが合体する場合、また超新星爆発で大きな重力波が発生する場合などが考えられています。そのような現象でも、変動は非常に小さく、10^-21というスケールのものです。検出するには、感度が非常に高くなければなりません。
 LIGOは、2005年から2010年まで観測しましたが、検出能力が足りなく失敗に終わりました。装置を改良し2015年から観測が再開されたところ、わずか2日目に、重力波をキャッチしました。その現象は、2つのブラックホールの合体で発生した重力波でした。2つのブラックホールが、ぶつかる時の相対速度は、光速度の半分以上にまで達していました。ブラックホールは、太陽質量の29個分と36個が合体して、62個分になりました。太陽質量の3個分が、重力波として放出されたと考えられました。
 このように重力波が検出できるような現象は、数百年に一度くらいの頻度で起こるものだと考えられていました。そんな稀な現象が、観測早々に発見できたのは幸運でした。さらに、これから重力波天文学が花開くのではないかということも紹介しました。
 今回のシリーズは、LIGOの意義を再度考え、その後の活動と最新情報を紹介していきます。

・視覚の拡張・
最近の研究成果には、
人が直接見ることも感じることができないような
領域のものが多くなってきた気がします。
まあ、考えてみれば当然かもしれません。
それが科学や技術の進歩だからです。
見ることに関していえば、
目で見えるもの(波長)と比べて
検出できる範囲は何桁も広がりました。
肉眼では見れなくても、
見えるようにする技術(デジタル処理)も進んでいます。
また、遠くのものも検出したり(望遠鏡)、
行けるところはいってみること(探査機)も
できるようになりました。
それより、それを理解するための想像力が
追いつけるかどうかの方が、問題かもしれません。

・初夏の風物詩・
わが町では、ヒバリからエゾハルゼミ、
そしてカッコウの鳴き声と鳴き声が変わってきました。
早朝のカッコウの声は、
初夏を感じさせるものです。
北海道では、もう寒く感じる日はなくなりました。
まあ、乾燥しているので、
風があると涼しく感じることもありますが。
あれよあれよという間に、時間は過ぎていきます。
この間、YOSAKOIがあったと思ったら、
もう6月の下旬になっています。
時の過ぎるのは早いですね。

2017年6月15日木曜日

6_142 女性研究者の比率

 今回は、少々、趣の違ったエッセイとなります。女性の社会進出についてです。日本での女性の社会進出が促されてきましたが、研究の世界では、どなっているでしょうか。そしてその原因は?

