2017年11月23日木曜日

4_146 寒波の静内

 先週から今週に2度の出張がありました。そのとき、時間があるので、このエッセイを書きました。ちょっと個人的な内容になっていますが、ご覧いただければと思います。

 金曜日の夜中から降り出した雪で、土曜日と日曜日の朝には、2度に渡り一面雪景色になりました。寒波が到来しました。週のはじめには、校務で静内に出かける予定でした。月曜日の明け方には除雪が入って、自宅の駐車場前の除雪をしなければ出かけられません。いつもより早めに起きて、食事を済ませて、車の出られるだけ範囲の除雪をして、6時前には自宅出ることができました。自宅近くの道路では、アイスバーの道で滑りやすくビクビクしながらの運転でした。途中から雪が減り、やがて道路は乾いてきました。幸い高速道路もほとんど雪がなく安全に走ることができました。
 雪で遅れる危険性があったので、2時間ほど早く自宅をでました。幸い予定通りの時間で着いたので、早い到着となりました。私は、時間が余る分には気にならず、遅れるのがすごくストレスが貯まる方です。ノートパソコンを持ってきていたので、車でこの原稿を書き始めることにしました。静内川の河川敷に車を止めて、原稿を書き始めました。
 日高の静内のあたりへは毎年1度は来ています。今年は3度目です。私にとって静内はお気に入りの町になっています。町の南側に静内川が流れています。静内川の左岸は丘陵があり、右岸側に河口平野があり、町並みが広がっています。
 静内川の上流遠くを見ると、雪を被った日高山脈が見えます。主稜線は白くなっていますが、前山には木があるため、薄っすらと雪化粧をしています。主稜線の後ろには青空が広がっていますが、頭上にには時々雪雲が流れてきては、風に流されながら雪が降ってきます。今日は、そのコントラストが非常に綺麗です。海は、寒波のためかなり荒れて波が激しくなっています。
 以前、老後を過ごすなら静内のような町がいいなと思っていました。近くまで高速道路があるので、札幌まで車なら2時間余でたどり着けます。今では日高地域の中核都市としての役割も持っていますので、都市にある大抵の店は揃っています。自宅は借家にして、別荘を静内に持って週末に通いながら、老後には定住しようかと考えていたことがありました。でも、現在の札幌近郊に自宅を建てたので、別荘は諦めました。でも、私にとって静内の町の良さは今も衰えません。
 静内の町とは付き合は、私が大学4年生のときの卒業研究の野外調査の時からでした。日高山脈の前山と主稜線の間に当たるところに分布するオフィオライトと呼ばれる海洋地殻の断片の野外調査でした。オフィオライトと海洋地殻の関係が注目を浴びてきた時期でした。地質調査だけでは、なかなか結論を出しにくいテーマでしたが、野外観察で知りうる限りの情報を収集して、深海の海洋底で形成された傍証をいくつか示すことができました。今思えは、当時の卒業研究としては、そのあたりが限界だったでしょう。よくやったと我が事ながら思います。ちょうどダム工事が行われていたので、最上部にある飯場に泊めていただき、3ヶ月滞在して調査しました。なかなか思い出深い町です。
 その後、北海道の今の職場に転職してから、機会があるたびに訪れることの多い町になりました。そして時間ができたら、今回のように日高山脈や川面、海を眺めながら思い出に浸ります。今回のエッセイは、そんな静内の思い出話しとなりました。

・北国の冬・
北日本は、先週末は寒波の到来で
あちこちで大雪の大荒れの天気となった。
北海道は通常の雪では交通網が麻痺して
止まってしまうことはありません。
除雪が充実しているので、多少の大雪でも
通常の交通網は確保されます。
でも運転手の方は、このエッセイで書いたように
雪の降り始めは、雪道の運転には慣れていないので
私は、おっかなびっくりの運転となります。
でも、これが北国の冬なのです。