 女性と男性は、性差があり肉体的には明らかに違いがあるので、社会や家庭の役割の違いはあることでしょう。しかし、先進国では、個人の個性、志向、嗜好、信条など多様性を認めていく社会を目指す方向に進んでいます。一方、女性と男性で能力や適正の違いがない分野では、男女の果たす役割は同等であるべきでしょう。それを慣習や「社会常識」として差があるとすれば、修正する必要があるはずです。その修正を社会や組織にまかせていくとなかなか進まいことでしょう。
 日本では。アベノミクスの「成長戦略」の中で、「女性が輝く日本」がとり上げられ、女性の社会進出が重要課題の一つに挙げられました。それに関係した「女性の職業生活における活躍の推進に関する法律(女性活躍推進法)」が2015年に成立しました。組織内での女性の情報公開(見える化)が、国や地方公共団体、民間企業に義務付けられました。妊娠・出産等に関するハラスメント防止措置義務など、女性の進出を促す政策もだされました。これらいくつかの法律により、女性が個性や能力を発揮できる社会の実現のための方針がだされました。これらがどれほどの効果を持つかは不明ですが、女性の社会進出は、以前から言われていますが、具体的に政策や数値目標が示されたのが一歩前進でしょう。
 研究の世界は、どうなっているでしょうか。研究の能力に男女の差はないはずです。ですから、半々の比率になるのが、理想でしょう。ところが、大学を思い浮かべても、女性が皆無の大学はないと思いますが、女性が占めている比率は少ないように見えます。実態は、どうでしょうか。
 学術出版社のエルゼビアが、論文の著者に関して調査をしました。それによると1996年からの5年間に発表された論文で、日本での女性著者の比率は、15%でした。2011年から5年間の最新の統計では20%になりました。日本では順調に女性の進出が増えているように見えますが、その比率は、調査された12ヵ国の中では、最も低いものでした。
 最新のデータで見ると、ポルトガルとブラジルが49%、オーストラリア44%、カナダ42%、アメリカとイギリス40%、メキシコとチリ38%なっています。いずれも日本より多く、半数近くになりつつあります。それと比べて、日本の比率はかなり低いといえます。そしていずれも国でも以前の調査に比べて増えています。
 研究分野での女性進出促進政策は進められています。「第5期科学技術基本計画」では、新規採用の研究者の女性比率を、30%まで高めるという目標を掲げていますが、どうなるでしょうか。そもそも、研究者の供給源となる大学院の男女の比率が対等になる必要がります。その前の大学の学部でも対等になるべきでしょう。理系の女性比率が対等になる必要があります。そこに原因があり、対策が必要になりそうです。
 ところが、政府は、国公立大学を理系に重点をおき、私立大学に文系をまかせるという考えを見せています。研究者養成である大学の属性に、差をつけようとしているのです。そうなると、養成される研究者の属性が、イビツな比率になっていくのではないでしょうか。研究者のピラミッド全体が、男女の比率で適切になるべきではないでしょうか。どうも政府のやり方に、一貫性が見えないようですね。

・夏へ・
6月も半ばになりました。
北海道も夏が深まっています。
快晴のときは、本当に心地よいですが、
朝夕は冷え込みがあります。
雨の日は、まだ肌寒く感じる日もあります。
季節は着実に夏に向かっています。
北海道の初夏の風物詩になった
5日間に渡るYOSAKOIも先週、終わりました。
いよいよ夏に向かっていきます。

・原因の連鎖・
我が学科では、男女比は日本の平均となり、
多くもなく少なくもなくですが、
半分にはなっていません。
大学全体では、女性比率はもっと少くなくなっています。
多分、多くの大学、研究所の組織で
女性のかなり低い比率をもっていることだと思います。
大学の教員の採用時、性別をつけることなく
業績や実績にて審査がおこなわれます。
大学の女性比率を考えて、性差をつけると、
そこに差別がはいることになります。
ですから、応募者の比率が半々になっているべきでしょう。
そのためには、研究者養成や大学で男女比が
半々になっていくべきでしょう。
どこまで原因の連鎖が続くのでしょうかね。

2017年6月8日木曜日

4_141 山陰の旅 5:城崎裁判

 今回、城崎を訪れた目的は、地質とは全く関係がありませんでした。実は、私が興味をもっている作家の作品が、この地にありました。いつもの地質の旅とは違ったエッセイとなりますが、一興となれば。