・また旅へ・
最近、地質に関するニュースがいくつかでてきました。
それを書こうかと思っていたのですが、
思い出話とあいなりました。
今回は北海道の寒波と静内の思い出でしたが、
調査や校務でいろいろなところに出かけていくと
好きな地や町が、いろいろできてきます。
石に惹かれたところ、地質学的背景に惹かれたところ、
景観に惹かれたところ、町並みに惹かれたところ、
それらにはどこか私の心に響くものがあるのです。
そんな地が増えると、何度も旅に出たくなります。

2017年11月16日木曜日

2_156 最古の生命化石 4:炭素同位体組成

 古い化石の化学的な特徴を捉えるのに、炭素同位体が用いられます。しかし、その値は変成作用などで変わってしまうことが弱点でした。その弱点を工夫で乗り越えたのですが、その値の意味するところはどんなものでしょうか。

 前回、最古の生命化石の検証過程を紹介しました。古い時代の化石は有機物は残らず形態も消えていることが多く、さらに古い時代の岩石は変成作用を受けていることが多く、もともとあった化石の痕跡がなくなっています。しかし、もし岩石中に、有機物の痕跡としてグラファイト(炭素からできている鉱物)があれば、その炭素同位体組成を測定することで、生命の痕跡が検証できることが示されました。
 炭素同位体組成から、変成作用から生まれる傾向と、それと相反する有機物から生まれる傾向を見出し、変成作用を受ける前の有機物の値を見積もることができるという検証方法でした。論文では、炭酸塩岩(変成作用の効果)とグラファイト(有機物の変化)と値の比較検討から、初期(堆積時)の有機物の値を見積もっています。その値は、生物起源の最小値は-28.2‰(パーミルと読みます。千分率のこと)となり、無機的な値との差が25.6‰以上という大きな開きができることがわかってきました。
 このような同位体組成の差、および有機物の値は、生物しかつくれない値、つまり生物起源であることを示している、と報告しています。少々複雑なステップを踏んでいますが、一応、筋の通った説明となっています。
 では、その炭素同位体組成から、どのようなことが読み取れたのでしょうか。
 化石を含んでいたのは海でできた堆積岩なので、39億5000万年前の海洋で生物が存在していたいことが、第一の重要な点です。次に、炭素同位体組成から、その炭素同位体組成は、還元的アセチル-CoA経路やカルビン回路などの代謝作用によるものと考えられるとしています。
 還元的アセチル-CoA経路とは、無機的な化学反応だけで栄養をつくる細菌が用いる代謝の方法です。カルビン回路とは、二酸化炭素(CO2)を使って糖を合成する反応です。まあ、代謝反応のあたりのは、まだ検討の予知がありそうですが、生物の活動があったことは確かのように見えます。
 いずれにしても、35億年前以前になると、今のところ、誰もが認める形態をもった化石の認定には、なかなかたどり着けないようです。しかし、研究者の努力により、堆積岩から次々と生命の痕跡が見つかってくるようになりました。変成作用を受けている堆積岩からも化石の痕跡が見つかるようになりました。
 各地から、そして古い時代へと生命活動の痕跡が遡られていくと、生命の誕生は、比較的短時間にそしてどこでも起きそうに思えてきます。地球で海と生命活動にいたるエネルギーの供給源があれば、どこでも生物が誕生するかのように思えてきます。まあ、それは妄想でしょう。今後も検証作業の継続が必要ですね。

・地質屋・
田代さんたちの報告には、
露頭の写真が何枚か添付されていました。
露頭の岩石の様子を示す写真でした。
しかしその周囲には植物が少し写っていたりして
周りの景観を想像できそうな写真もありました。
少しの景観から、その地への思いが馳せていきます。
地質学者の性(さが)、地質屋だからでしょうかね。

・大荒れの週末・
週末は北海道は大荒れでした。
風が強く、雪混じりの雨の降る荒れた天気でした。
各地で警報もでていました。
日曜日は大学の行事があったのですが、
少々残念な天気となりました。

2017年11月9日木曜日

2_155 最古の生命化石 3:グラファイト

 今回の報告は、変成作用を受けた堆積岩からのものです。そこにあった生物の痕跡が消されたものでした。しかし、それで諦めるこなく、多数の分析値から面白いアイディアで生物の痕跡に迫っています。

 いよいよ今回、最古の生命化石の実態を紹介していきましょう。
 カナダのラブラドルに分布しているサグレック岩体と呼ばれる古い地質帯の中に含まれているヌリアック(Nulliak)表成岩と呼ばれるものであります。表層岩とは、地質学(第四紀や応用地質では違う意味に用います)では、主には地球表層でできた堆積岩類ことを指します。特に古い時代の岩石の生成場として、重要性を強調するためにいうことがあります。
 この岩体では、すでに年代測定が行われており、39億5000万年前の堆積岩であることがわかっています。堆積岩を詳しく調べていくと、グラファイトが残っていることがわかってきました。いく種類かの堆積岩やその中に含まれているノジュール(団塊)のグラファイトの詳しく調べ、分析されています。
 さて問題はこちらの岩体は変成作用を受けていることです。もともと生物の形態を化石として残していた岩石があったとしても、変成作用を受けると、その形態がほとんど消えてしまいます。なぜなら、変成作用を受けると有機物が分解してしまうからです。有機物とは、炭素の他に水素や酸素がくっついてできているのですが、変成作用で起こる脱ガスで、炭素以外の軽い元素が一緒に抜けていきます。そのために、変成作用を受けてしまうと、有機物からできている形態や成分などの痕跡が消えてしまうのです。
 今回の報告は、その点で工夫をしています。有機物や化石の形態の消失というハンディと思われる性質を逆手にとって、非常にユニークで、面白い方法を提案しています。
 変成作用で有機物が消失すると、残った炭素はグラファイトという鉱物になります。変成作用で形成されたグラファイトを詳しく調べると、変成作用における温度の履歴が読み取れることは、以前から知られています。グラファイトの結晶化のとき、推定される温度は、536˚C以上であったことがわかりました。これは、他の変成鉱物から見積もられた、580~800˚Cという変成温度と一致しています。
 このことから、堆積岩中のグラファイトは、変成時に外からもたらされたものではなく、もともと岩石中にあった有機物が変成作用によって変わったものだということになります。グラファイトの化学成分(炭素同位体比)は、変成作用によって大きな値へと変化していきます。ですから、一番低い値は、より堆積岩時代の値に近いことになります。
 一方、炭酸塩岩で無機的(生物が関与せずに)できた化学成分(炭素同位体比)は、変成作用とともに小さな値へとなることも知られています。炭酸塩岩でも、炭素同位体比を測定して、その変化から初期的(変成作用を受ける前)の値を見積もることができます。
 つまり、同じ炭素同位体組成ですが、無機的起源と生物起源と違ったものでは、変成作用によって、まったく逆の値の変化がおこることになります。2つの値を比べると負の相関ができます。これは、生物起源でも無機起源でも、変成作用を受ける前の値を、多くの分析値があれば、見積もることが可能だということになります。
 では、それらの値から、いったいどのようなことが、読み取れるのでしょうか。それは、次回としましょう。

・ノスタルジー・
11月はいくつか祝日がありますが、
私は、4年生の卒業研究の添削のために、
祝日でも大抵は大学にでています。
土曜日も、ほぼ毎週でています。
もちろん、学生の添削のためだけでなく、
自分の仕事もすることになるのですが。
私が働き出した頃は、また土曜日が半日出勤というのが
当たり前の時代がありました。
その時代へと戻ったと思えばいいのです。
あの頃は、もっと生きるのが大変でしたが、
どこか明るさがあったような気がします。
単なるノスタルジーでしょうか。

・冬タイヤ・
北海道のわが町でも、何度か雪が降り、
遠くに見える山並みは、
もうすっかり雪化粧になっています。
木々の紅葉もほぼ終わり、
多くの木は裸になってしまいました。
いよいよ冬の到来です。
我が家の車は、先月の激しい嵐があったとき
積雪もあったので、冬タイヤに替えました。
来週と再来週には遠出の出張があるので、
慌てて冬タイヤにしようとすると、
混んでいることがあるので、
早目に履き替えました。
でも、雪道の運転は怖いのです。