 城崎は、兵庫県豊岡市にあり、平安時代から知られている有名な温泉です。日本海に流れ込む円山川の支流、大谿川(おおたにがわ)沿いに温泉街ができています。風情のある橋が渡された大谿川の両側には柳などの並木があり、そこに落ち着いた温泉街ができています。狭い地域ですが、昔懐かしい建物から、現在風のものまで、新旧の混在した町並みになっており、日常とは違った情緒を生み出しています。そんな城崎に少し立ち寄りました。
 城崎には、以前にも来たことがあるのですが、温泉には入りませんでした。今回、城崎に来たのは、別の目的地(玄武洞)に向かう途中の通り道で、地質を見るためでもありません。そして温泉に入るためでもありませんでした。まったくの趣味のためでした。
 城崎は、京都から程遠くからず、かといって都の風はないところなのでしょうか、古くから文人墨客も多く訪れるところでした。有名なところでは、志賀直哉の「城の崎にて」があるでしょうか。志賀は、山手線の電車にはね飛ばされ、そのときに負った傷の療養のため、1913年に城崎温泉に滞在しました。その体験をもとにして、一匹の蜂の死骸や、首に串が刺さった鼠、驚かすつもりで投げた石がイモリを死なせてしまったり、生と死が溢れた作品になっています。
 私が以前来たのは、志賀の小説の舞台になっていたので、どんなところかを見たかったためでした。その時も別の地質調査地に向かう途中に寄ったものでした。
 今回、城崎に来たのは、別の小説のためでした。私が好きな作家に、万城目 学(まきめ まなぶ)氏がいます。寡作の作家なのですが、小説はおもしろいものが多く、作品が出れば読んでいました。万城目氏の本を城崎にて、入手することが目的でした。
 万城目氏に温泉街を舞台とする小説書いてもらう依頼をしました。万城目氏は、志賀から100年目の2013年の冬と2014年の初夏、2回に渡って城崎に滞在して、出来上がった作品が「城崎裁判」でした。
 この小説には、いくつか面白い工夫がなされています。これは短編の薄い本ですが、作りが凝っています。ブックカバーがタオルでできています。そのため私は最初本とは思えませんでした。本体は水に濡れても大丈夫なストーンペーパーからできています。温泉に入って読んでくださいとばかりの工夫です。さらにこの本は、城崎でしか販売していないのです。城崎に来なければ入手できません。私は本が欲しいので、城崎に来たのです。おもしろい工夫に、やられてしまった一人となりました。
 この「城崎裁判」は、志賀の「城の崎にて」を前提とした作品です。幻想と現実の狭間の奇譚で、万城目ワールドになっています。内容は買った人だけの楽しみとしましょう。もし、城崎にお立ち寄り際は、温泉と一緒にこの小説も一緒に楽しむ手もあります。

・城崎文芸館・
私が「城崎裁判」を購入したのは、城崎文芸館でした。
温泉街から少し奥まったところにあるのですが、
近代的ですが、風情がある建物でした。
ここに来たのは、「万城目学と城崎温泉」という
企画展がなされているので、
それを見学することも目的でした。
万城目氏のプライベートは
なかなか知ることができないのですが
一部公開されていました。

・本と温泉・
志賀直哉が城崎にきたのは1913年で
2013年が来湯100年になります。
それを契機に、城崎温泉旅館経営研究会が
「本と温泉」という出版レーベルを設立しました。
第一弾が「城の崎にて」とその詳細な「注釈・城の崎にて」
の豆本が2箱入りになった本の出版でした。
第二弾が今回紹介した「城崎裁判」でした。
実は第三弾がすでに出ていて、
湊かなえ「城崎へかえる」というものです。
カニの殻のような素材の箱に、
カニの身をぬくように本が出てきます。
なかなかおもしろい工夫がされています。
私は、第一弾と第二弾を購入して帰りました。

2017年6月1日木曜日

4_140 山陰の旅 4:三朝温泉のビニールシート

 三朝(みささ)温泉は、古くからある温泉街です。そんな町に私は住んでいて、その後20数年ほどたちました。その間、新しい研究所を訪ねたこともあるのですが、久しぶりに通り過ぎました。