2017年11月2日木曜日

2_154 最古の生命化石 2:一長一短

 これまで見つかっている最後の生命化石とする報告で確実なものは35億年前のものです。それより古い化石は、証拠や根拠には、一長一短があり、確定にはいたっていません。そんな最古の化石のこれまでの現状をまとめました。

 前回、最古の生命化石が発見されたという新たな報告があったということを紹介しました。目新しいこととして、発見場所がカナダであること、年代は39億5000万年前で非常に古いこと、変成作用を受けた岩石から見つかったことを挙げました。いずれもこの化石が本物であったら、最古だけでなく、特異な化石の発見の情報となります。
 今回の報告の特徴を示すために、これまでの最古の化石についての情報をまとめておきましょう。
 多くの人が化石で生物だと認めているものは、西オーストラリアのノースポールの約35億年前の化石でした。生物の形態も炭化物として残しており、細胞分裂をしているような状態もありました。一般の人がみても化石だと思えるような画像として提示されていました。もちろん、形だけでな根拠が足りないので、化学的なデータもつけられており、科学者たちにも根拠を提示しています。生息環境は深海底の熱水噴出孔周辺で、初期生命の誕生の場と考えられるところでもありました。
 前回も紹介しましたが、グリーンランドのイスアでは、38年億前ころの地層が分布しているので、最古の生命探しにいつも登場するところです。最近の報告では、37億年前の岩石から、生命がつくったらしきストロマトライト状構造が見つかったというものがありました(エッセイ「最古の化石」にて紹介)。ストロマトライト状構造とは、25億年前ころの浅海でできた地層から大量に見つかる同心円状のつくりをもった岩石です。シアノバクテリアという種類の生物がつくった構造だとされています。ですから、グリーンランドの38年億前ものも、生物がつくったものでないかという報告でした。ただし、まだ確定はされていません。
 西オーストラリアのジャックヒルにある堆積岩から、花崗岩(火成岩)中でできた41億年前のジルコンという鉱物が見つかりました。マグマからできた鉱物なのですが、そこに生命の痕跡があったと報告がなされています(エッセイ「41億年前の生命」にて紹介)。しかし、生物の存在の傍証とはなりえますが、直接の証拠とはいえません。また、どんな生物であったか、どんなところに棲んでいたのかも不明です。
 カナダのハドソン湾東岸沿ヌブアギツク帯の地層で、チューブ状やフィラメント状(繊維状)になっている鉱物(赤鉄鉱)が見つかりました。このような形態の鉱物は、熱水噴出孔に棲んでいる生物群に見つかるものと似ています。化学的な証拠も提示されていました(同じくエッセイ「41億年前の生命」にて紹介)。でも、生物の直接的な証拠ではありませんでした。さらにこの地層の年代が、37億7000万年前より以前、多分42億8000万年前のものではないかとされていますが、時代が定っているわけではありませんでした。
 いずれも古い岩石で、生命の痕跡も非常かすかなもので、認定がなかなか難しくなります。ですから、どうしても反論がでてくることも多くなります。西オーストラリアのノースポール以外は、かすかな痕跡ですから、それぞれの主張に一長一短があり、なかなか確定には至らないようです。
 さて今回の報告ですが、2017年9月27日発行のNature誌に
Early trace of life from 3.95 Ga sedimentary rocks in Labrador, Canada.
(カナダ、ラブラドルの39億5000万年前の堆積岩からの初期生命の痕跡)
というタイトルで掲載されたものした。報告者は、東京大学大学院生の田代貴志さんたち、若手を中心とする研究グループでした。
 この報告の詳細は、次回以降としましょう。

・思いを巡らすだけ・
古い化石の出る産地には興味があります。
グリーンランドのイスアには
以前行ったことがあるのですが、
海外調査にはほとんど出れなくなりました。
ですから、今回登場した、
西オーストラリアのジャックヒルや
カナダのハドソン湾東岸沿ヌブアギツク帯
など、行きたいところは
一杯あるのですが、行けません。
せいぜい論文にでている露頭写真をみて
現地に、思いを巡らすだけですね。

・冬の到来・
週初めは、台風の影響でアラレや雨が降り
風も吹き、寒くて、ひどい荒れ模様となりました。
里でも薄っすらと雪化粧をしてました。
すぐに溶けはしたのですが、
秋も終わってしまったようです。
朝夕は当たり前にストーブをたくようになりました。
いよいよ冬の到来を感じさせる季節となりました。

2017年10月26日木曜日

2_153 最古の生命化石 1:痕跡探し

 今回からは、このエッセイで何度も取り上げてきた「最古の生命化石」の話題です。新しい報告が出され、ニュースにも取り上げられました。最古の生命化石の発見は、難しい素材での取り組みとなりました。

 地球の歴史は45億年前からスタートします。しかし、できたばかりの45億年前の岩石が、地球に残されているわけではないのですが、隕石の年代や他の傍証から、その頃だと考えられています。ですから、「地球最古」に関する研究は、どの時代まで遡れるのかという探求は継続されています。その一環として最古の生命の探査も続いています。
 「最古の生命化石」は、興味がそそられます。もし発見されれば、大きなニュースとしても取り上げられることになります。研究者は、いろいろな意味での「最古」の化石を発見しては、報告してきました。このエッセイでも、「最古の化石」や「41億年前の生命」、「最古の生命」、「最古の有性生殖」、「古い化石」などとして、何度も取り上げてきました。今回も「最古の生命化石」について、新しい報告が出たので、紹介しましょう。
 紹介する前に、まずは最古の化石について、基礎知識を確認しておきましょう。
 化石は一般に地層から見つかります。マグマが固まった火成岩からは見つかりません。なぜなら、マグマに住む生物は知られていません。ですから化石探しは堆積岩がターゲットとなります。地層は、陸地の池や川など、水のないところでも堆積することがありしますが、多くは海底にたまったものです。
 チャートや石灰岩などから海洋の特別な環境でできた化石をのぞくと、大型生物の化石の多くは、海底でも陸からの砕屑物とともに流れてくるので、陸の近くの海底でできた地層から見つかります。でも最古の化石はそんなところからは見つかりそうにありません。
 古生代に生物は海から陸に上がってきたことは、化石の証拠からわかっています。それ以前(先カンブリア紀)の時代の生物は、海に棲んでいたことになります。ですから、古い化石も、海で堆積した堆積岩から産出することになります。
 生物は、時代が遡れば単純で小さな生物、単細胞になるはずです。化石も、殻や骨などは持っていなかったので、化石には残りにくくなります。原始的な化石ほど、見つけにくくなるはずです。ですから、かすかな痕跡を探すことになるはずです。ただし、特殊な環境で生物が群れて暮らしているような状態であったすれば、そのような環境でできた地層を探せば見つかる可能性がでてきます。また、「最古」の生物は、「最初」の生物可能性があります。ですから、生命誕生の場とされるところを探すのがいいはずです。ただし、そのような地層が残されていたらの話ですが。
 「最古」の化石の探索は、古い地層、できれば「最も古い地層」の出ているところが対象になります。化石のかすかな痕跡を調べるのには、熱や圧力などの影響(変成作用)を受けていない地層が望ましいものです。変成作用を受けると、化石や生物の痕跡がほとんど消えてしまうからです。古くて変成作用を受けていない地層がでているのは、グリーンランドのイスア周辺です。ですから、最古の化石の探査や報告は、グリーンランドが舞台になることが多くなります。
 さて、今回、報告された最古の化石は、グリーンランドではなく、カナダで39億5000万年前の地層で、それも変成作用を受けた岩石から見つかっています。その詳細は次回以降にしましょう。

・選択と労力・
古い化石は、石を割ったとき
見えるものではありません。
なぜなら、化石の痕跡は非常にささやかで、
電子顕微鏡や化学分析装置をもちいなければ
認識することできないからです。
でも、地質学者は広い大地から、
化石がでてきそうな岩石を見つけ、
それらを顕微鏡で見られるように薄片にして観察し、
その中から生物の痕跡が見つかりそうな試料を選んで
分析していきます。
どこかで少しでも選択を誤ったり
可能性を見逃したりしたら
生物の痕跡を見逃すことになります。
慎重な選定を繰り返さるこによって、
化石の痕跡へと至ります。
膨大な労力を払いながら研究が進められていくのです。