 春の野外調査では、鳥取から大山を経て岡山に抜けることにしていました。山陰の調査の初日の宿泊地を三朝(みささ)温泉にしました。三朝温泉は、12世紀に発見されとされる古くからある温泉で、大久保左馬之祐(さまのすけ)の救った白狼が夢で楠の老木から湯が湧き出ていることを知らせたそうです。それが今の元湯の「株湯」だとのことです。三朝温泉は、今も豊富な湯量を誇っています。川沿いの露天風呂も健在でした。
 調査の目的地の大山に一気にいっても良かったのですが、三朝町の被害が気になっていたので、通り抜けながら見ておきたかったのです。被害とは、鳥取県中部地震によるものです。鳥取県中部地震は、2016年10月21日、午後2時過ぎに、鳥取県東伯郡三朝町付近を震央としたものでした。震源の深さは11kmほどで、横ずれ断層にともなうマグニチュード6.6の地震でした。直下型の断層による地震なので、倉吉市を中心にして、震度6弱に達する揺れが起こり、多くの被害がでました。負傷者30人ほど出て、家屋の損壊も多く大きな被害となりました。
 この地震によるその後の続報や復興の様子は、北海道ではあまり報道されず現状がよくわかりませんでした。一方、2016年の4月の熊本地震は、被害も大きく犠牲者も多かったためでしょうか、昨年1年間の情報、そして今年の5月には1年がたった時の状況や問題点などを紹介するなど、いくつものドキュメントが放映されました。鳥取地震のことも放送されていたのかもしれませんが、北海道にいる私にはほとんど聞こえてきませんでした。
 私は、三朝町に修士課程時代の2年間、研究生(オーバドクター)時代の1年、特別研究員時代の2年、あわせて5年間住んでいました。三朝町には愛着もあり、被害の状況が気になっていました。ホテルの人に聞いても、揺れが激しかったが、今では通常の営業ができているそうです。発つ日も、温泉街で「御幸行列」の祭りが行われれ、満員となるとのことでした。しかし、ホテルの窓から見ると、温泉街にはビニールシートのかかっている屋根もいくつか見えました。
 泊まった翌日の早朝、散歩して、温泉街のメインストリートを歩きました。この通りには古い温泉街の趣が残っているところでした。すると、いくつかの家の入口には、「被災宅地危険度判定結果」という張り紙がありました。青の張り紙には「調査済宅地INSPECTED」とあり、「被災度は小さと考えられます」という小さい文字がありました。黄色い紙には「要注意LIMITED ENTRY」となり「立ち入る場合には十分注意して下さい」という表記がありました。まだ、復旧ができていない家屋がいくつもあるようです。
 三朝町を発つ時、コンビニエンス・ストアに寄りました。買い物をしたあと、店員のおねいさんにお礼いって「まだビニールシートのかかった家がいくつかありますね」などと復興状況を尋ねました。すると、それまで愛想のよかった笑顔が曇り、「そうですね。まだまだです」と小さな声で答えられました。もしかすると被災された方もしれませんでした。私は、「がんばってください」としかいえませんでした。でも、明るい声で「どうもありがとうございました」という声が帰ってきました。一日も早い復興を願っています。

・昔の町・
三朝町を去る日、車でいくつか脇道に入りました。
道路が整備され、介護施設など新しい建物いくつもあり、
町もいろいろ変わっていました。
でも温泉街で人なでよく飲みにいった店など、
変わらないところもありました。
修士課程時代に、下宿していた家の前にもいきました。
大家さんが住んでいた新しい母屋と
私が借りていた駐車場の上の離れの建物は
昔のまま残っていました。
古い方の母屋は取り壊されていました。
地震のためではないと思いますが。
30数年まえの自分の記憶の中の建物がそのままあり
少々感傷的になりました。

・出張のシーズン・
いよいよ6月です。
出張が多くなりそうです。
でもすべき仕事量が減るわけでないので
出張に出る分、自分自身の時間を奪っていくことになります。
それでも、出張は大変ですが、気持ちを切り替えれば
気分転換となり心をリフレッシュすることができます。
気持ちの持ちようで同じ行為も全く違ったものになります。
そのことは、昨年1年経験してよくわかりました。
ただ、気持ちが張りつめた状態のままなので
体調だけは気をつけなければなりませんが。

2017年5月25日木曜日

4_139 山陰の旅 3:オリ越しのヒスイ

 蛇紋岩に中にヒスイを含んだ岩石があります。ヒスイは、かつて日本列島にあった古い沈み込み帯の深部で形成されたものが、蛇紋岩の作用で持ち上げられたものです。その露頭は、オリに入れられていました。