・冬到来・
週のはじめは、台風の影響で大荒れの天気となりました。
北海道も風とともに、寒波も来て初雪が降りました。
わが町では激しい吹雪となりました。
ミゾレやアラレのような湿った雪でしたが、
場所によっては、白く積もっていました。
激しい冬の始まりとなりました。
でも、翌日にはほとんど溶けました。
いよいよ冬が到来しました。

2017年10月19日木曜日

4_145 残念 4:花窟神社

 残念シリーズの4回目です。今回は、雨宿りした神社がなかなか由緒正しいところで、興味深い体験をしました。2度も訪れたのですが、天候がよくなく少々残念でした。

 三重県熊野市の海岸沿いに花窟(はなのいわや)神社と呼ばれるところがあります。近くには、獅子岩(ししいわ)というところもあります。獅子岩の以前一度通った時に見たことがあったのですが、まあ、獅子の形に見えるだけだなあと思って通り過ぎました。
 今回は、獅子岩の周辺の岩石を見るために訪れたのですが、あいにく雨が降ったり止んだりの天気だったので、雨宿りをかねてこの神社を訪れました。朝一番にきたのですが、雲が多く、薄暗い参道でしたが、神社を見学しました。この神社のことはよく知らなかったのですが、花窟神社は、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」のひとつとして、世界遺産の一部に登録されています。駐車場も、トイレ、売店など施設も整備されていて、なかなかアプローチのいいところになっていました。
 この神社の御神体が、熊野酸性岩類の一部で、火山砕屑岩(火砕流堆積物)からできているので、その岩を見ることにもなります。大きな崖をもった岩山が御神体となっているそうです。年2回の御縄掛けという祭で、崖の上から170mの大綱を伸ばして、境内にある松のご神木にかけるという神事がおこなわれます。私が行ったときにも、縄が上空に掛かっていました。2月に掛けられた綱が今も残っていたのですが、綱は自然に切れるまで残されているそうです。次の神事は10月2日に行われたようですが、現在は2本の綱がまだかっているのでしょうか。
 花窟神社は日本書紀にも記されており、日本最古の神社といわれています。「イザナミノミコト」が「カグツチノミコト」を生む時に陰部を焼かれて死んだという故事があり、「イザナミノミコト」と「カグツチノミコト」が、主祭神となっているそうです。「イザナミノミコト」がここに埋葬されているとされてとされ、崖にある穴が「ほと穴」と呼ばているものだそうです。白い玉石をひいて拝所が設けられています。
 じつはこの花窟神社には、今回の調査で2回訪れました。最初は、よく知らずに雨宿りに寄ったついでと、崖が火砕岩だったので、それを見ることができました。しかし、天気が悪くて撮影もうまくできませんでした。また、朝一番に来たので、社務所も売店も閉まっていたので、詳しいことがあまりわかりませんでした。
 神社の由来やその景観に興味を覚えたことと、御神体の岩石がなかなか見事だったので、別の日にもう一度訪れることにしました。その日もあまりいい天気ではなかったのですが、雨は降っていなかったので、撮影もでき、社務所の方ともお話もできました。売店では神社の神事がビデオで放映されたので、ビデオで神事の様子も知ることができました。
 でも、獅子岩は遠目で見て、撮影するだけの時間しかありませんでした。少々残念でしたが。チャンスがあれば、また来たいものですが、どうなることやら。

・落ち着いた旅・
今年、予定していた野外調査は、秋の南紀で終わりました。
本当ならもっといろいろなところへ出かけたいのですが、
なかなか時間がままなりません。
校務で出張にでることがあると、
そのとき少し旅気分を味わっていこうと思うのですが、
気が急いたりしているので、
別の目的のある旅では、落ち着かないものです。
じっくりと調査や旅を楽しみたいものですね。

・紅葉に季節・
わが町から見える手稲の山には、
もうすでに初冠雪がありました。
その後、積雪はまだみていません。
里でも、朝夕は冷える日があり、
我が家でも、ストーブを何度もたきました。
紅葉のきれいな季節になりました。
青空には紅葉が映えます。
紅葉は、見事な色合いで目を楽しませてくれますが、
少々うら寂しい気持ちにもなります。
北国では、秋は短いものになるのですが、
じっくりと味わっていきたいと思っています。

2017年10月12日木曜日

4_144 残念 3:古座川の火成作用

 古座川は、南紀の観光コースから外れています。でも古座川には、地質学的な見どころがいくつかあります。穏やかな川面にそそり立っている崖ですが、かつては激しいマグマの活動があったことを示すものです。

 9月の野外調査の時、和歌山県東牟婁(ひがしむろぐん)郡古座(こざ)川町を流れる古座川にいきました。海岸沿いの国道42号線から、古座川の河口(串本町古座)から、古座の町並みの中の狭い道を通り抜けて、川沿いの道を進みました。今回は古座川の名勝を再訪して、県道39号線を通って海岸沿いの和深(わぶか)に通り抜けていく予定でした。
 古座川には、以前も一度訪れたことがありました。その時は、古座川町相瀬にある一枚岩や天柱岩(てんちゅうがん)、池野山の虫喰岩などを見て回りました。今回も天柱岩を再度見たいと思って訪れました。
 古座川の一枚岩は、巨大な岩石の平坦な面をもつ崖なので、このような名前で呼ばれています。その崖は、高さ150mで800mもあります。きれいな川の水の向こうにそびえ立つ姿は、なかなか見応えがあります。1941(昭和16)年12月13日に国の天然記念物に指定されました。
 この一枚岩の岩石は、「古座川弧状岩脈」と呼ばれている火成作用でできたものです。その岩脈が地表に出たものが、一枚岩となりました。流紋岩質凝灰岩で、均質で硬い岩石でできているため、川の侵食に耐えて残ったようです。
 古座川流域には、一枚岩の他に、天柱岩や虫喰岩などもあります。これらは大昔にあった巨大なカルデラ火山のなごりの古座川弧状岩脈の一部です。この岩脈は、延長22km以上にわたるものです。約1500万年前~1400万年前に活動したものです。
 古座川弧状岩脈は、火山の巨大なカルデラ(南北径40km、東西径20km)の一部でした。カルデラの火山活動をもたらしたマグマの通り道になったのが、この古座川弧状岩脈です。巨大に見える一枚岩が古座川弧状岩脈の一部で、その岩脈が、カルデラの一部だったのです。そのような巨大なマグマの活動という地質学的背景をもった岩脈沿いに、古座川を遡っていきました。
 壮大な地質学的な歴史をもった一枚岩を見たあと、次なる目的地に向かうために、県道39号線に入ろうとしましたが、進めませんでした。道路が昼間は工事中で、時間による通行止めになっていました。しかたなく、引き返えさなければなりませんでした。一雨までもどり、国道371号線から海岸沿いを進みました。同じ道をなかり戻ってきたため、時間がかなり経過して、次の予定が変わってしまいました。

・巨大カルデラ・
このカルデラは、非常の大きなものです。
現在大きなカルデラとして、
阿蘇のカルデラがあります。
しかし、熊野のカルデラは、阿蘇のものを
遙かにしのぐ大きさと考えられます。
それを考えると表層で起こっていた
火山活動は想像を絶するものだったのでしょうね。
かなり古い火山活動ですが、
地球の歴史の激しさの一面を感じさせるものです。

・残念なのは・
石を見ることにおいては、
別に残念でもないようなのですが、
朝日に当たった一枚岩の写真を撮りたいと思っていました。
ところが、天気がよくなく、曇っていたので
あまりいい写真がとれませんでした。
実は前回紹介した天鳥の褶曲に
できるだけ早目に向かうため
宿を早く発って、古座川を経由して撮影をして
向かうつもりでした。
でも、この遠回りで少々予定がずれましたが、
天鳥も海の荒波で予定が変わったのですが。