 地元に住んでいる人以外、ほとんど人が来ないようなところに、この岩石の産地があります。多分来るのは私のような地質学者、あるいは鉱物採取や収集のマニアでしょうか。マニアはこの状況をみるとがっくり来るでしょう。地質学者もがっくりくるですが、仕方がないと思いながら、見ていくことになるでしょう。
 兵庫県養父(やぶ)市の道路脇の崖に周囲をコンクリートに囲まれ、全面が鉄柵のオリになっているところがあります。まるで、一昔前の動物園のオリを思わせるつくりで、厳重に守られています。動物園と違うのでは、動物から人を守るオリではなく、人から岩石を守るオリです。
 このオリの中には、崖からくずれた状態の大きな岩が、下が土に埋もれてあります。そしてオリの鉄柵には看板があり、「県指定文化財 破損禁止」となっています。ヒスイの原石の露頭です。日本ではヒスイは8ヶ所ほどで見つかっているそうですが、露頭として露出しているのは、ここだけだそうです。その他のところは、転石となっているとのことです。
 ここの露頭は、蛇紋岩の中の変成岩ブロックとなっています。ここの蛇紋岩は、三郡変成帯の中に位置しています。蛇紋岩は、もともとはマントルを構成していたカンラン岩が、水を含む変質作用を受けると蛇紋岩に変わっていきます。蛇紋岩は密度も小さく滑りやすいので、流動性が大きくなって、地表に顔をだすようになります。蛇紋岩に中でヒスイが形成された岩石ではなく、蛇紋岩が上昇して来る途中で、取り込んできた岩石の中にヒスイがあったことになります。
 ヒスイは、宝石の一種です。淡い緑や紫などで、ときに少し透明感があります。上品な見かけをしています。比較的大きな塊で産出することも多いので、装飾や高価な加工品の素材として、古くから重宝されてきました。だれもがヒスイという言葉は聞いたことがあるはずです。でも、それが露頭ではなかなか見られません。私も転石でみたことはありますが、露頭ではこれが初めてでした。
 ヒスイは、長石(曹長石と呼ばれるもの)が低温高圧の条件の変成作用によって形成されます。低温高圧の条件は、沈み込むプレート境界で発生します。沈み込み帯には、蛇紋岩を形成する環境もあります。ここの三郡変成岩に属する蛇紋岩は、現在の沈み込み帯ではなく、昔(約4億年前)のものです。ヒスイは深部(深度約20km)での変成作用でできたものが、蛇紋岩の上昇ととともに持ち上げられたことになります。
 そんな不思議なヒスイが、あまり人の来ない、このような道端にオリに守られてあったのです。

・私のヒスイ・
私はヒスイをいくつか持っています。
糸魚川の海岸で拾ったものと、
同じく糸魚川の店で購入したものです。
その一つは、10cmほの大きさの立方体のヒスイを購入しました。
ペーパーウエイトのようなものとして売っていました。
私は資料として購入しました。
あまりいい翡翠ではないのでしょうが、
愛着はあります。

・オリ越しに・
露頭の岩石をオリ越しに見るのは、やはり興ざめします。
でもこのような状況は仕方がないと思います。
以前、別の地でヒスイ発見の報告が論文に載りました。
するとマニアが、論文からその露頭を見つけて、
ヒスイを取り尽くしてしまったという事例がありました。
おかげで研究者が資料を入手することができなくなりました。
他の地でも、このような例があるようです。
なくなる前に予防することは、仕方がないことなのでしょう。
私は資料をとる気はなかったのですが、
オリ越しに岩石を見るとは思いませんでした。

2017年5月18日木曜日

4_138 山陰の旅 2:高梁

 今回の調査行では、ちょっとした寄り道をしました。他の候補地もあったのですが、高梁に立ち寄ることにしました。高梁の訪れたのは、特別暑い日でしたが、堪能しました。

 今回の山陰の旅では、実は岡山に立ち寄りました。岡山で訪れたいところがあったからです。午前中に岡山県内の目的の地点を見ました。その後、移動して午後からは、井原か高梁を回ろうと考えていました。近いのですが、両方回るのは大変なので、どちらにするかを迷っていました。
 井原は、私が修士論文を書いたときのフィールドだったので、私にとってはかつての古戦場のようなところです。博士論文の時代にも何度か訪れています。できれは再訪してみたいと思っていました。一方、高梁は、井原に調査にいくときいつも通っていた町でした。車窓から何度も見ていて、いい町だなあと思っていました。博士論文の調査で、一度だけ休憩で少し立ち寄りました。その時も、歩き回ることはありませんでした。ですから、機会があればのんびりと訪れたいなと思っていました。
 どちらにするか迷いましたが、井原になるとより移動距離が多くなるので、高梁に泊まることにしました。高梁は松山城で有名だそうです。私は、詳しくないのですが。昔の天守が残っている山城としては、唯一のものだそうです。天守や二重櫓や土塀の一部が中世の古いものですが、多くの部分は近世に改築されたものだそうです。
 松山城は小さな城なのですが、山の地質や地形を利用して構築されたもので、なかなか風格のある山城でした。古い石垣や城郭が、露岩の上に構築されている。自然の岩石を利用したなかなか工夫の凝らされた城です。こんな山の上に、現代の科学技術もない時代に、このような大規模な城をつくる労力を考えると、昔の人たちにいはすごい技術と知恵があったことに感心します。
 松山城は、町の北にある標高約480mの臥牛山(うしぶせやま)に築かれています。この臥牛山から市街地まで含めて、この地域には後期白亜紀(約1億年前~6500万年前)の領家(りょうけ)帯(厳密には新期領家帯とされる)に属している花崗岩類からできています。そのような岩石がこの山を形成しています。この山の岩石は、詳しく見ていないのが残念なのですが、火山岩類でしょうか、節理の発達した結晶の小さな岩石に見えました。
 城までの道が狭いので、城の下には大きな駐車場があり、そこからバスで登ることになっていました。ゴールデンウィークの始まりでもあったので、観光客で一杯でした。こんなに有名になったのは、大河ドラマ「真田丸」のオープニングに使われたそうです。私はドラマは見ていないので、訪れるまではよく知りませんでした。実際の画像は、いろいろCGで加工されているようですが。
 実はもっと石をしっかり見ておくべきでしたが、この日は非常に暑くて日陰を選んで歩いていました。ゴールデンウィークの前半、西日本は非常暑い日でした。前日は大山の山麓で宿泊していたので、朝は肌寒いくらいでした。そこから一気に暑い夏のような日となりました。今思えば、もう少しよく見ておきべきでした。後悔先に立たずですね。

・雲海の城・
雲海の城としては竹田城が有名ですが、
竹田城は城郭がないので、石垣の城跡が雲海に浮かんでいます。
ところが、松山城は城郭があるので、
雲海の城としては見ごたえがあります。
翌日の早朝に宿をでたのですが、
雲海の城を見ることにチャレンジしてもよかったのですが、
当日は、移動も長く高速が混むと嫌だったので、
朝一番から移動することにしました。
実は竹田城がある和田山の近くに行ったのですが、
私はまったく興味がないので、
混むと嫌なので、和田山は避けて移動しました。

・石火矢町・
高梁は、松山城だけでなく、石火矢(いしびや)町という
古い町並みもあり、観光地になっています。
ここを一度ゆっくりと歩いてみたいと思っていました。
城下町の武家屋敷が並んでいます。
白壁や土壁が続いたり、川にかかる橋も風情があります。
映画のロケ地として何度も登場している街だそうです。
私は「男はつらいよ」で寅さんが
滞在した町であることは知っていました。
今回始めて歩きましたが、なかなかいい街でした。
ただし暑かったですが。





2017年5月11日木曜日

4_137 山陰の旅 1:大山

 ゴールデンウィークに山陰地方に調査にでました。観光地は、混んでいるはずなのですが、三朝から大山あたりは、あまり混んでいませんでした。連休の始まりだったためでしょうか。それとも・・・

 ゴールデンウィークに山陰地方に調査に出かけました。主には兵庫から鳥取東部を見ていく調査でした。交通の便を考えて、鳥取空港からレンタカーで移動し、同空港へ戻ることにしました。
 目的は、舞鶴構造体と三郡帯の岩石の調査と、山陰ジオパークのジオスポットをいくつか見ていくことでした。他にもいろいろ地域ごとに小さい目的はありましたが、行ってからいろいろ変更があることは予想していたので、厳密に予定を守ることはしませんでした。
 鳥取から岡山に南下して三郡帯の付加体中の典型的な石灰岩ブロックも見るつもりでいました。その時、大山を通っていくことにしました。大山は大きな成層火山で、見ごたえのある山です。三朝(みささ)町に住んでいた時に何度か訪れたこともありました。
 ゴールデンウィークの29日は土曜日でもあったので、観光地の三朝温泉や大山は混んでいるかと思っていたのですが、以外に観光客が少なかったので、助かったのですが、でもこれでいいのかと、複雑な気持ちでした。人では後半に多くなるはずで、杞憂ならいいのですが。
 さて、大山は東西35km、南北30kmにおよぶ巨大な複成火山です。標高1729mの弥山(みせん)を最高峰として、周辺に広大な溶岩流や火山灰の裾野をもっています。大山は100万年前に活動をはじめ、60万から40万年前に激しい噴火をし、大量の噴出物を放出しました。そのときの火山堆積物は溝口凝灰角礫岩と呼ばれています。その後は、1から2万年ごとに大きな噴火を繰り返してきました。大山は、約2万年前(1万7000年前)以降から、活動を休止しています。
 大山は、活火山には指定されていません。なぜなら、過去1万年の間に火山活動の記録がないものは、活火山にはされないからです。しかし、地震波トモグラフィによりますと、地下30kmあたりにマグマ溜まりと考えられる部分もあります。その周辺では火山性の地震が多数発生しています。これからもマグマの活動の可能性がありそうです。さらに、まだ完全に確定はしていなのですが、約3000年前の火砕流は、烏ヶ山(からすがせん)と弥山の間から噴火した可能性を指摘する研究もあります。まあ、現在のところは、噴火の兆候はないようですが。
 噴火の心配の少ない大山は、観光資源として非常に有用です。また、信仰対象として宗教的に重要な役割を果たしています。それなのに観光客が少なかったのは少々心配でした。
 大山の巨大な麓には、火山灰の土地が広がっています。大山の火山灰は、その色から黒ボクと呼ばれています。密度が小さく、水分を多く含みやすい性質をもっています。そのため、崖などが壊れやすく、工事車両が走りにくく、土木工事では困っていました。しかし、水持ちがよいことから果樹栽培に適し、園芸用の土として利用されています。
 長期間、火山活動がないと、山体は侵食が進みます。山頂の周辺では崖崩れが頻発しています。特に沢筋では侵食が激しくなります。そのために周回道路では土石流対策のための防御ダムや堤防が多数つくられています。
 大山も含め、自然は恵みと災いの両面があります。

・鳥取県中部地震・
2016年10月21日14時過ぎ、鳥取県の中部を震源とした
鳥取県中部地震が発生しました。
マグニチュードは6.6でしたが、震源が11kmの直下型地震で、
鳥取県の倉吉市や北栄町では大きな揺れと、被害がありました。
私は、倉吉市の南東にある三朝町に5年間住んでいました。
そのため、復興がどうなっているかが心配だったので
見ておきたいと思って、三朝を通りましました。
温泉街を歩いていると、
住めない家屋や土砂崩れなどもあり、
まだ、復旧には時間がかかりそうです。

・甲子園の黒土・
甲子園のグランドの土には、
大山の黒ボクが混ぜられていることは有名です。
甲子園の土は、30cmほどの厚さに敷かれているようです。
野球のグランドは、黒ボクだけでなく砂も混ぜられ
固くならず、水はけもよく、ボールも転がるような状態にするため、
ブレンドされているようです。
さらに、雨の量など季節変化するため
ブレンドする土や砂の量も変えているそうです。